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100kmほど歩いてきた話

100kmほど歩いてきた。
福岡県行橋市と大分県別府市を結ぶ100km。ちなみに「行橋~別府100キロウォーク」は24回目、ちなみコ○ナをはさんで3年ぶりの開催だった。

本音を言えば、出たくなかった。走るならともかく、なんで歩かないといかんの…と。が、「やってもいないのに四の五の言うのはナンセンス」という持論のもと、意見するのであれば「やってから」と思いエントリーに至った。

① 100kmの先に広がる世界が見たい
② ラン、トレイルの長距離への不安を解消したい
③ 歩くと走るの違いを知りたい
④ 20時間を切りたい


一応、自分なりの目標ないし、〜したいポイントを考えその日を迎えた。

走るより、歩くほうが街が身近に


大会当日。快晴。まるで根拠はないが天気だけはよく、雨に濡れた記憶がない。今回、3人で参戦。「みんな一緒にゴールねー!」ってタイプでもないメンバーなので、「いいところで離脱可能、あくまで自分のペースで!」と事前に打ち合わせしつつ、12時スタート!いくぜ!

前半、すぐにスタートできるかなと思いきや、いつまでたっても進まない。40分たとうとした頃、やっとこさスタートを切れた。快晴かつほどよい風もあり、まさにウォーク日和。インスタやテレビで気になっていたスポットを横目にテンションもあがる。ペースメーカーのFちゃんについていくべく、9:30〜10:00/kmのハイペースで進む。走りなら小走りで調整できるけれど、歩きはそれができない。ピッチ(歩幅)でかせぐしかない。が、力及ばず15kmあたりでFちゃんとは離脱。切り離しロケット方式だ。

そこから、Hちゃんと2人旅。飼い猫話やダイエット話をしつつ、10:00〜10:30/kmを意識して歩く。20kmを過ぎた頃、両踵に違和感を感じる。ウォーク用の新しいシューズだし、まぁ、そんなもんだろうかね…。ここからが悪夢のはじまり。地獄の入口であったことを、数時間後、いやってほど知ることになる。

日も暮れた50km地点あたり。応急処置したはずの踵が気のせいではなく、スルーできないほどの痛みを伴いだした。「事前にテーピングしていたし、重篤であるはずない…」とかすかな期待を込めてシューズを脱いだ。ぎゃーっ!テーピングの上からでも分かる、謎の盛り上がり。肉刺と書いてマメと読む。やってもうた。「ここで離れよう。自分のペースがお互いのためやけん」とHちゃんに告げる。ロケットは各自の思う着地点に向かうのが一番だから。

一人、野戦病院気分


テーピングを恐る恐る剥がすと、10円玉ぐらいの水ぶくれが両足に4つ。簡易的なエマージェンシーセットを漁るも、水抜き用の針は持ち合わせておらず(ハサミはこわかった)消毒用のライターもない。「もう、迷っている場合ではい!」ゼッケンの安全ピンを一つ外し、肉刺に向かって一撃、二撃、三撃…。思わず、ひーーーっ!!!と声が出る。勢いよく、滲出液が飛び出した。もちろん、良い子は真似したらだめ。

これで、後半戦頑張れる…と思ったのは秒で撤回。熱傷の痛みから外傷に推移。ぎゃーーっ!!!激しい痛みが両足に走る。「この状態で残り50kmって…」リタイアが真っ先に浮かんだ。この時点であっても、これまでに経験したことのない痛み。走るなら多く見積もっても7時間。でも、歩くとなると…考えたところで見当がつかない。でも、経験がないからこそ、ここでやめようとは思えなかった。行けるところまで行くしかない。

月と木星をつれて


ここからは本格的な夜間パート。禁じ手承知で鎮痛剤(2錠目)を投入し、闇に向かって歩く。空を見上げれば、満月間近の月(十三夜)と星ひとつ。調べてみると、木星なんだそうだ。ここからは、月と木星がパートナー。もう、進むしか道はない。

