2021.11.23 追記
いつもなら、そのまま元に追記(修正)をしてしまうのですが、さん喬師匠のまくらがいつも以上に記憶に残っているので、加筆させてください。
子供の頃に《艇庫 テイコ》の事を少しですが聞いた事がありました。今地元でもこの言葉すら知らない?忘れているかもしれません。私も忘れていました。四半世紀以上むかしむかし。CPUの容量が昭和枠ですから、ナイに等しくなってます。さん喬師匠の心地よい音域が扉の奥底に埋もれた言葉を思い出させてくださいました。調べたら、永井荷風先生の《向島》にも記されていました。《隅田川》子供の頃は本当に汚れて、酷い臭いで、お世辞にもキレイとは言えませんでした。水質悪化で永く中止になっていたレガッタが再開されたのは、昭和53年。花火大会やらサンバカーニバルやら周辺が本当に活気溢れたイベントがたくさん復活していきました。昨夜は久しぶりに橋越えで、墨田区に入るのを止めました。祝日で人手が出ているのがわかっていたし、予定より余裕をもって早めに移動できたので、日本橋から両国橋→駒形橋を右折→聖地・本所吾妻橋(跡地敬礼)→押上の大踏切→桜橋通り→見番通り 大通りを避け、ゆっくりゆっくりと🚲移動。いつもの墨亭なのに近づいていくとドキドキ、バクバクが止まらなくて緊張はピークに。やれやれ。落ち着け自分。初めてさん喬師匠を拝見する訳でもないのに。やっぱり墨亭でのさん喬師匠は他と別格。子供の頃の自分に言ってやりたいです。「あとン十年すると、角のおばあの店がすんごい場所になるんだからね!!」まさか元地元(同町内。しかも100mも離れてない)にこんなにも凄い寄席が出来るなんて、想像すらできなかった。商店街はかなり寂しい状況ですが、いい町なんですよ。本当に。あの頃は《地域が子供を育ててくれた》今思えば、なんて有り難い事だったんだろうと、感謝しかありません。なんて今更言っても遅いんだけど。少しでも恩返しさせてもらいたい。