この目は素敵なものを見るためにある
ハッとしたんだ。だってこんなに言い切れることってあるかな。
例えば「手」だったらいろいろありすぎてこうはいかないよ。
この手は、ふわふわを撫でるため
この手は、美味しいものを作るため
この手は、お花に水をあげるため
この手は、家族と手をつなぐため
さすが手だよな〜多種多様。まさにあの手この手だよ〜!
わたしの手は何をするためにあるって、なかなかひとつに言いまとめるのが難しいところがあるよね。それが目ならどうでしょうね。
この目は、植えた球根の芽が伸びたのを見るため
この目は、好きな作家さんの作品を見るため
この目は、空の色が変わってくのを見るため
この目は、家族の笑った顔を見るため
私の「目」見たいものいっぱい。
それでね、ほら!これぜーんぶ素敵なものって言えるでしょう。
ね、やっぱりそうだ。この目は素敵なものを見るためにあるんだ〜!
でもね、生きていたら怖いこと悲しいことも見なくちゃいけない時がある、そんな時。
涙が、見なくてもいいよと言っている。説
はずかしいのだけど、あんまり悲しいニュースが見れないんです。物理的に見えなくなる。そう、でました涙です。
きっと涙は「いいよいいよ見なくてもいいよ」「おっしゃまかしとけ今涙出したるからな!ほら見えへんやろ!」
そういうことで、出てきてはるんじゃないかなあって思うんだ〜どうかなあ。ちがうかなあ。素敵な瞬間にも涙が出てくる時もあるし、言い切れないところもあるけれど。つまりわたしは涙の時にこそ、この目は素敵なものを見るためにあるんや!という目からのメッセージを感じてしまうんだよ〜!(目からのメッセージってなんかちょっとダジャレだよね、ふふ)
一体何を読まされてるんや!と思われてないかちょっと心配になってきたけど大丈夫かなあ。大丈夫だったらハートのボタンを押して教えてくれたらわたしが安心して次もダジャレが書けるようになります。あなたの目が、今日も素敵なものをたくさん見つけられますように!
読んでくださってありがとう