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きっかけは、インドのアフガニスタンパン屋。

朝8時、通勤路にあるアフガニスタンパン屋。
ドラム缶のような焼き釜から取り出される、出来立ての特大アフガンパン。
無表情のおやじ達が、一枚一枚路面に積み上げていく姿。
インドに住んでいた頃、私の通勤路に見える日常の風景でした。

2021年8月。今、アフガニスタンで起きていることが、遠くの国のことだと思えず、新聞やニュースで報道を見るたび、胸が熱くなります。
そして平和だったあのインドのアフガニスタンパン屋のことを、久しぶりに思い出しました。

インドに住むアフガニスタン人

インドは、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻の時代より、アフガニスタンからの難民を受け入れています。
私が住んでいたデリーには約14,000人が住み、市内にはいくつかアフガニスタンコミュニティーがあります。
うちから道路を挟んだ向こう側の街にもコミュニティーがあり、親しみを込めて『アフガンストリート』と呼んでいました。
日本ではとても遠くに感じるアフガニスタンですが、インドに住んだことがきっかけで身近な国と感じるようになりました。

冒頭でも紹介したアフガンパンは、インドのナンを3倍くらいにした円盤みたいな巨大なパンです。
見た目は、ナンよりもインスタ映えすると思います。
味は、ナンよりも素朴で焼きたてはとっても美味しいです。
でも冷めると、残念ながらちょっとモサっとなります。

アフガニスタン料理は、ムスリム料理をベースに、中央アジア系、インド系料理、中国系の食文化の影響を受けた、質素で素朴な料理です。
6つの国に接しているため、少しずついいところ取りな印象。
羊肉と鶏肉が多く、香辛料は控えめでインド料理よりも飽きがなく食べやすいため、私の日本人の同僚はしょっちゅうアフガン料理屋に行っていました。
私は羊肉がイマイチ得意ではないため、行ったのは数える程度。
ですが、インドにいながらアフガン感を味わえる貴重な空間でした。

デリーに住むアフガニスタン人は、アフガンパン屋、レストラン、薬局を営み生計を立てているケースが多いといいます。
そうか、だから近所のアフガンストリートは薬局が多かったんだ…と、後々気付きました。
店員はあまり愛想がないおやじばかり。そう言えば、女性の姿はほとんど見たことありませんでした。

イミグレーションオフィスでの風景①

インドに住む外国人は、在留許可証の登録や延長といった手続きに、FRROという外国人地域登録局に出向き、各種申請をする必要があります。
東京で言うと、品川にある東京入国管理局にあたります。
コロナ前に一度出向いたことがありますが、ものすごい混雑っぷりで驚きました。

デリーのFRROオフィスも、私が赴任した当初はまだオンライン予約制度がなく、予約は早いもの順。
朝6時過ぎ、帳簿に名前を書きに行き、9時のオープンになるとやっと入場。
特に、冬の早朝は寒いので、外にある待合テントでの待ち時間はけっこう冷えました。
翌年から、オンライン予約が始まりスムーズに入場できるようになります。
インドはオンライン化が進めば、劇的に一気に進むところに感心します。

待ち合いテントには2つレーンがあり、初めて行った時に右側のレーンに座って待っていると、
「あなたは左側」と注意され、なぜ???と思っていたら、

左側:外国人用
右側:難民用


というふうに分けられており、しばらく待っていると、右側は白い帽子を頭にちょこんと被った男性、ブルカやヒジャブを着用した女性でいっぱいになりました。
一緒に同行してくれた、総務のインド人スタッフに行くと、彼らはアフガニスタンからの難民だということを教えてくれました。

初めて見るアフガニスタンの方々。
ジロジロみてはいけないと思いながらよくみると、綺麗な刺繍付きのヒジャブだったり、素敵なビジューバッグを持っていたり、中にはすらりとしたゴージャスなマダム風の方もいます。

それまで、アフガニスタンは報道番組やニュースでしか見たことがなく、荒れたカブールの街や、逃げ回る住民など、混乱したイメージが強かったため、当然ですが思っていた貧しいイメージとは違い驚きました。

昔、インドの若者としゃべっていた時に、
「私は、子供の時は広島に住んでたんだ」と話すと、
「Oh! finished town?」と言われたことがあり、
「なんて失礼な奴め!」と思ったことがありましたが、私も人のことは言えないと思いました。
報道で植え付けられる印象ってある意味コワイですね。

インドで受け入れる移民は、あくまでテンポラリーであって、citizenにはすぐにはなれません。
そのため、就ける職業も限定的で、なかなか長期でインドで生計を立ててやっていくのは難しいそうです。
そこがヨーロッパとは違うところのようで、
「インドは近いし親族もいるから来たけど、本当はヨーロッパに行きたかった。」という声もあるようです。

イミグレーションオフィスでの風景②

余談ですが、FRROオフィスでは色々な人が申請にやってきます。

自分の順番が呼ばれるまで待っている間、人間観察をして過ごしていました。
今は解消されていると思いますが、予約通りに行っても、オフィサーの気分次第で相当時間がかかったり、待ち時間はけっこう長いのです。

何度か目にしたのが、若い欧米のカップルの間にちょこんと座るインド系の少女という3人組。

彼らの関係性がわからない…と思い一緒に同行してくれたインド人スタッフに聞いてみると、彼らは、養子縁組の申請に来ているんだよ、と。
私の身近では、アンジェリーナジョリー・ブラピ夫妻くらいしか、外国人のこどもを養子に迎えるという例を知らなかったので、ここインドでも養子縁組の申請があるんだということを、知りました。
毎回、FRROオフィスに行くときは、1組は目にしました。

最後に、感じること

アフガニスタンの報道を見て、感じることはたくさんあります。

テロに恐れる世界に逆戻りするのでは?
アフガンの女性達の生活はどうなるのか?
自衛隊の活動範囲は適切なのか?
日本の難民受入の法律は?

など、一般市民の自分が考えてもどうすることもできないことばかりですが、無知の知、無関心ではだめだと思い、自分でも調べて理解を深めようと思います。

そう思わせてくれたアフガンパン屋。
何がきっかけとなるか分かりませんね。

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