「それらしさ」から外れるということ
ADHDの診断をされている19歳のYさん。
持ち前の明るさとポジティブな価値観は、話す人まで引き込まれる魅力があります。そんな彼女に、自分のことについて文章を書いてもらいました。
「それらしさ」から外れた先にあるYさんの生き方とは。
私はADHDという発達障害を持っている。
簡単に言えば、「自分のやりたいことにしか脳を使えない」「基本的な注意力が無い」といった、まさに絵に描いたような社会不適合者だが、毎日「ADHDで良かった」と思って生きている。
小中学生の頃、提出物や親への手紙は出さない、机の中は3ヶ月前とかのプリントでグチャグチャな子どもがいたと思う。それが私だった。
物は無くすし遅刻はするし記憶力は無いしの問題児で、うまく出来ていたのは中学の部活くらいだった。
そんな私に発達障害が発覚したきっかけは、母からの告白だった。
ある日かなり大きな失敗をした時、母にドライブに誘われた。
その時に母が子供への依存症とうつ病を患っていることを聞いた。そして「Yは発達障害だと思うから、一度一緒に精神科に行こう」とも言われた。
情報量が多すぎて「おいおい、おふざけかよ」としか思わなかったが、好奇心が旺盛な私は「精神科」という響きに釣られて受診することを決めた。
「自分はただのバカで、診断など降りないだろう(笑)」と思っていた私だったが、見事ADHDの称号を手に入れた。
家に帰った私は、ADHDとやらについてめちゃくちゃ調べた。
結果、とても納得した。
それから私は「高校生だから高校に通う」ことを辞めて、所属していた学校外活動のイベント団体に全力を注いだ。高校生だけでイベントスペースを借りて、モデルやミュージシャン・お笑い芸人など多ジャンルの芸能人をキャスティングをして、自分たちで作った資料で企業にアポを取り、協賛をもらい、毎年3月に総合エンタメというジャンルでイベントを開くという、とんでもない団体で、「高校生がしないこと」を存分に楽しんだ。
高三になり、同級生が「これが普通だから」と言わんばかりに受験勉強を始めた時には、金使って大学行かなくても、100万くらい稼ぎながら知識と人脈を体に染み込ませられる環境が今の私なら作れるなと思い、教科書をほぼ開かないまま、イベントに協賛してくれた企業にてインターンを始めた。
全ての人生の選択肢で、ことごとく「それらしさ」から外れてしまっているが、別に普通に生きることを批判したいわけではない。「それらしさ」から外れるということは、用意されたコミュニティに属せないということで、自分一人の力でコミュニティを作っていかなければならない。それでも私は嫌になる程ADHDの人間で、脳が暇になるのが耐えられないし、これがやりたい と思った瞬間やりたいこと以外に力を注ぐことが、死にたくなるほど苦痛なのだ。
今私は、「沢山の業界に触れた上で自分の人生を決めたい」という好奇心に抗えず、非大卒は高校を出たら就職するという「それらしさ」からまたまた外れてインターンとして人材派遣の会社に勤めている。同級生のみんなが就職する時まで沢山の業界にインターンとして直に触れて、そのうえで自分の将来を考えたいと思っている。
もし私と同じ発達障害に悩んでいる人がいれば、是非やりたいことに全力を注いで欲しいとおもう。
マイナスではなくプラスな意味で、「発達障害だし仕方なくね?」をいつも心に持っておくと、何事にもチャレンジできるものだ。
ただチャレンジする分失敗するのも当然だし、発達障害者なんかほぼ失敗しかしないものなのも沢山の経験の中で覚えた。
たくさんの人に迷惑をかけて、助けられて、そうして私は今日もなんとか生きている。そんな周囲の人への感謝を忘れずに、いつか「発達障害だし仕方なくね?」と思わなくても自分を愛せるようになって、ちゃんと恩返しをする事だけは、私も私以外にも、ちゃんと心に持って生きていて欲しいと思う。