歌と人と生きたがる言葉について
amazarashiの「新言語秩序 ver1.01」の配信を観た。ちょっと忘れがたい衝撃だったので、新鮮なうちに書き上げようと思っていたがもうひと月もたってしまった。それだけ深い向き合いを求められる作品だった。
amazarashiは名前しか知らないでいた。大学の哲学の先生がそういえばちょくちょく引用していたが、さして興味をもたなかった。配信を知り、見てみようと思ったのは、ツイッターをながめていたらある人が強くすすめていたからだ。「言葉を一回でもころしたことのある人は見てほしい」と。
観終わって、むせび泣きながら感想を殴り書きしていて気付いた。この体験を「音楽体験」と呼ぶのにはためらいを覚える。あれは第一義に言葉の体験であった。頭で理解するのではなく、むしろ、頭のはたらきで受け止めようとしたところを食いやぶって内奥に達してしまう言葉の、体験であった。バンド相手にこう書くのは失礼かもしれないが、しかしああまで言葉を主役にしたライブも初めて観たのである。せっかく何も知らない状態で彼らに出会ったのだ。ロックやバンドやにこだわらずに、まずは正直に書いていこうとおもう。
※テキストの引用はamazarashi公式アプリ「新言語秩序」から。
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ライブのコンセプトをなす物語のテーマはこうだ。
「新言語秩序」は言葉のディストピアの物語です。ディストピア物語では、権力や大きな企業が支配する監視社会がよく描かれますが、今回問いかけたいのは一般市民同士が発言を見張りあう監視社会です。そしてそれは、現在のSNS上のコミュニケーションでよく見る言葉狩りや表現に対する狭量さをモチーフにしています。昨今感じる、表現をする上での息苦しさから今回のプロジェクトを立ち上げました。(秋田ひろむ「akt02.txt」)
現実的な問題意識に強く立脚しているのはまちがいない。けれども、現代社会への警鐘とか、批評とか危機感とかの言辞は、ひとまず脇においておきたい。出発点は「息苦しさ」という、個的で感覚的なものだからだ。
この物語において、「言葉殺し」は二重の意味をもっている。ひとつは、自警団「新言語秩序」と権力とが結びついておこなう組織的な「言葉殺し」。こちらは「言葉ゾンビ」(レジスタンス)たちから悪として敵視されている。そしてもうひとつは、「新言語秩序」の幹部である実多という女性が、ひとしれず自らの言葉を飲み込み続けてきた、そのたったひとりの「言葉殺し」。言葉を殺す人と守る人との陣営対立があるいっぽうで、ひとりの人間のなかでも言葉と言葉殺しがせめぎあっている。この実多の視点から語り出されるところに重要なポイントがある。マクロの「言葉殺し」だけを鳥瞰的に描くのではなく、ひとりの眼から描く「言葉殺し」に支点をおくことで、単純な善悪観は退けられ、実多という人間がまず浮かび上がってくる。
人間は言葉で作られる。
母が赤子に語る言葉。教師が生徒に諭す言葉。友との語らい。テレビ、ラジオ、本や音楽。ビデオゲームやインターネット。そういうものの積み重ねで人間性は形成される。
私にしたってそうだ。母から罵倒されて、父に辱められた。クラスメイトや教師達に貶められた。醜い言葉によって心を蹂躙された者は、それに相応しい人間になった。(「第一章」)
実多は、自分を作ってくれるはずの「言葉」をまともな形で享受できず、汚物ばかりを投げ与えられた反動で「言葉の潔癖症」のようになる。彼女は父を殺したときから、父と「言葉」とを明確に重ねており、父を殺すことを「言葉」を殺すことへスライドさせているのだが、なぜ母ではないのだろう。実多にとっての父は、言葉による傷というより、肉体を通した苦痛と強く結びついていたはずだ。このねじれには、言葉と実多との屈折した関係性がある。
父親に散々レイプされて、何十回目かの夜だった。もう悲しみも絶望も越えた地平に微かに残されたのは砂一粒ほどの怒りだけで、私はその怒りを鋳造した鉄打ちハンマーをコンクリートに打ち付ける代わりに彼の勃起した陰茎へと振り落とした。
