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50歳以上は無駄という思いから。
「50を過ぎたら無駄に生きているんじゃないかな」
そう話した人(A氏としよう)は、最近鹿児島の知覧特攻平和会館に訪れて、そう思ったという。「平和会館」という名が示すように、特攻隊讃美や隊員の魂を諌めるものではなく、命の尊厳を無視した戦法を繰り返してはならない、悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという願いから開かれた施設である。
A氏はそこで考えた。さらに『風の中のマリア』(百田尚樹著)を読んで、無駄に生きてはならないと強く思いだした。本書を勧められるままに読むと、A氏の思いが見えてきた。
『風の中のマリア』では、オオスズメバチ帝国(ひとつの巣)に生まれたオオスズメバチの戦士マリアが主人公だ。戦士は恋もせず、オスとも交尾せず、ひたすら野にいる虫たちに戦いを挑み、勝っては殺し、その肉片を丸めては巣に運んで幼い〝妹〟(生まれたばかりのススメバチ)に食べさせる。それが疑うべくもない使命である。出撃する零戦のように、敵機を探しては攻撃して戦果を挙げ続けるか、自分が相手にやられるか、どちらかの生涯なのだ。
マリアはその使命を疑わなかった。だが疑ってはならないと自分に言い聞かせていたフシもある。戦士ではない生き方をする虫たちと出会うことで、使命感が揺らぐ。しかも永遠と思えた帝国は、春から秋までの半年にすぎない。自分の寿命は30日だ。使命に生きて死のうとするマリアは、最期の一瞬、もうひとつの〝使命〟に気づく。百田氏が主人公にマリアという名前をつけたのは、処女懐胎をかけたものだろう。
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オオスズメバチの30日はヒトなら50年だろうか。50年以上生きるなら、それまでの自分がしてきたこと以外の生き方を探せ、というのがA氏の感じたことだろう。だからA氏も探しているし、私も60歳から探しだした。
無駄な生を生きていると思えば、我欲は捨てられるはずだ。人のため、社会のためとまで言い切れなくても、カネや名声のためではないと素直になれるはずだ。私は自分の中に「錘(おもり)」があるのを感じる。喜怒哀楽で凹んだりすることはあるけれど、以前より落ちつきどころが自分の中にできてきたという感触。
最後に、社会に何をもたらせるか考えよ。自分がなぜトランスジェンダーになったのか考えよ。そしてできることを身の丈で実行せよ。