何かを引きずって、
私はとにかく運がない。懸賞や激戦のライブチケットなど、ほとんど当たったことがない。
2014年、尾崎さんが連載していた雑誌の企画、尾崎世界観 presents 続々世界の会というイベントが決まって、雑誌についていた応募券を貼ってハガキを出した。
後日来たメールの【当選のお知らせ】という文字を見て胸が高鳴って、【整理番号:10】という文字を見て叫んだ。運のない私が運を掴んだ日。
あこがれのDaisyBar、そして10番。
早くその日が来てほしい、とにかくそんな気持ちで過ごした一週間だったと思う。
確か、前日の夜から雪が降っていた。
日勤を終えて家に帰って、このまま降り続けたら行けなくなるかもしれないから前乗りした方がいいかも、と思った。行くならもう行かないと。時間ないな。でもでも行けたとして、帰ってこられなかったらどうしよう。もしも帰ってこられなくなって休んだら、結構な人を巻き込んで迷惑をかけてしまう。
あの時考えたことのなかで、一番大きかったのは一番最後のものだった。そして私は自分で、前乗りするという選択肢を消した。
次の日の早朝、外に出た瞬間に、これは無理だな、と思った。積もっている雪は、生まれて初めて見るくらい高かった。それでも、諦めたくなかった。
タクシー会社に電話したけれど、繋がらなかった。膝まで雪に埋もれながらただただ歩いた。駅をめざして。タクシーなんて走ってなかった。一歩が重くて、全然進めなかった。
半分くらい歩いたところで、進むのをやめた。無理だと認めて、大泣きしながら家に引き返した。
あの日、78年ぶりの大雪が降ったことに、なにか意味があったのだろうか。
運のない女が珍しく運を掴んでしまったから、あんなに降ってしまったのかな。
雪なんて降ってなければ、私はあの日DaisyBarにいて、尾崎さんと関さんのトークを聞き、尾崎さんの弾き語りを観ていたはずだった。
次の日が仕事じゃなかったら。仕事に行けなくなってもいいと無責任になって、とにかく東京に行く道を選んでいたら。そもそも多分帰ってこられたから、帰って来れないかもなんて考えなければ。
こんなことをもう989898989898回くらい考えて、その道を選ばなかったことをひたすらに悔やんだ。雪のせいだけじゃなかった。選んだのは自分だった。今でも、選ばなかった方の道が眩しく見える。
なにでかは忘れてしまったけれどその後【雪が心配だったけどほとんどの人が来てくれて安心した】というようなことを尾崎さんが言っていて、ほとんどの人になれなかったことが悔しくて申し訳なくてまた泣いた。
それからDaisyBarでのライブは結局今日まで一度も当たっていない。これから先も厳しいと思う。
でも、死ぬまでに絶対、一度だけでもいいからあの場所でクリープハイプのライブが観たい。尾崎さんの弾き語りを聴きたい。そう思っている。
運のない私が掴んではなしたあのときの運が、いつか帰ってきてくれますように。