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アラフォーの地方移住記録②消費よりコミュニケーションにお金を使うようになったことと、都会の「透明なバリア」について。

消費ではなくコミュニケーションにお金を使うようになった

 地方移住してから意識的に、大きく変わったことのひとつ。
 消費ではなく「コミュニケーション」のために、お店に行くようになりました。

 これは東京でも、かぎられたお店ではそうでしたが・・・。いわゆる「常連さん」として通ってたお店ですね。わたしは人見知りなので、ぽっと入って行ったお店の人と仲良く話すのは恥ずかしくてできないんですが、ゆいいつ、年上のお友達が運営してたカレー屋さんでは、コミュニケーションのために、人と話したいから通ってた部分もありました。(もちろん、カレー自体も至福の味だったけど)

 けれどそれ以外は、あくまでお店の人と、お客さんという立ち位置は、都会ではかっきりと区切られてることが多いように思います。

 今の町だと、この区別がひじょーに曖昧。お客さんだったんだけど、あれ、いつの間にかお友達になってる?という。というもむしろ、あまりそういう区別がないんです。
 そういう意味では、みんなが立場と関係なく、フランクにお喋りを始める、外国の街にでも来たみたいな感覚。

 移住者が多いこともあります。カフェとか食堂とか、なにかお店をしている人には移住してきた人も多く、移住者は自然とネットワークでつながっていくので、自分の直接の友達ではなくても「誰かの友達」で、Facebookで投稿が流れてきたりすることも多い(笑)
 なんで、「他人」という感覚がちょっとしないんです。

 そんなわけで、もちろん自炊できないような栄養豊富でゴージャスなランチが食べたい!ていう思いもありますが、それと同等に「あの人元気にしてるかな? 顔見にいこうかな」とか「最近ずっと閉じこもっていたから、たまには人と話したい」という動機から、お店に行くことが多いです。
 何かを消費したいというよりは、コミュニケーション空間として必要としてる感じです。

 都会でも、あちこちに行きつけのお店がある社交的な人にとっては、もしかしたら当たり前の感覚なのかもですが、少なくともわたしにとっては、ほんわかフレッシュな体験だったのです。

都会で感じていた「透明なバリア」もんだい

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Photo by Alex Perz on Unsplash

 それに関連して「人と人との間の垣根が低い」のも、とても感じます。

 都会だと、当たり前のように、人と人との間に「透明な壁」が存在していたように思います。「うちの家族と、隣りの家族は別」「人は人」で、無意識に、深入りしすぎないようにしていたと思います。
 なんでこんな壁があったのでしょうか。ちょっとよく分かりません。もしかしたらなにか「面倒を避ける」気持ちがあったのかもしれません。そんなやっかいなことなど、めったに起こらないんですが、何か重大なこと(お金とか?)や、深い心のつきあいで、相手に負担をかけてしまってはいけない、みたいな、そういう暗黙の了解があったように思います。
 これは、かなり親しい友達との間でもそうでした。兄弟や親戚の間でも、ある程度そうだったかもしれません。
 なんだったんでしょうか、あの透明な距離は・・・。みなが、こえられない白線の両側から話しているような感じでした。
 特に、学校を卒業して、社会ではたらきはじめて、みながそれぞれに家族をきずいてからは、特にそうだったかもしれません。

 この町にきてからは、それがだいぶ弱まりました。なくなってはいないのかもしれませんが、あの遠慮のしあいがないのです。

いきなりお留守番!

 まずビックリしたのは、引っ越してきてからすぐに、ほぼ見ず知らずのわたしに、いきなり留守番をまかせてくれた人がいたこと。
 近くのゲストハウスのオーナーさんで、わたしは家探しのときに、そこに3日ほど滞在してたのですが、それだけです。滞在時に、ちょっとは話しましたが、もちろん、それだけで、わたしの「ヒトトナリ」などわかるはずもありません。

 このYさんに引っ越し完了報告をしたら、島の食堂でランチに誘ってくれました。大きな椰子が揺れていて、大きな窓からは穏やかな瀬戸内海もキラキラしている、雰囲気のいい食堂です。
 まともに話したのはこれが初めて。
 そしたらYさんはおもむろに
「いま思いついたんだけど、今度の日曜日、うちのお留守番してくれる?」
 と聞いてきたのです。
 
 びっくりしたと同時に感動しました。東京では、こんなことはほぼあり得ません。ほぼ知らないわたしを、いきなり信用してくれた(?)ことに、かなり心がホカホカしました。
 しかも、おうちは大きいし、ご高齢(90代)のおばあちゃんもいるのです。
「もし留守中になにかあったらどうするの」と、東京だと、たいていの人はそういう発想をすると思います。
 けれど、この町だと、そこらへんは「おおらか」なんです。「何かあったら、その時はその時」とみな考えるんでしょう。必要以上に「不確実要素」を気にしない。(もちろん個人差はありますが・・・)

 日本は、国民性として「不確実」なことを排除しようとする、段取りをととのえる国民性です。それは綺麗好きとしても知られるとおり、いい点もありますが、ときには潔癖で、冒険ができない、規則でわが身をきつきつにしばってしまう、そういうダウンサイドとしてもあらわれます。
 なので、この「おおらか」さにも、「外国みたいだな」と思いました。オランダに滞在したときの「ゆるさ」を思い出しました。
 心構えが、都会よりもゆるくて、リラックスしてるのです。
 景色だけじゃなく、いや景色のせいもあるのか、おだやかな瀬戸内海みたいに、おおらかに構えている人が多いのです。
 瀬戸内海は、海賊で知られていました。もしかしたら、海賊的な豪放磊落さが、まだ気質としてのこっているのかもしれません。

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