私記12
今年も庭のつつじ満開。去年より白の面積が増えた。順調に歳をとっているらしい。
小学生のころ、近所の広い公園でどんぐりを山ほど拾った。拾うこと自体が目的だったので、持ち帰ったもののどうということもせず、そのままつつじの根もとにばらまいて放っておいた。そのまま朽ちるものと思っていたのである。そうしたらそのうちのひとつが芽を出した。あれよあれよと二メートルほどまで伸びてしまった。葉はしおれる日もなくどんどん大きく豊かになるし、たやすくしなる細い幹も茎でなくりっぱに木の表情をそなえていて、植物の成長の物凄さには子ども心に驚嘆したものだった。
あれは抜いてしまった。そのままにしておくと、他の庭木を犠牲にして育ってしまうからだと、親類から説明を受けた。彼は畑仕事や庭づくりをよくした。彼の軽トラの荷台に寝かされて、若いしいの木は我が家と切れた。彼の土地に住みかえたのか、それとも根こそぎのまま枯れてしまったか、わからない。あのおじさんとも、今は疎遠になってしまった。
年ごとに白くなっていくつつじを見ながら、もしあの若木が抜かれずにおとなになっていたら、おまえの白い花を見ることもなかったかもしれないな、と思う。庭の敷石は根に下からひっくり返されていたかもしれないし、地下の水道管やらも歪められていたかもしれない。芝も日陰になったら弱っていたろう。あの木と別れることで庭の秩序は保たれたわけだが、夏の猛暑の日なんかは、今ここに大きな木陰があったらどんなに助かるかと思ったりもする。こんもりした枝葉が木漏れ日を散らしながら庭を上のほうで覆っている想像はいつも輝かしい。人の手におえないような大樹が自分のうちにどっしり生えていてくれたら、おおらかに受け流せたり、そうでなくてもあんなに固執したりこじれたりしないですんだ出来ごとが、あったかもしれないなあと、思っている。詮ないことである。
きちんと老いてゆくつつじを見守るのは、今どこにいるかもわからないしいの木のことを思う時間を、見つけては撫でているようなものかもしれない。
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