痛み止めが効いてきたのか、ひーっ!!!とまでは言わないぐらいに痛みが落ち着きだす。田舎道に入り、夜も更けてきた。ここから山岳パートだ。単調な動きかつ、歩きと走りで使う筋肉が違うので、むしろ私にとっては大歓迎。傾斜が心地良い。あー、走れたらもっと気持ちいいのに…何度思ったことか。とはいえ、痛みは思った以上に解消されない。30%ぐらい残った感じで、じくじくした痛みが一歩一歩にもれなくついてくる。空を見上げると、月はうろこ雲のベールをまとい、さっきほどと違った顔になっていた。

深夜。周りには人影どころか、街灯もなく闇。前を歩く選手がフラフラしている。眠たいよね、そりゃ…。私もトレイルの夜間練習で眠さの辛さを体感しているので、今回は3日前からコーヒー絶ちし、カフェインピル(眠気覚まし)も持参。が、眠気と食い気をまさる両足の痛みよ…我慢できず持ち合わせのラスト3錠目の鎮痛剤を追加。たのむからゴールまで持ってくれ!気の利いたことや楽しいことを考える余裕もない。あ、あそこで人が休んでる…あれ?誰もいない。何度もそれがあり、いわゆる幻覚だったんだろう。最後は仏さま頼りとばかりに「南無妙法蓮華経…」とお経を唱えた。それぐらい、一歩一歩が地獄だった。

道中、過去9回出走しているという、いぶし銀ウォーカーさんと一緒に歩いた。コースの特徴、ランとウォークの違い、ウォークのコツ…やはり走ると歩くは違うのだな。ウォークの最大の特徴は、老若男女(比較的)平等に参加できること。かねがね、この大会もたくさんの参加者が集うことは知っていたが、心の中で「なんでまた?」と思っていた。でも、参戦してみて少し分かった気がする。

ウォークはランと違いは、心拍数が上がらないこと。「歩く」という、人間の最低限かつ最高のスペックをうまく生かすことがポイント。ウォークだからと甘くみて、装備不足や練習不足、力任せにハイペースに進むと泣きをみる(私のように)。実際、救護エリアやリタイアゾーンでうなだれている大半は(バリバリに仕上がっている)男性だった。一方で女性の強いことよ。ゼッケンに任意で年齢を書けるようになっていたが、私の前を行ったり来たりする女性のゼッケンには「78才」と書いてある。母親より年上だ。走ればダントツで勝てる自信はあるけれど、(負傷も含め)勝てる気がしない。素人分析にすぎないが「いかにエコであるか」が鍵なのかなと思った。それには、日々鍛錬(ウォーク練や散歩)を積み、負荷のかかるポイントを知り、自分の適性ペースを知ること。③の検証結果は以上なり。

人生初の境地へ


月の気配が薄まり、長かった夜が明ける。いくつかの山を越えた頃、遠くに別府湾、その奥にぽっこりと高崎山が見えてきた。ここらで80km。ランも含め、過去経験した中で最長距離だ。ここにきて、最後の鎮痛剤の効き目も切れてきたのか、痛みが増しだす。疲労に加え、踵の痛みを避けた変なフォームが仇となり、新たな肉刺に股関節や足首のこわばりも加わった。でも、やめるわけにはいかない。這ってでも行ってやる。

最後の第3チェックポイントに到着。隣を見ると、額に血の跡があるおじさまがいる。「眠気に負けて、転んだとよ」ケガはよくないけれど、これぐらいで済んでよかった。後にゴールで待っていてくれた友人Rさんも顔に大きなガーゼ付き。同じ理由で負傷したらしい。ウォークと安易に思うなかれ。リスクはしっかりついてくる。

残すところ、ゴールまで13km。このあたりで約20時間対応のガーミンの充電が終わった。「④ 20時間を切りたい」は、はい残念。もう、悔しがるチカラも残っていなかった。50km以降、少なからず「痛みの向こう」を感じていた。日常生活ならとどまる痛さと、非日常だから進む痛さの境をうろうろしていた気がする。遭難したらこんな感じかな…、出産とかどうだろう…痛いとか辛いとかを超越した、いわゆる“境地”の(ごくごく初級的な)扉が見えた気がした。30m進んではストレッチを繰り返し、やっと別府湾沿岸13kmに入る。月と引き換えに太陽かと思いきや、気分同様、どんよりとした曇天が伴走者となった。

