自分であることに感謝を贈る
自分であることに感謝できる人というのは、
どれくらいいるものだろうか。
私は、自分に感謝なんて
まるでできない人間だった。
いつも怯えていたし、自分の弱さが嫌いだった。
運動はどんなに練習しても上手くなれなかったし、勉強は自分なりにしてもしても足りないと思っていた。
社交的な人に憧れるのに、内向的で、
人前に出ると緊張して足がガクガクしてしまう。
小さな目も、高すぎる背も、残念に言われるのは
少女時代の心を傷つけた。
「もっと○○だったら良かったのに」
と何度ため息をついたろうか。
そんな私の目の前に、不意に現れた言葉がある。
「自分が自分であることに感謝すれば、
人の心は満たされるのです」
それは‘’国民総幸福量‘’という概念とともに
紹介されたブータンという国の人の言葉だった。
知ったのは、大人になってからだ。
私は自分に感謝なんて、
カケラも思ったことがなかった。
過去や親との関係に激しい痛みを抱えながら、
目の前の課題に対して「もっとやらなければ」と
自分を追い立てるばかりの日々。
だから、その言葉に衝撃を受けた。
異国の世界の、満ち足りた笑顔の写真とともに
紹介された心の在り方。
競争と欠乏感ばかりを叩き込む
周りにある「常識」とは異なった様相が
そこには感じられた。
穏やかな空気。
人の考え方が違うと、空気がまるで違うんだ。
その後も、私はとにかく目の前のことに必死だった。
私が自分に感謝することができるようになったのは、それからずっとずっと後のことだった。
***
“自分であることに感謝”とは、
生きる主体としての、内から喜びを感じる
この自分が抱えている「いのち」をまるごと、
尊重するということではないだろうか。
小学生の頃、
星野富弘さんの詩画集が大好きだった。
体育の先生だったけれども、ある日大ケガをしてしまい、手足が動かせなくなってしまった富弘さん。
必死のリハビリの中、口で絵筆をとり、絵を描いて、そこに言葉を添えるようになった。
私にとって印象的だった富弘さんの詩画の一つに、
桜を描いたものがある。
車椅子を押してもらって
桜の木の下まで行く
友人が枝を曲げると
私は 満開の花の中に
埋ってしまった
湧き上ってくる感動を
おさえることができず
私は
口の周りに咲いていた桜の花を
むしゃむしゃと食べてしまった
(出典:『四季抄 風の旅』)
桜の花への感動を、
唯一動かすことのできた口で
とっさに表した一瞬。
辛いこと、悔しいことがたくさんあっただろう中で
この瞬間、胸の内には感動があふれたのだ。
生きる主体としての自分が
とあるできごとに出会い、
どうしようもなく感動するとき、
そこには
生きていることへの感謝と喜びにつながる、
途方もない生きることへのいとおしさが
含まれているように思う。
富弘さんの豊かで素朴な感受性からは
どんなときも目の前に心を開けば、
喜びや感動があることを教えてもらった。
「かぎりなくやさしい花々」という本に、
富弘さんのことは美しい詩画とともに
書かれているので、興味がある方は
ぜひ手にとってみていただきたい。
大きなことでなくてもいい。
小さな感動を、探しに行ってみる。
好きなことに取り組んでみる。
自分の感覚に集中してみる。
自分と向き合い、
生きている今をていねいに味わう。
そんな、充実した時をコツコツと積み重ねてみる。
そうした“自分であること”を
あるがままに受け入れ、楽しむ体験は、
心をゆっくり満たしていき、
いつしか感謝へと熟していくように思う。
***
今、生きていること、
自分を取り囲むこの世界と、ともにあること。
たまにはゆっくりと、思い返してみる。
校庭で小さな貝殻を探して歩いたこと。
文化祭でのみんなの賑やかな声。
運動会のときに見た青空。
友だちと毛布にくるまりながら
語り合った夜。
掴みそこねたカマキリの細いからだ。
新品のスニーカーの軽さ。
お祭りで叩いた太鼓の振動と響きわたる鈍い音。
足元を黄金色に染めたイチョウ並木。
絵を描いていた友人のひたむきな横顔。
握った柔らかな手のひら。
出会うことのできたたくさんの人たちの笑顔。
今日、カレーが作れること。
当たり前だけど、
すべて、自分がいたから経験できた。
体と心と頭が働いてくれたから、
そこにいることができた。
この世界に置かれた自分がいて、
そして様々なものやことにあふれたこの世界の
片隅で、小さなものから一つひとつ、
出会っていったんだ。
楽しむこと、喜ぶこと、悲しむこと、苦闘すること、ホッとすること、笑うこと、泣くこと、
みんな、私が私であって初めて体験できたこと。
そう思うと、人生というものの
限りないギフトに気づかされる。
***
自分に感謝を贈りたい。
精一杯生きてきた自分に。
そして、多くの人が
自分に感謝を贈れるようになれたら、
きっとこの世界は
もっともっと
深い豊かさに満ちていくだろうと思う。
今日、ここに在る自分に、あなたに、
“ありがとう“を贈りたい。
今日も素晴らしい一日でありますように。