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六畳一間の宇宙旅行|小林大輝『植物癒しと蟹の物語』【本文公開3】

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#note の読書感想文コンテスト「 #読書の秋2021 」の課題図書、
小林大輝さんの著書『植物癒しと蟹の物語』の
本文P39〜44を公開します。

*コンテストのお知らせはこちらをご覧ください。

#植物癒しと蟹の物語

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六畳一間の宇宙旅行


 植物癒しの仕事は午後になっても続きます。植物の中には、まったく陽の当たらない路地裏に咲くような花もいます。
 おひるねを済ませた午後に出会った薄紫の小さな花は、塀の向こう側の大きな屋敷でひとり暮らしをしているおばあさんの心に、もうずっと長い間、耳を傾けながら寄り添っていました。
 そのおばあさんは、昼過ぎになるとお茶を用意して縁側で何時間もものを言わずじっとしているのですが、おばあさんの心の声は小さな子どもや年頃の女の子のおしゃべりよりも、遥かに多くのざわめきで満ちているのだと、路地裏の花は言います。

 その花からたくさん話を聴いたあと、ぼくはひらりと身を翻して塀を乗り越えました。塀の高さはぼくの何倍もありましたが、これくらいなら簡単に跳び越すことができます。

 屋敷に入るとすぐ赤い半纏を着たおばあさんと目が合いました。彼女は湯呑みを置き、顔を綻ばせ、ぼくに笑いかけました。もしも、路地裏で話を聴かなければ、ぼくは彼女のことを穏やかで優しいおばあさんだとしか思わなかったでしょう。
 おばあさんはゆっくりと腰を上げて、簞笥から細長いひもを取り出し、ぼくと遊んでくれました。耐えがたい誘惑に駆られたぼくは、おばあさんの操るひもとともに時を忘れて踊り狂いました。
 しばらくすると腕が疲れてきたのか、おばあさんの手から長ひもがすっぽ抜けてあらぬ方向へと勢いよく飛んでいきました。
 開いた襖を抜けて奥の和室へ消えていった長ひもを、ぼくは一切の躊躇なく追いかけました。

 飛び込んだ和室で、ぼくはすばらしいものを見つけました。座布団の四隅についている短いひもの束です。ぼくは長ひものことを忘れ、座布団と戯れることに夢中になりました。

 ひもの束を爪で弄びながら、座布団の上を鮮やかに回転するぼくの目が、部屋の片隅に置かれた仏壇をとらえました。視力は結構いいほうだと思います。
 足を目一杯伸ばし、座布団の上を夢中になって転がるぼくの目に飛び込んでくるものがありました。おじいさんの写真と、そこに飾られるにはまだ早すぎる青年の写真が仏壇の上に並んで置かれている光景です。

 おばあさんがゆっくりと和室に入ってきました。彼女は座布団のひもに狂喜乱舞するぼくを落ち着かせ、そっと抱いて膝に乗せると、お鈴を鳴らして仏壇に手を合わせました。ぼくは膝の上からおばあさんの顔を仰ぎ見ました。幾重にも刻まれた皺の奥で、彼女の瞳はここではないどこか、まったくの虚空を覗いていました。
 それはぼくが空を見つめて、夢を見ているときの眼と似ていて、おばあさんは誰よりも静かに、誰よりもはげしく、何かを求めて一生懸命考えているように見えました。
 おばあさんの本当に大事なものは、仏壇の上に飾られた家族の微笑みとともにあり、それはもうきっと世界中、この地上のどこを旅したところで見つかりはしないのです。だからこそ、彼女はそれを探して心の中の虚空を旅するのだということがぼくにはわかりました。おばあさんはただ縁側に座っているのではなく、ずっとこの家の中でたったひとり長い長い旅行を続けているのです。

 それは記憶の宇宙をさまようことに等しい途方もない放浪です。ぼくにはおばあさんの孤独を計り知ることができません。彼女は沈黙の中で、誰よりも厳しい戦いに身を投じているのです。

 おばあさんはもうずっと長い間、自分の生きる意味を問うているのでしょう。そう考えると同時に、ぼくは彼女の着ている半纏の裏地へ小さくReasonと刺繍されているのに気がつきました。

 ぼくは素早くおばあさんの膝から降りました。彼女が祈るように合わせた手を離して、現実の世界に戻ってきたからです。ゆっくりと腰を上げて縁側に向かうおばあさんの後ろをぼくはついていきました。

 もう日が沈み始めていました。枯れ枝のような細い指を夕暮れの朱に染めながら、湯呑みをもう一度手に取ったおばあさんが小さく笑いました。

「ありもしないのに、ほんとおかしなことねぇ」

 それは皮肉でも嘲笑でもなく、本当に不思議でしようがないという口ぶりでした。
 夕陽に照らされたおばあさんの表情を見たとき、ぼくはそう遠くないうちに彼女がReasonの半纏を脱ぎ捨てるだろうと思いました。

 おばあさんはまたぼんやりとして、記憶の旅行を始めました。ぼくはもう彼女の邪魔をしないよう、静かに屋敷を後にしました。


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ここまでお読みいただきましてありがとうございます。

次回は10月26日(火)に
P46〜53「不思議な生き物」を公開します。
お楽しみに!

本書『植物癒しと蟹の物語』は全国の書店、コトノハストアAmazonなどのネットショップでご購入いただけます。
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