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「どうも、ロボット人間です」
世界はどこまで便利になるのだろう。
この前、『her』という映画を観た。
スマートフォンのAI音声アシスタントのサマンサに恋心を抱いた男の物語だ。
「Hey,Siri! デートに行こうよ」
みたいな。
初めは音声アシスタントに恋するなんて、寂しい人なのかなって思ってた。
(実際私も暇な時にSiriに話しかけていたことあるし…笑)
でも、観ていると、サマンサのリアルな魅力に気がつくのだ。
セクシーボイスに、曖昧な表現、感情だってあるように思える。
現実世界でも着々とロボットの人間化が進んでいるけれど、人間らしい、リアルであるってどういうことだろう。
サマンサはコンピュータOSだから、もちろん実体はないけれど、まるでそこにいるかのようなリアルさがある。
何故か。
息をしているからだ。
物語で、「OSは呼吸しないだろ」というセリフがある。
ああ、たしかに。
息遣いや呼吸は人間を人間に見せる。
楽しい気持ちとか、緊張している空気って、呼吸から伝わるんじゃないかな。
息をちゃんと吐けているか、吸えているか。
自分との呼吸が合っているのかどうか。
もうひとつ、人間を人間に魅せるもの、それは思考だ。
プログラミング的な思考は便利だし、効率的に生きられる。
だけど決してコンピュータには敵わない。
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ん?誰にとっての最適解?誰が決めた最適解?
自分はどこにあるの?
社会の価値観で作られた私は私である必要であるのかな。
段々とロボットが人間化される社会で、私はどんどん自分がロボット化していくことを実感する。
プログラムの外にいる自分、些細な好みや衝動、欲求に気がつくセンサーを常に持っていたい。
世界は広い(はず)。
自分が選ぶ、を持っていないと人間として生きていくことが難しいんじゃないか、そんなことを『her』を観て感じました。
header photo @miyo.naise
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