わたしとこどもとクリープハイプ2


私は自分の機嫌を自分でとるために、クリープハイプの音楽を聴いていた。特に車で出掛けるときに。

息子が2歳になってすぐの頃、車から降ろして抱っこして歩き始めたら突然、ねーもっとーそばにきてーと歌い出したことがあった。息子が初めてクリープハイプの歌を歌った瞬間だった。嬉しくて嬉しくてその時の情景も声も、ちゃんと覚えている。

イトも気に入って、よくソファの上で踊りながら歌ってくれた。

公園の帰り道、空がオレンジ色に染まっていたらいつもオレンジのサビを歌って歩いた。家に着く直前に息子が自分で歌い出した日を、オレンジ記念日にした。そのときのことも、鮮明に覚えている。

同じ頃、私はコンビニララバイが大好きで車の中でよく聴いていた。HE IS MINEはさすがに2歳児には刺激が強すぎるなと思っていたためいつもすぐに早送りしていた。でも、イントロが長めに流れてしまった日があって、慌てて止めたら、息子は「今のきくー!」と言って泣き叫んだ。カオナシさんのベースに射抜かれたのだろうか。とにかく今の聴くー!の一点張りだった。

そして、私は観念して流した。その日から息子の一番のお気に入りの曲になった。所構わずあいあいあいあい愛してないわけ ないないないないないけどさー!と歌う2歳児。違うんです!聴きたいって言われたんです!いつも車に乗ると「あいしてないやつきくー!」って言われるんです!と何も言われていないのに心で言っていた。(○○しようのところは毎回ミュート!)でも今はもう歌わなくなってしまったから、たまにあの頃の動画を見かえしては可愛いなぁと思っている。

火まつりと大丈夫も大のお気に入りで、一年ほど毎日聴いていたし、毎日歌っていた。眠る前に布団の中でカオナシさんパートと尾崎さんパートを交互に歌って笑い合う、そんな時間が好きだった。楽しかったなあ。

雑誌を買えば「ぼくもみる!」と一緒に見て、4人の名前をあっという間に覚えた。

メンバーに似てる人がテレビに映ると「おかあさん!○○さん出てる!」と教えてくれる。

3歳前後で、自分の意思もはっきりと伝えられるようになって、息子は車の中でおかあさんといっしょの歌や童謡を聴きたいと言うようになった。(それまでもクリープハイプだけを流していた訳では無いけれど)成長が嬉しく、今までお母さんに付き合ってくれてありがとう、という気持ちだった。

そして4歳になった今、息子は新しいアルバムの曲が大好きだ。車の中で「(子ども向けの歌)流すよ、何にする?」と聴いても、クリープハイプが聴きたいと言う。家の中でも「おかあさん、まーなんかそのー流して!」とよく言っている。四季が流れ始めると「よっしゃー!」と言う(毎回可愛い)。

私は息子にクリープハイプを好きになって欲しくて聴いていたわけではなかったけれど、好きになってくれてすごく嬉しく思う。

息子と過ごす毎日の中に、当たり前のように大好きな音楽があることが嬉しい。

毎朝、起きてすぐに詩めくりカレンダーをめくって、「今日の歌はなーに?」と持ってくる。そして私が歌う。こんな日にも終わりが来るってわかっているから、こんな時間が尊くて愛しい。

息子が忘れてしまっても、私は覚えていたい。いつかもう一緒に聴かなくなる日が来たとしても、それまでの思い出で、きっとつま先は先へと進める。願わくばずっと、一緒に聴いていたいけれど。

これから息子がどんなものに興味を持ってどんなものを好きになるか、楽しみで仕方がない。

いつか息子にも、私にとってのクリープハイプのような存在を見つけてほしいと心から願っている。


追記

尾崎世界観著、泣きたくなるほど嬉しい日々には、私が死んでも読みたいと思っている本だ(棺桶に入れてねと頼んである)。

その本の中の、夜を引き延ばして、俺はグーを出しましたよを、育児で息詰まった時や逃げたくなった時に必ず読んでいる。しんどくて、明日が来るのが嫌で仕方ない日も、どうあがいたって朝は来る。でもあの文章を読むと、そうやってやってきた朝も、頑張れそうな気がしてくる。

自分に言っているわけじゃないのに、自分に言ってくれているような気がするから、がんばろう、と思う。

生きているうちに、読めてよかった。こんなにやさしい文章に、出会えてよかった。

明日も、お母さんをがんばるぞ。


何のために書いたのか自分でも分からないけれど、書きたいと思って書き始めたらこんなに長くなってしまった。The 自己満足。文章には人柄があらわれると最近つくづく思うけれど、私は本当に自分の事ばっかりだ。

書き終わったらいつもそれを実感して終わるのに、なんで書きたくなったんだろう。

もうなにも、書きたくなりませんように。


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