
狂気の山脈にて 2024/07/30(2-p.437)#77
それから、指をぎこちなく動かして、暗闇の中で本を閉じ、容れ物に入れ、蓋と鉤のついた風変わりな留め金具をカチリと閉めた。これを外の世界へ持ち帰らなければいけない。もしそれが本当に存在するなら──もしこの奈落の底全体が本当に存在するなら──もし私が、世界そのものが本当に存在するなら。
H・P・ラヴクラフト(南條竹則編訳)『狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選』を読みおえる。新潮文庫の100冊(何年か前の)。

「ランドルフ・カーターの陳述」「ピックマンのモデル」「エーリッヒ・ツァンの音楽」「猟犬」「ダゴン」「祝祭」「狂気の山脈にて」「時間からの影」の八篇を収録。巻末に編訳者の解題がありそっちを先に読むと良いかもしれない。ピンとこない作品も多かったので、僕もそうすればよかった。
良かったのは表題作。これは映画『エイリアン』シリーズの源流なのでは、とおもわせる生物学的(地質学的?)ホラーで、おっかなかった。「時間からの影」も、サイコロジカル(兼考古学)スリラーといった趣で、良い。この最後の二篇が中篇ほどの分量があって読みやすかった。ある程度の長さを必要とする作家なのかもしれない。
一方でほかの六篇はいずれもデッサンのような掌篇で、僕はイマイチ入りこめなかった。やはりもう少し読みたい、というよりはこの短さではよくわからず、先に「長さを必要とする」と書いたのはそんなところにもあらわれているようにおもえた。ただ、長ければ長いで説明が多くなってダレてくるところもあって難しい。神話大系というだけあって、作品が相互に補完しあっているから、繰り返し読めば、今回はハマらなかったデッサン風の作品も、あの作品と繋がってるのか、などと気づく愉しみも生まれ、作者の世界観にも慣れて読めのめりこんでいく、というようなことなのかもしれない。はじめて読むと、ふうん、何だか怖いな、くらいの感想くらいしか出てこないのだけれど。
さて新潮文庫のクトゥルー神話傑作選は(現状)あと一冊残っている。それが今年の新潮文庫の100冊にも入っている『アウトサイダー』で、つぎはこれを読む。やっと今年の100冊をはじめられるぞ。