彼はのたうち回った。その隙に顔面を目覚まし時計で殴った。何度も。
(中略)
目覚まし時計は壊れてしまったが、お陰で私はようやく目が覚めたのだ。
私は言葉を殺さなくてはならない。(「第一章」)
実多は父の「陰茎」を潰し、父の性の力を奪った。それは言葉を、毒にも薬にもならない「テンプレート言語」へ去勢してしまうことと照応する。また、実多にとって父とは、彼女の最初の物理的な「殺し」の経験だった。言葉には実体がないため、刺し殺したり殴り殺したりすることはできないが、実多はその「言葉」を父に重ねることで、「言葉」をも父と同じように物理的な手応えをもって破壊することができるはずだと、そうせねばならないと、自らに言い聞かせているのかもしれない。
しかしむろん言葉はそんなものではない。実多は言葉と父とを重ねたことで、殺した父から逃れられない道をみずから選んでしまったのだ。「言葉ゾンビ」の男に「カタワ(=身体欠損)にしてまるどオメエ」と怒鳴られたとき、「父親の姿がフラッシュバックし、条件反射のように涙が流れた」。殺した父の姿は、身体を害される恐怖によってたやすくよみがえる。実多の根深い傷は、彼女のめざす新しい言葉によっても救われはしない。「言葉ゾンビ」たちに実多が罵倒されたとき、「新言語秩序」のメンバーは「傍観するばかり」であり、結局は彼女を見捨てた「教師達」と同じであった。傷つけない言葉をめざした「新言語秩序」は、しかし、今傷つけられている人を守ることも、傷を癒すこともできないのだ。
実多は言葉によって傷つけられてきたが、これは根本的、徹底的な傷であり、彼女と言葉との関係は破壊されてしまっている。言語能力とはべつの話だ。ふつうに話したり書いたりすることはできても、彼女は、もっと深い意味での、自分のための言葉をもてなかった。
言葉に本来的に「自分の言葉」などあるわけではない。自分の語る言葉によって、自分が語られていることを自覚したとき、人は「自分の言葉」を持ったと感じるのである。人は言葉をたしかに道具として用いるが、その道具として用いた言葉によって、自己の存在全体が逆に露わにされるのを感じたとき、つまり、そのような力をもった言葉を語り得るようになったとき、人ははじめて「自分の言葉」をもったことを知るのである。人間にとって、言葉が道具でありながら同時に存在の根源をなす存在理由そのものとなるのは、この瞬間である。
(太字は原文では傍点。大岡信「戦後詩概観」『蕩児の家系』思潮社、1969年)
自己があってから言葉があるのではなく、その逆でもない。言葉と自己とは相互に深く関係しあい、つくり上げられてゆく。実多はこの機会をあらかじめ奪われていた。「醜い言葉によって心を蹂躙され」て育ったから、「それに相応しい人間になった」。生まれたときから他者の言葉によって暴力的に決定されてきた実多は、自分の言葉を、すなわち自分自身を殺されてきたのであり、それがいつの間にか、彼女自身の習慣にもなってしまっていた。彼女は自分を殺していることすら知らずに殺し続けてきたのである。
私は考えるのを止めた。言葉を消した。
「言葉を消した」という言葉は消えなかった。
「「言葉を消した」という言葉は消えなかった。」という言葉も消えなかった。 (「第三章」)
これが、実多の「自分の言葉」のめばえだった。消しても消しても、その消した事実を包含してよみがえってくる、ゾンビのような言葉。実多は「言葉ゾンビ」を自らの内に発見してしまうのである。
彼女が自分を解放するきっかけは、「言葉ゾンビ」のカリスマ・希明によってもたらされる。希明はデモの中で白眼視される実多に、「言葉殺しだって自由に話す権利はある」とマイクを差し出すのである。ライブ前に公開されていたテクストでは、実多はその隙をついて希明を殺し、「私は成し遂げたのだ。言葉を殺したのだ」といって物語は終わる。実多は自分を押し隠したままだ。この虚無的な幕切れは、ライブ当日、秋田ひろむの朗読によって書き換えられた。
酩酊の果ての嘔吐みたいに、閉じ込めてきた言葉達が胃の中から逆流するのを感じた。私は手で口を塞ぐ。そんなまさか、と私は思った。まさか、吐き出すというのか。殺したはずの言葉を。
