やさしさのスピード
せっかく始めたから、考えたことを日記代わりに書いてみることにした。続くかは不明。
この間、お店でレジに並んでいたら店員さんが『レジ袋はよろしかったでしょうか』と一人ひとりに聞いていた。
私は繰り返される"よろしかったでしょうか"という日本語が気になって仕方がなかった。
私が言われるのは構わないのだけれど、その人が、あと何人にその日本語間違ってるよって心の中で思われるのだろうと考えてしまう。言いたいな、あーでもそんなの絶対無理だー。店を出た。
その帰り道、私は尾崎さんがラジオでしていたやさしさについての話を思い出しながら歩いた。
今、その日本語間違ってますよ。正しくはこうですよ。って私が言えば、その人はその後誰にも間違ってると思われなくて済む。
でも、接客中に他のお客さんもいる中で客からそんなことを言われたら、私だったら恥ずかしくてその場から消えてなくなりたいと思うかもしれない。
店長でも同僚でも誰でもいいから、裏でこっそり教えてあげてほしい。そう願うのが、やさしさなんだろうか。
そもそもこんなことを考えること自体がやさしさの反対で、ただの余計なお世話なのではないか。
やさしいってなんだろう。
尾崎さんのラジオを聞いていなかったら、きっとこんなこと考えていなかった。
尾崎さんの書く歌詞や文章は、私がうまく言葉に出来なかったけど、確かに心の中にある(あった)気持ちを言葉にしてくれる。そうそうそうなの、私もそんな気持ちだったって、読んで聴いて思うこと。
でもそれだけじゃなくて、すごく斬新な視点で物事を見ていて、そんなふうに考えたことなかった!ということも言葉にしてくれている。ラジオでのお話は特に【発見】が多い気がする。
毎週、声にしがみついてを聞くのが私の楽しみだ。これからもずっと続いて欲しい。
考える時間を、視野を広くするヒントを、これからも私にください。