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世界を変えることができない

つい数十分前に起きた心が痛む出来事。

申し込んでしまった試験の勉強をせねばと思い腰を上げてようやく机についたところ、

外から男性の大声が聞こえてきた。

私はコンドミニアムに住んでいるけれど、
その声はすごく近くで聞こえたので、近隣の人が酔っ払ってるのかと思ったけど、どうやら違う。

外は夜で暗く、日曜日なので車も人通りも少ない。
そっとカーテンの隙間から覗いてみると、コンドミニアムの前の道路の真ん中に人影が見えた。

あまりにも男性の大声が長いので、怖くなって別の部屋にいた夫に、なんて言ってるか分かる?と聞いたら

アクセントが違うからちょっと分かりづらいけど、難民のの物乞いだと思う。とのこと。

途中、大声で叫んでいる声が女性に変わって聞き取れたのは、

「私たちは〇〇からきた難民です。
子どもたちがいてお腹がすいています。
こんな風な頼み方で迷惑をかけて申し訳ないけれど、何か毛布か少しのお金か食事をください。」

といった内容だった。

普段も街の中心地に行くと必ずといっていいほど、別の国からの不法移民などが物乞いをしているのを見かける。

車に乗っていて信号で止まると、物乞いをされることもある。

そしてそれを見て無視するのも日常になってしまっている。

これは完全に言い訳で自分を正当化することだけれど、
お金を渡してしまうとドラッグに使われてしまう場合や、
その隙に物を盗られてしまったり、バックに犯罪組織が絡んでいる可能性があるので、
自分の身を守るためにも関わらないことが一番だと思ってしまっている。

実際に道で物乞いや大道芸をしている人々は
実はこの国の最低月給程度は稼げていて、
だからこそそこから抜けられないという話もある。

バックグラウンドが分からない上に自分の身にも危険が降りかかる可能性があるので、
現地でも多くの人は避けて関わらないようにするのが一般的になってしまっている。

だけど今回ものすごく自分の感情を揺さぶられたのは、
お風呂から上がって暖かく明るい部屋で日曜日の夜をのんびり過ごしている自分と、暗い場所で何処にもいけずに、寒さや飢え、苦しい思いを訴えている人たちの対比図が頭にはっきりイメージでき、
それがものすごく残酷なものに思えたから。

関わらない方がいいかもしれない、何か犯罪に巻き込まれるかもしれない。という気持ちと、

ここで全ての人が彼らを見捨ててしまったら、
憎しみの連鎖しか生まないのではないか、という気持ちの中で揺らぎ迷った。

いつものように無視すべきか短い間にものすごく悩んだけれど、
最終的にお金ではなく家にあるパンとクッキー、りんごとヨーグルトを渡すことにした。

けれどやっぱり怖さもあり(否これは現実に目を背ける弱さなのかもしれない)、
コンドミニアムの受付警備の人にお願いして外にいる彼らに渡してもらった。

私たち以外にもう一人毛布を持ってきた人がいたそう。

けれどこれは結局何の解決にもならない。
何もできない不甲斐なさと罪悪感で胸が苦しくなってしまった。

彼らの状況は何も変わらない、何も助けることができない。

それでも、少しでもお腹を満たして明日を生きる活力になることを願っている人間がいる、ということが伝わればいいなと願っている。

本当に綺麗事であるし、自分を客観視してなんという偽善者だとがっかりしてしまうけれど、
今日感じたこと、考え続けることを忘れずに生きていきたい。

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