正直、ここでやめたい。が、やめたらこれまでがナシになる。もちろんナシになんかならないけれど、かつて何度か経験したことのあるDNF(途中リタイア)の後味の悪さったら…。同じく、同日同時刻、他の大会で己の極限まで頑張っている友人たちの顔が浮かんだ。レベルはまるで違うけれど、通常体感できない世界にいることは同じ。「ウォークなのに途中やめてからに〜」など冗談でも言われたくない。ある意味、これはかなりのモチベーションになった。

顔見た途端、涙腺崩壊


三歩進んで休憩…。一般的な歩行速度は4km/hだけど、3km/hもいけてなかったと思う。走れば12kmなんて1時間ちょっと。たのむから走らせて…何度思ったことか。このあたりから、本格的に鎮痛剤の効き目が切れ、さらに長時間行動の疲労が重なり、剣山の上を歩いているようだった。あ゛あ゛あ゛とか、う゛う゛う゛とか、人目もはばからず声が漏れた。

ゴールまで残すところ7km。前方から逆走してくる人影がみえた。「ここー!!!!」全力で手を振る。夫だ。実は、前日の深夜、「多分、このままではゴールも怪しいし、別府から福岡まで帰れないと思う。本当に申し訳ないけど迎えにきてほしい」とLINEを送っていた。「普段、滅多に弱音を吐かないのに、よほどなんやと思ったわ」夫の顔をみた途端、涙腺崩壊。嗚咽するほど泣きに泣いた。

サプライズの涙ともに雨にバトンタッチ


子どもが歩く速度で5km、4km、3km…あの角を曲がればゴールだ。サプライズで福岡から応援に来てくれた友人たちの顔が見える。二回目の涙腺崩壊。ワイワイと楽しげにゴールしていく人たちのなか、目を真っ赤にしてゴールテープを切った。ああ、終わったんだ。パラパラパラ…待ってくれていたかのように雨粒が落ちてきた。

① 100kmの先に広がる世界が見たい…さて、何が見えたのか。正直、達成感こそあれど感動はなかった。なにより、苦痛から逃れられる安堵感の方がまさっていたから。ゴールで待ち構えていたテレビクルーがしめたとばかりに、「こんなに泣いてゴールした人、はじめてです!歓喜の涙ですね!」と詰め寄ってきたけれど、「いや違います。痛くて泣いてます」。期待した返事を返せず申し訳なかったけれど、それに尽きた。とにかく痛かった。痛くて痛くて仕方なかったの。

でも、一日たって、①と②の答えは見えた気がする。車のガソリンのEmptyマークが付いてなお(思った以上に)走るの同じで、人間もそこから先があるのだと。これまで何度もきつい目にあってきたけれど、100kmという長丁場をへて感じたソレは「なるほどな」という感触があった。②の課題も自ずとクリアできるわけで、脳内でストップをかけている某かを払拭するべく、ひとつのアイテムを得た気がした。運動のいいところはここ。体感として答えが得られるところだ。おそらく、今回ほど物理的に痛いことはないだろうし、少なからず同様なトラブルが襲ってきても事前の対処はこうじるだろう。なにせ歩くより走った方が早く終われる。まぁ、そんなに都合よくならないにせよ、経験はなにものにも勝る。思考の壁にヒビを入れることができた。あとは、バーンと蹴飛ばして壁をやぶるだけだ。

掛け替えのない勲章


記録は22時間26分。FちゃんとHちゃんは目標だった20時間をクリアできた。うん、本当によかった。参加した人全員にドラマがある。打ち上げでいやってほど語り合いたい。

そんなこんなで、昨日から日常生活に支障がありまくりなほど、不自由な生活だ。救護の先生に「どうして、こんなになるまで続けたの」と言われたけれど、「自分に負けるわけにはいかなかったんです」とかっこよく答えた自分を褒めてあげたい。自己満足上等。だって、私の人生は私でしか作れないもの。参加した人全員に、掛け替えのない勲章が光っている。だからこそ、○○ウォークが支持されるんだな、と合点がいった。

応援してくれた皆さん、ありがとう!
大会運営のみなさん、サポートのみなさん、心より感謝です。温かい大会でした。

でも、もう二度とでらんけどw

・・・動けないので、3時間かけて文章書いたよ。


【問題】この文章の感想として、正しいものは①〜③のうちどれでしょう。

①諦めない心

②人と人の絆

③自業自得

答えはコメント欄へ。

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