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居場所を失って初めて居場所の価値を知った

僕は居場所を失ったことがある。


数年前、狂ったように仕事ばかりしていた。
1時間しか寝ない日が1週間続くような時期もあった。
会社がマインドシェアの99%を占めるようなそんな生活。


「会議とか打ち合わせでの発言を鑑みるにお前は何も考えていないなと感じる。適当なことを言われるの困るから後輩たちへのアドバイスとか本当やめてほしい。迷惑だ。」

「営業アシスタントからも、制作スタッフからも、他の営業からもお前の評判悪いよ」

「何も考えていないお前との会話、本当無駄な時間だからもう話しかけないでくれる?」


そんな多くのマインドシェアを占める会社で上司から罵声を浴び続けた。
言った本人は覚えていないかもしれないが、言われた本人は鮮明に覚えているもの。
昭和的なヒエラルキーがある部署で上司はトップダウンのマネジメントでメンバーを押さえつけていた。同僚も含めみんな自分の身を守るのに必死だった。

上司からしたら僕を鼓舞するためのコミュニケーションだったかもしれない。が、しんどいものはしんどい。
誰も味方はいない。
僕は徐々に会社というコミュニティの居場所を失っていった。
生活のほとんどをそこに捧げていたにも関わらず。

完全に居場所を失い、僕はその会社を辞めた。

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この「居場所」というものは何なのか。

コミュニティ界隈が盛り上がる中で安全安心や熱狂とともに目にするバズワードだ。

安全安心について整理すると、

安全安心・・・肉体的にも精神的にも不安がない状態
熱狂・・・夢中になって取り組んでいる状態

という風に自分では捉えている。

安全安心というセーフティネットが担保されているからこそ、熱狂というトランス状態になることができる。

一方で居場所とは何となくの感覚で使っていた言葉だった。
一体、居場所とは何か。

ずっと頭の片隅にもやもやと存在していた疑問だった。

そんな中、その疑問を腹落ちさせれてくれた記事と出会った。

居場所とは、

・役に立っていると感じられる場所
・ありのままでいられる場所

というものだ。

この捉え方は実感値もあり非常に納得した。
自己開示ができ、自己効力感を与えてくれる場所。
人はそこを居場所と感じる。

居場所を失った当時、一挙手一投足を否定され続け自己効力感など皆無だった。
また、不用意な発言などしようものならそこにつけこまれてしまうので自己開示などできない。むしろコミュニケーションすら取りたくない。
とにかく自己防衛に必死だったから。
間違いなく自分の居場所などないコミュニティにいたということを改めて思う。

だからこそ、居場所の重要性を痛感している。
傷ついた経験があるから、その経験を活かして他の人を癒したり助けたりすることで役に立ちたい。
傷ついた治療者として。


コミュニティの中に居場所を作るために何ができるか。

・自己効力感をどう生み出すか
・自己開示をどう促すか

という2点にどうアプローチできるか。


人が自己効力感を感じるのは人からのポジティブなフィードバックをもらったとき。つまり、ポジティブなフィードバックをgiveし続けることで同じコミュニティのメンバーの自己効力感向上に寄与する。

それがありがとう、いいねの一言や1スタンプでも何か良い反応があれば嬉しいもの。そのポジティブなフィードバックをもらった人がまた次の人へポジティブなフィードバックを、という形で回り始めればコミュニティ全体にポジティブな雰囲気が醸成される。


人が自己開示できるのはどんな自分であっても受け入れてくれる(嫌われない)という信頼ができるとき。そのためには、相手を否定しないでまずは受け止めるという姿勢が大切になる。

僕も自己開示は苦手だ。ただ、そのようなやわらかい空気感がコミュニティ全体にできてくれば自分を解放するハードルは下がる。


結局、自己効力感を生み出すのも自己開示を促すのもそのコミュニティ内に明るくポジティブな雰囲気を作り出すことが求められる。コミュニティデザインの根幹はここにある。

居場所を失った経験があるからこそ、居場所の価値を知っている僕がコミュニティデザインに携わる意味があるはずだ。
そう信じて、今日もコミュニティについて考える。


#箕輪編集室
#SalonxSalon
#コミュニティについて考える

いつもありがとうございます!