日常をカラフルにするための勉強
勉強とは、答案用紙を黒い解答で埋め尽くし
赤い丸を沢山もらうためのもの。
学生時代までの私はそんな考えで勉強していた。
今の私は、目の前の日常をカラフルに彩るために
もっと勉強したいと思うようになっている。
小学生のころからずっと、
勉強は別に苦手な方ではなかった。
とりあえずクラスの平均点以上を取るために
テスト勉強も効率ばかりを考える生徒だった。
担任の先生の「他の生徒より勉強時間が少ない」
という注意に対し
「平均点取れてるのに、何が悪いの?」という
今思うと、少し生意気な生徒だった気がする。
義務教育に通っているうちは
学業でそこそこの成績を残していれば
大人たちは別に文句を言ってこないんでしょ。
良い大学に行くために勉強をしていただけで、
完全に勉強が”目的”になっていた。
しかし、大学時代から少しずつ
勉強への捉え方が変わっていった。
外国語大学に行っていた私は、
英語と中国語、国際紛争学を学んだ。
英語が聞き取れるようになると、
映画を字幕なしで観られるようになり
演じる役者の息遣いまでが耳に届くようになった。
中国語が話せるようになると、
文化も価値観も全く違う宇宙人だと思っていた
中国人と友達になり、偏見の目で見なくなった。
国際紛争の歴史や構造を学ぶと、
ニュース番組で流れる痛ましい映像に目を塞がず
何か自分にできることはないのか、
と考えるようになった。
大学の専攻以外にも、
学びの機会は常に数えきれないほどあった。
いつも通る道に咲く花の名前を知ると
季節を感じるようになった。
大好きなHip-Hopから
ブラックミュージックの歴史を知った。
新聞が大量の文字の羅列ではなく
人と経済の動きだと読み取れるようになった。
学ぶことを義務化されなくなった時に初めて
長い学びの人生は始まる。
学べば学ぶほど世界が鮮やかに彩られていく。
うちの家は両親とも大学に通っていない家庭だが、
私も兄も4年制大学を卒業させてくれた。
お父さんお母さん、私は大人になってやっと
勉強をする意味や楽しさを知りました。
惜しまず学ばせてくれて、ありがとう。
そんな私は社会人3年目にして、
専門学校に通い始めた。
人生で初めて学費を自分で払って勉強をする。
この勉強は間違いなく"目的"ではなく
なりたい自分になるための”手段”。
善く生きるために、
これからも善く勉強をしていこうと思う。