ぶらり郡山
こんにちは、こうんです。
先日、幼少期の約11年間を過ごした福島県の郡山市に行ってきました。
お世話になっていたバレエ教室の、バレエフェスティバルを観に行くためです。
バレエ鑑賞して、バレエ友だちと会って、駅周辺で一泊して帰る予定だったのですが、
せっかく来たのだから、思い出の場所まで足を運びたくなりました。
地図で調べてみると、泊まっていたホテルから徒歩1時間で行けちゃう距離!
前日も夜遅くてしんどかったですが、超苦手な早起きをして、少し街歩きをしてきました。
その記録です。
郡山に行くかどうか、直前まで迷ったけど、行ってよかったと思います。
郡山駅から
朝7時前にホテルを出発。
今回のホテルは、一階にテナントが入っておらずガラ空きで、最初は少し怖さを感じましたが、スタッフさんとお部屋はとても良かったです。
少し前に外泊したとき、一番安かったゲストハウスに泊まったら、清潔感に欠けていたり、ドアの立て付けが悪かったりしてストレスだったので、
今回はちゃんとした宿を取ろうと固く決意していました。
成功しました(T_T)
朝の散歩って、少し特別感がありますね。
この時期は早くから明るいけど、まだ人通りも少なくて、車もまばら。青空がとても綺麗でした。
「あーっ!!」と思ってパチリとしたのが、郡山駅から続くさくら大通りの最初の十字路にある、このオブジェ。
十数年前もあったね。
何だろう、これ。
足の長いひよこが巨神兵風に歩いてる?
バス代の節約
フェスティバルからの帰り道、友人のまっつーから聞いて思い出したのですが、
かつてバレエのために郡山駅まで市バスで通っていたとき、
私はバス代60円くらいを節約するために、運賃が上がる3つくらい前のバス停で降りて残る駅までの道のりは歩いていました。
そうだったわー。
清水台から高くなるから、その前の虎丸で降りてたのよね。
よく覚えてるな、まっつー。笑
最近、ヤマザキマリさんのエッセイを読んでいて、彼女の幼い頃からの節約習慣に感心していたのですが、私もなかなか負けていなかったようだ‥
バレエというお金のかかる習い事をさせてもらっていたのもあって、少しでも出費を抑えようとしていたのだと思います。
ちなみに、当時金額の大きさを考えるときは、大好きだった板チョコが何枚買えるかで考えていました。
水を汲んだ公園
清水台バス停のすぐ近くに、懐かしい公園がありました。
芳山公園(清水台遺跡)というらしいです。
2011年の震災の後、バレエスタジオの様子を見に行った帰り道、この公園に給水場所が設置されているのを見つけて、喜びました。
なぜ喜んだかというと、人がほとんどいなかったから!家から一番近いのは開成山公園の給水場でしたが、いつもとても混んでいました。(震災直後、断水期間がありました)
おそらく持参していたであろう給水ボトルに水を入れてもらって、自転車の前カゴと後ろカゴに入れて、予想以上の重さにふらふらしながら家まで帰った記憶があります。
あの地震で道が割れたり、建物の一部が壊れたりしたけど、当然ながらその名残りはほとんど見つけられないね。
少しあったものといえば、市役所の玄関に大きく掲げられていた「非核化宣言」の文字かな。でも、震災前から掲げていたものなのかもしれない。分からないや。
線量計を首からぶら下げて、学校に通ってたね、私たち。
クリスマス会の会場
少し歩くと、郡山スタジオのクリスマス会場に使われていた、ホテルハマツがありました。多分名前は当時から変わってないと思う。
前日に、クリスマス会で撮った写真をまこちゃんが見せてくれて、懐かしく振り返っていたところでした。
たしか、私は2回出席しました。
1回目は、バレエスクールに入ったしばらく後。当時所属していた中等科のクラスの出し物は、当時流行っていたキューピーのCMで使われていた「た〜らこ〜」のダンスだったのですが、話せる友だちもいない中、心細い気持ちで練習に参加していた思い出。笑
でも、クバデレラという高等科のお姉さんたちがやっていた劇はすごく面白かったんだよな!
2回目は、楽しかった^^
ジュニアクラスに入って、一緒に頑張れる友だちもできて、高等科のみんなでPerfumeのねえを踊りました。恒例のビンゴ大会では、珍しくくじ運が良く、先生から熊のバレリーナの人形を景品として頂きました。
先生のお気に入りでもないのに、私なんかがもらってしまって申し訳ない気持ちだったのを覚えています。笑
当時は、先生や友だちの反応が、自分の存在価値を決めているような気がしていました。だからこそ、小6で読んだブッダが心の拠り所となり、「自分らしさ」を貫くことを強く自分に課していたのかもしれません。
クリスマス会を企画運営してくれていた保護者の方々、素敵な思い出をありがとうございました。
安積黎明
さらに歩くと、懐かしのモールと、その向かいには安積黎明高校!
