2024/09/10 #111
今月に入ったあたりから、どうも読書がうまくいかない。先月末にフヅクエへ行ったとき、何冊か併読したのがよくなかったのかもしれない。或いはまたひとつ歳を重ね、徐々に気力が衰えていっているのかもしれない。家族に、本ばかり買って読んで、と事あるごとに揶揄されるのも、はっきり言って苦痛である。もう本はあまり読まなくてもいいのかもしれない、と云う気にもなる。では替わりに何をしようか、と考えるがあまり思い浮かばない。こういうのを中年の危機というのだろうか。
大河ドラマ(の再放送)『篤姫』を観ていたら、生麦事件が起こって、吉村昭『生麦事件』を読みたくなる。吉村昭は数えるほどしか読んだことがなく、そのうちちゃんと読みたいなと思っている。『関東大震災』とかね。
北大路欣也が勝海舟を演っているのを見て、久しぶりに山崎豊子『華麗なる一族』を読みなおすのもいいかもしれない、などと想う。勝は坂本龍馬と出会い、司馬遼太郎『龍馬がゆく』だってもちろんまた読みたいし、司馬さんの薩摩といったら『翔ぶが如く』も読み返したい。そういえば一橋慶喜の『最後の将軍』は読んだことがなかったな、そもそも原作の宮尾登美子『天璋院篤姫』だって読んでいないし、宮尾登美子は他にも読んでおきたい小説が幾つかある、とあれこれ想う。
ドラマを観ていても考えるのは本のことばかりだ。それも昭和の作品である。昭和を、特に戦後の時代をちゃんと振り返らないといけないのではないか、という考えが、さいきん僕の内でにわかに強くなっている。戦前の昭和に我々は何を間違えたかを読んでいくこともちろん大切だが、今の歪みは戦後の時代に形作られていったわけであるから、戦後の昭和に我々が何を読み、何を考え、また何を書いてきたかを見ていくことには、何かしらの意味があるのではないか。
などと憂いながらも手に取られたのはスロウカム(東野さやか訳)『バイオリン狂騒曲』(集英社文庫)であった。うまくいかない読書を再起動すべく、エンターテインメント色強めと思われる小説を読んでみる。
バイオリンケースに重さが同じで別の物が入っていたら、持ち運んでても気づかないものなのだろうか。