希明からマイクを受け取った。(「第四章ー真」)
「自由に話す権利」とは、自分が何者であるかを自分で決める権利である。与えられたのでなくもとから持っていたこの権利のことを、実多は初めて知り、同時に気付く。自分が殺そうとしてきたのは、「言葉」という観念的な敵ではなく、まぎれもない「自分の言葉」であり、自分自身であったと。同時に実多は、ようやく「自分の言葉」を手に入れたことを知るのである。
実多の傷は癒えないかもしれない。けれども、傷ついた自分自身を、嗚咽しながらも自ら語ることによって、父から自分のもとに取り返すことはできよう。自分のための言葉。「独白」へのつながりは見事だった。
「独白」ははじめ、ノイズだらけ、歌詞カードも墨塗りだらけの「検閲済み」の音源だけが事前に配信され、あのライブで初めて「検閲解除」されたものが歌われたそうだ。amazarashiがあの場にかけた表現の密度はすさまじかった。彼らは、いちど徹底的に「殺した」言葉を、あの場にいたって、肉声によってあざやかに復活させた。そうすることで、言葉のもつ底知れぬ生命力を、最大限の輝かしさでひらいてみせたのである。
「言葉殺し」実多も、「言葉ゾンビ」希明も、どちらも歌い手である秋田の分身のようである。しかし、彼のシンパシーがより多く実多にあるところに、わたしは彼自身の、言葉に対する痛みをともなった切実さをみる。「独白」は実多の言葉にちがいなかったが、秋田自身の言葉でもあったろう。彼を検閲し、「歌うな」「話すな」と縛ったのは、世間や他人よりも前に、彼自身だったのではなかろうか。あの公演は「抵抗運動」と銘打たれていたが、それは世間の大勢へのものである以上に、言葉を殺してしまいそうな自分自身への「抵抗」であり、言葉そのものの上げる「消えたくない」という叫びだったのではなかろうか。
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わたしは音楽と言葉をなかば対立的に考えているふしがあったので、音楽という方法を持っている人が言葉に対してここまで本気になることに驚いたし、彼らがいかに表現行為に命をかけているかが、それだけ身に迫って感じられたのだった。
「言葉で表現できなくなったとき、音楽が始まる」とドビュッシーは言った。それは一面では真理だが、このステージを見てしまうと揺らいでくる、というか、「歌」はもっとちがったものなのではと思われてくる。「言葉にならない気持ちは言葉にするべきだ」と言いきる秋田は、音楽家である以前に、言葉とともにしかおれない人間であることを、倫理観や信念というよりずっと深く、自らのうちに刻み続けてきた人ではないかと思う。しかし彼は同時に音楽を選び続けている。その理由が、あのステージでは感覚的によく掴めた気がするのだ。先述のとおり、わたしはamazarashiも秋田ひろむのこともまったく知らなかったが、それでもあそこで叫んでいた彼の姿に嘘はなかったと、ひとつも欠けることなく届いたと断言できるのには、まちがいなく音楽の力が手伝っていた。
劣等感も自己嫌悪も 底まで沈めたら歌になった
死に切れぬ人らよ歌え (「リビングデッド」)
実多の物語が歌によって書き換えられ、未来が灯されたように、彼の中でも殺されかけた言葉は歌になってよみがえってきたのだろう。歌という、言葉の生理的な力が、彼から「歌うなと言われた歌」を、「話すなと言われた言葉」を引きずり出し、双方を新しい光で照らしてきたのだろう。自分のための歌を歌う彼の声が、聴き手それぞれの言葉をもまた共鳴させていく。
第一義に言葉の体験だったとはじめに書いたが、あのステージにかいま見られたものは、音楽と言葉との、新しく、かつ根源的な結びあいでもあった。彼らとの出会いにこの作品をもてたのは幸せだ。音楽にとっても言葉にとっても、amazarashiは希望をみせてくれた。わたしたちはなぜ表現をするのか、せずにいられないのか、その根本をがっちりと心臓にもつ人の叫びは、光だ。
今再び 私たちの手の中に
言葉を取り戻せ (「独白(検閲解除済み)」)