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最高の人材を集めてもスゴイ人達の寄せ集めにすぎず、最高のチームになるわけでない。(むしろクソ弱い人材も受け入れる件について)

はじめまして、吉村英崇と言います。
ちょいとこの前、帰省した時に大学時代の卒論(2001年)が出てきました。

『新世紀の経営手法』・・・これはクソでかくでましたね。
学生時代のもので内容もショボいのですが、着眼点は今の私と通じるモノが有って面白い。

●優秀な人材がチームにいても、その強みのノウハウは他の者に共有されずらい。
●そこでその強みを共有しやすい構造化すれば、チームの強さは上がるだろう。
ざっくり言うとそういう論文です。

最高の人材を集めてもスゴイ人達の寄せ集めにすぎず、最高のチームになるわけでない。

これはビジネスだけでなく、スポーツや戦闘においても言える。
そして個人の能力においても同じ。

なんか凄い資格、キラッキラしたキャリアを沢山ならんでも、外見は凄くても役に立たない。
遊戯王のカードのデッキを組んでも、凄いレアカードばかりあってもそれぞれのカードが補完し合っていないと結構やられたりする。

カードゲームのデッキだけでなく、チームであっても、個人の能力であっても、単体で凄いだけのものを沢山集めてもあまり役に立たない。

じゃあ、何が役に立つか?
手札のカードが沢山なくても仕方ない。
めちゃくちゃ強いカードがなくてもしゃあない。

現時点で持っているカードの中で、良い組み合わせに成るものを選び出して連携し、相互作用を強くさせてチカラを循環させること。

強いA,B,C,Dがあっても単体だと弱点があったり、自分より強いモノにはあっさり負ける。

ところが、A,B,C,Dが相互に連携されて補完し合い、状況に対応しやすい柔軟性をもてれば、自分より強いモノと渡り合えたり、上手く正面衝突を避けられる。大事なのは連携のさせ方、そしてその連携の強化の仕方だ。

若き日の私の論文は、個人の寄せ集めから如何に集団として機能するか?を追求したものだが、これには問題点がある。
仮にAという優秀な者がいるならば、彼のスキルの共有といえば響きがよいのだが、B,C,Dが彼より劣るならばAの劣化コピーになることを強制される単一化のリスクだ。集団が本来もつ、強みである多様性が失われてしまうだろう。
そしてAにとっても実はわざわざ集団に所属する意味がない。ソロ活動をしたほうがいいし、実際にそれもあって圧倒的成長とやらをしたら独立したり転職をするかもしれない。

集団にとって個々のスキルの引き上げも大事ではあるが、AはAらしく、BはBらしく、CはCらしく…とむしろ多様性を保ちながらの成長が望ましい。
なぜならば、現実はわけわからんハプニングが起きる。そのためには鋭くても硬直したものよりも、爆発力が少し欠けても柔らかな変化が出来るものが生存しやすい。
ある時点では弱さと思われたものが、状況がかわれば強さになる事は珍しいことではない。無数の強さと合わせ、弱さを備えることができる体力があるのが集団の強さだろう。

では集団において、大事なことは何なのか?

それは集団の明確な目的、全体におけるポジションを明確にさせること、意思伝達のスムーズ化。なんということはない、組織が組織として機能することだ。

私は個人の集まりが、組織として機能していく成長過程に興味がある。

私は、数年ほどガ.チ.甲.冑.合.戦というイベントに参加して集団戦を経験し、かつ、同イベントのSNS広報をしてきた。

このイベントを広報するため、集団での戦いとは何か?という記事をかいたり、Twitterで訴えてきたが集団の戦闘からみたビジネスというのも面白い。

私は一線を退いたが、卒論の時に向かい合った組織の成長などについて20年ぶりにもう一度勉強し直し、このNOTEに記していこうと思う。

最後まで読んでくれて有難うございます。
他にもマトメ・記事を手掛けてるのでよろしければ御覧ください。


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