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命がけで生きてきた――それでも、私はここにいる
突然ですが、10年前の私は今の自分を想像できたでしょうか。答えは「NO」です。なぜなら、あの日、脳出血で倒れた瞬間に、私の人生は一度終わったからです。
左半身麻痺、自由に動かない身体。病院のベッドの上で感じたのは、絶望と未来への不安でした。仕事も生活も、今まで積み上げてきたものすべてが崩れ落ちたように思えました。それでも、私は生きることを選びました。いや、選ぶしかなかったのです。「ここで諦めたら、自分が自分でなくなる」と心のどこかで信じていたから。
リハビリの日々は苦しいものでした。一歩前進すれば二歩後退するような現実。できないことが積み重なる度に、「これが新しい自分なんだ」と受け入れるしかありませんでした。汗を流し、涙を流し、それでも笑顔を作り続ける。そうしているうちに、少しずつ身体は動き始め、社会復帰という目標が見えてきました。
しかし、社会は私にとって新しい戦場でした。障害者として働くことの難しさは、誰にも分かってもらえない孤独感と隣り合わせでした。「健常者と同じようにやれ」「言い訳するな」と責められる日々。それでも、自分の価値を証明するために必死でした。「普通でなければ意味がない」と思い込んでいたのです。
それから10年。振り返れば、全てが「命がけ」でした。頑張りすぎている自分に気づかないふりをして、身体の痛みも心の疲れも、全て押し殺して走り続けてきました。「頑張ることでしか、自分の居場所を確保できない」と思い込んでいたからです。
けれど、最近になってふと気づきました。私の中に「これ以上頑張れない」という声があることに。朝、ベッドから起き上がるのが辛い。仕事に行く足取りが重い。そして、何よりも自分の心が「もう十分だよ」と言っている。その声を無視して、さらに自分を追い込むのは間違っているのではないか――そう思うようになったのです。
これまでの人生、私は命がけで生きてきました。だからこそ、ここで立ち止まる勇気を持ちたいのです。命を削る生き方ではなく、命を大切にする生き方を選びたい。頑張らなくても、普通でなくても、「ただ生きているだけで価値がある」と信じること。それが、これからの私のテーマです。
読者の皆さんの中には、同じように「もう限界だ」と感じている方もいるかもしれません。それは弱さではありません。むしろ、自分の限界に気づけることは強さです。そこから新しい一歩を踏み出す勇気を持つことが、本当の意味での「生きる」ことだと思います。
私はこれから、自分を大切にする生き方を模索していきます。そして、このブログを通じて「頑張りすぎなくてもいい」というメッセージを発信していきたいと思います。命がけで生きてきた自分を誇りに思いながらも、これからはもっと穏やかに、もっと優しく自分を抱きしめていきたいのです。
ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。もしこの記事に共感してくださったら、ぜひシェアしてください。このメッセージが誰かの心に届き、その人が「自分を大切にしていいんだ」と思えるきっかけになれば、これ以上の幸せはありません。
命がけで生きてきたすべての人たちへ――一緒に、もっと心穏やかな未来を目指しましょう。