コミュニティについて考える
佐渡島さんの新著「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 」を読んだ。
われわれは一人ではないが孤独である。
考えさせられる言葉だ。
たくさんの人たちの中にいながらも孤独を感じる瞬間は自分も多々あった。
ただ、この本はその孤独を悲観的に捉えることなく、「今の時代の人間とはそいういうものなのだ」と前向きにに捉えることで人が抱えている孤独感を癒してくれる。
この本の示唆によって改めて考えさせられたことが多々あった。
なぜ人には安全安心が必要なのか?
本書でも、また、それ以外の場所でも「安全安心」や「心理的安全」についての重要性は説かれている。自分の経験からもまったく異論は無いが、そもそもなぜ「安全安心の環境」が人に必要なのかを考えてみたい。
結論から言うと人の高次な欲求を満たすために安全安心とは必要条件であり手段であるからだと思う。
マズローの欲求5段階説というものがある。
①から⑤に向かって人間の欲求は満たされていくというものだ。
① 生理的欲求(生命を維持したい)
② 安全の欲求(身の安全を守りたい)
③ 所属と愛の欲求(他者と関わりたい集団に属したい)
④ 承認の欲求(自分を認めたい、他社から認められたい)
⑤ 自己実現の欲求(創造的な活動をしたい)
コミュニティに属す場合、③~⑤を目的として所属することが多いと思われる。③を目的とする場合は「居場所的なコミュニティ」、⑤を目的とする場合は「アウトプット型のコミュニティ」、④はその中間というイメージ。
③~⑤を目指す場合、それよりも下層にある欲求である①②は満たされていることが前提である。日本において言えば①はほぼ満たされている。②については身体的な安全に対する欲求は①同様にほぼ満たされている。
が、心理的な安全に対する欲求は必ずしも保障されているものではない。
もしかしたら、コミュニティ内の誰かにマウントを取られ心理的苦痛を味わうかもしれない。
コミュニティ内の他者と価値観が合わないかもしれない。
コミュニティ内で他者と上手く関係性を作れないかもしれない。
だからこそ、大前提として②の心理的な安全の担保が必要とされる。そこが満たされて初めて、③~⑤の高次な欲求を満たすことができるようになるのではないだろうか。
安全安心は高次の欲求である創造的な活動をすることへの必要条件であるがゆえ、コミュニティのパフォーマンスを最大限発揮させるためには一人一人の安全安心を担保する必要があると考えることで腹落ちした。
(とはいえ、安全はともかく、安心は人によってとらえ方が異なるために全員の欲求を満たすのが難しい・・・その手段はまだ分からない・・・)
アップデート主義を実践して、どんどん考えを更新していきたいと思う。
気づきと優しさを与えてくれる本との出会いであった。
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いつもありがとうございます!