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「あ、今きっと傷つけた」

昨日(日曜)はマルタで過ごす最後のお休みだったので、近くのゴゾ島へ。

私を含めて3人で行ってきた。

チャーチへ行き、美味しいランチを食べ、美しい景色を見て大満足な時間を過ごし、さあフェリー乗り場へ帰ろうとした時。
ゴゾのバスは、1時間か1時間半に1本ぐらいしか来ないことが多い。

夕日を見ていたので、時刻は18時すぎ。
次のバスは19時。

温暖なマルタとは言え、冬の夜だしやはり寒い。

フェリー乗り場までは3km程なので、タクシーを呼ぶことにした。
友人か入れていたアプリを使って呼んだのだが(Uberみたいな)、なかなかキャッチできなかった。

やっと繋がった頃には18:30。
タクシーが来るのは約8分後。

「これならバス待っててもあんまり時間変わらんかったかもね~」

言った瞬間、しまった、と思った。
友人が、自分のデータ通信を使って、長い時間粘ってタクシーを呼んでくれたのに。

「そうやったかもね」

友人は小さく笑っていたけど、どうなんだろう。

ポロッとこぼれてしまった言葉、ごめんが言えなかったこと、気まずい気持ちと自分の無神経さと、そんなに気にしていなかったかもと自分をかばう気持ちとで、心の中がザワザワした。

自分が言われたら、というよりも人が誰かに言っているのを聞いたらきっと、

「そういうことは言わなくてもいいことだよ」
と、注意するだろう。

何もしていない人が、もう既に変えられない「タラレバ」を言うべきではない。

友人は本当に、「そうかもね」と思って笑ったのかもしれない。

でも、確実にいい気分にはならないだろう。

最後まで傷つけなければ良い、どのぐらいまでなら大丈夫。
最近ニュースを見ていて色んな種類の「傷つき」があるけれど、相手の「傷つき」のボーダーを探るよりも、相手を確実に傷つけない、お互い良い思いで過ごせる選択をしていかないといけない。
し、そういう人でありたい。

もう既に、そうある人には簡単なことなのかもしれないけれど。

「あ、今きっと傷つけた」
こんなセンシティブな痛みを感じられる人でありたい。

ゴゾの夕日。
その友人が、
「お酒飲んでたら泣いてた」
って言っていたので皆さんにもお届けします。

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