今は分からないけど、当時は市で2番目の学力で(多分)、弓道部があるという理由で何となく憧れていた高校です。
当時、一番難しいところは自分には無理と頭ごなしに決めつけて、2番目を目指す習慣がありました。1番目を目指して突っ走れるときもあるにはあるんだけど。
ほとんどの瞬間、自分に自信がなかった。
その自信のなさはその後もずっと付いて回って、就職のタイミングでも私の選択に大きな影響を与えたと思う。「こんなでかい会社、私には絶対に無理!」とか、「こんなに面接があるなんて、無理…」とか。
有名な会社に入ったら、今より満足できる人生を送れていたのかは、分からない。でも、自分を信じることができることは、とても大事だよね。もし私が将来子どもを育てることがあったら、自分を励まして信じることの心強さをたくさん感じさせてあげたいと思う。
そういえば、震災の後、黎明高校の校庭に仮設校舎が長いこと建っていました。当たり前だけど、もう無いね。
バーミヤン復活?
写真左上の看板が見えるだろうか?
え!もしかして、あの交差点の角にバーミヤン復活したの!?
おはしカフェ・ガストになっていたのに!?
あった!バーミヤンだ!
何で戻したんだろう!
バーミヤンが収益力を出せる地域に変わったのかな?
ベスト学院
出た〜
高校受験のとき、少しだけ通った塾。
短期間だったから、個別指導だったけど、何かもう校舎に行くだけで緊張で気分悪くなってたな。笑
県外の高校を受ける心細さと、途中で志望校を変えたプレッシャーに押しつぶされていた私は、先生の言葉でとても救われました。
「倍率は正直関係ない。この点数を越えたらいいから、大丈夫」って。
ありがとうございました、先生!
今もいらっしゃるかな?
交差点の反対側は、更地になっていました。前は、おしゃれな中古っぽい外車がぶら下がっているお店があったんだけど。
あれがこの交差点のトレードマークだったのにな…(?)
そして、パン食べ放題のアンジェロが(大昔に)入っていた近所の建物も、綺麗さっぱり無くなっていましたㅠㅠ
開成山大神宮
さらに歩くと、私のテリトリーになってきました。開成山の神社!
小5のとき、この角度で撮った写真を元に夜店が出ている様子を想像して絵を描いたな。
小4のときは、クラスがあまり楽しくなかったのと、自由に絵を描けなかったので、その反動で自由に絵を描けることがとても楽しかった。担任の先生は好きにやらせてくれて、クラスメイトは好きな子とか尊敬できる子とか色んな子がいて、あのクラス好きだったな。そうじゃない子もいたんだろうけど。
‥などと頭で目まぐるしく考えながら、トイレの場所を記憶を頼りに探しましたが、見つからず。
福島訛りの神主さんが教えてくれました。大好きだよベイベー!
住んでいるときは分からなかったけど、福島特有のイントネーションがあるんだよね。語尾も違ったり。
郡山女子大学前
また思い出のバス停!
福島市に通う高速バスは、ここから乗っていました。
建物の影あたりに立っていたら、バスが停まってくれなくて呆然と見送ったことがあったな。私も通うの頑張ったけど、送り迎えしてくれた父母にも本当に感謝‥。
亀田公園
住宅街に入って、亀田公園。
一時期一緒に登校していたあの子のお家も、変わらず近くに建っていました。
気分屋で、言葉も無かったりして、上手く関係を続けられなかったけど、お家で色々あったんだろうな、と改めて思いました。私には何もできなかった。
そして、亀田公園でももよおす。
何だ、緊張か?
公衆トイレって、救世主ですね。
この公園の近所にピアノ教室があり、私はそこに通っていました。
1週間全く練習しなかったりして、絶望的な気持ちで自転車に乗って、公園の脇を走り抜けてたなあ。
私はもっと早く辞めるべきだった。
小学校
からの、小学校。
今はどんな人たちが通ってるんだろう。
桑野公園、草ボーボーになってました!誰も遊んでないんか!?
妹によると、遊具は少ないし、学校から丸見えだし、元々遊ぶ人は少なかったらしい。
ホーム
思い出がたくさんある平屋は、スクラップされて新しい建物が建っています。
さくら通りなどの大通りは、見覚えのない店や建物も多かったけど、この辺はあまり変わっていませんでした。
‥と思ったら、かまくらやが変わっていたー!!何じゃお前はー!?
ホームセンターか!?(多分違う)
セブン、島中
お向かいのセブンで、軽く朝ご飯を調達。
せっかくなので、福島のブランド酪王牛乳で揃えてみました。
レジ前で、客から店員に対する人種差別を目撃。驚き悲しみ…
島中の入口(ならず者用)、何か広がってる気がする笑
遊具は大分変わっていました。
あの吹きさらしログハウス好きだったんだけどな。
こちらは、鉄棒と雲梯が無い。
ブランコも無い!!
また来たい。郡山。
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