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黒留袖はなぜ使えないキモノになってしまったか

私は正式な場で黒留袖を着たことがない。多分着る機会はないだろう、と思っていた。
昭和のキモノにはまって古い雑誌などを当たっているうちに、妙なことに気づいた。「黒留袖を着て友人の結婚式に」と書いてあるのだ。え?着ていっていいの?

黒留袖が出てきたのは明治ごろだという。その頃、キモノは地味なものが好まれて、振袖すら裾模様が主流だったようだ。紋付なので、そのまま袖を留めれば留袖の出来上がり。だから当時の留袖にはいろんな色があったらしい。落とした袖の柄部分は、子供の一つ身なんか作ったとか。また、昭和の頃まで、女の黒紋付というキモノが普通に着られていた。真っ黒で日向五つ紋が付いている。喪服ではない。胴裏が赤く、襲を着る礼装だ。葬式以外なら何にでも着られた。黒留袖だってその筈である。今の本を見ても、留袖は「既婚女性の第一礼装」なだけであり、「新郎新婦親族の正装」とはどこにも書いてない。お祝い事なら結婚式卒業式棟上げ式、何にでも着てよかったのだ。そういえば新築祝いの餅投げしてる奥様が黒留袖着てたわ。どこでも着ていけるから、結婚するときに作ったのだ。なのに、結婚式場やマナーサイトなんか見ると「親族が着るもの」と書いてある。呉服屋でさえ、そう言う人がいる。なぜこんなことになっているのか。

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実は私は、今でこそ黒留袖大好きだが、キモノを着始めた頃、正直なんであんなもの着るのかと思っていた。なんだか地味だし。派手なアンティークに夢中になっていたから尚更だ。黒留のかっこよさに気づいたのは普段着を散々着てからだ。
たぶん、同じことがあちこちの結婚式の準備中に起きたのだろう。普段キモノを着ない人には地味に見える。テーブルについたり集合写真の後ろになったら黒い上半身しか見えない。もっと綺麗なキモノを着ちゃダメなの?訪問着があるではないか。訪問着は鹿鳴館の時代に、洋装ドレスに匹敵するキモノとして考案されたと言う。じゃあ訪問着もありにしましょう。本当は三つ紋いるけど、それつけると他の場所に着て行きにくくなるから一つでもいいことにしましょう。と、ダラダラっとありありにして行って、まあそれはいいのだが、なぜか「留袖以外も着ていいよ」とならず「留袖は着ちゃダメ」となってしまったのである。
さらに変な「控えめマナー」ってやつがはびこって、「招かれた側は主催者より格の低いものを着なければ失礼」なんて言い出したのがいる。これは洋装でも明らかに間違いである。和洋問わずこういう場にはこれを着なさい、と言う決まりがあるだけなので、同じ格の式服が集まる筈なのだ。それがダメなら何を着るのか。もちろんまともな答えなんか用意してない。

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高いものを売りたいならちゃんと黒留袖を売ればいいのに、客の食いつきが悪いもんだから、高価な紬で訪問着なんか作っちゃって、それに金糸の帯を乗せれば式服になりますなんて言い出した業者が混乱に拍車をかけた。
「仲人をするか、親族の結婚式にしか着られない」となれば、生涯着られる機会など数えるほどになる。これはミスリードだ。まともな呉服屋さんがあれと思ったときにはもう遅い。必要になるかわからないものを、大金かけて作る人なんかいない。レンタルすればいいやになってしまった。自分の持ち物だから金をかけるのであって、貸して元を取らねばならない価格勝負のレンタルキモノが上等になるはずはない。リメイク用レンタル落ち留袖を買うことがあるけれど、本当にひどいの、あるよ。そして高級品を作れる職人は減るのだ。

どうせ混乱してるんだから、留袖「も」着ていいよ、と今更ならないものでしょうかねえ。
まあ、私は着たかったら、それっぽい紙袋でも下げて「結婚式の帰りごっこ」でもするんですが。

月兎耳庵

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