まきちゃんと同調圧力のこと(前編)
結局、新型コロナの緊急事態宣言下でもお会いしてお話しをする方とは、なんやかんや対策しながらお会いしていたわけですが、
そんなstay home期の真っ只中(もうなんだかこの言葉が懐かしくすらある…今はもうポストコロナとか、with コロナとかそーいうのでしょう、うへー)
「大きな声では言えないですけど・・・」
「こんなことって不謹慎ですけど・・」
という枕詞をつけてお話しされる方がよくいらっしゃいました。
この続きには「本当は」「正直なところ」などと続いて、
「自粛なんてってやってられないです」「正直、この状況になってホッとしています」「コロナだろうがなんだろうが恋人がどうしても心配で会いに行きたいんです」「家にいるのが苦痛でしょうがないstay homeとかタグつけてこどもと楽しそうにしているSNS投稿を見るのも苦痛だ」「ずっと自粛でいいと思う。仕事しないでただ家に居たい…」「もうこんな人生ならいっそコロナに罹って死にたい」「コロナのことがあってよかった、そうでないと大変なことになっていた」など、それぞれの本音は色々。そう思う理由も色々。
でも色々なのが当たり前なんですよね。
でも、なんで大きな声で言えないか?って誰に対して不謹慎か?って「世間」というか漠然とした「みんな」でしょうね。全体的なムード。
ムードが極まって極端な形になれば「自粛警察」的な言動であり、どこにいるかわからない「警察」になんとなく気を使う人もいる。
「こうしなくては」「こうふるまわなければ」「こうか考えねば」という世間からの圧力。それに逆らったり抗ったりすると、大変なことが起こりそうな…そんな雰囲気。
それは、一般的に「同調圧力」と呼ばれるでしょう。
「同調圧力」のことを考えると、いつも、まきちゃんのことを思い出します。
「トイレに一緒に行く友達が居ない」という理由で学校に行き渋っていた中2のまきちゃん。
トイレに行かずに学校に長時間いられない、でもトイレにいっしょにいく友達がいない、だから学校に行かない。
何か物理的に一人でトイレに行けない理由なんてないことはまきちゃんにはわかっているし、授業に出ないことが自分にとってデメリットになっていることだって。時に少し、何人かでトイレに行くことが気を遣うな、煩わしいなと思うことだってあるそうなのです。
<(一緒にトイレに行く)そのこと自体にあんまり意味はないと思う>
とすら、まきちゃんは言うのです。
*「まきちゃん」は複数の事例を元にイメージされた架空の人物で実在の特定の人物ではありません。