私記11
喫茶店にいた。はす向かいの二人がけの席を見ていた。人はいない。空いているのではない。椅子に上着がかけてあり、かばんが置いてあり、新聞がひらいたままになっている。お手洗いにでも立ったのだろう。気配だけがある。
そういう空間をみると安心する。帰ったのではないのだな。あのひとはまだ帰らなくてもよいのだな、まだ時間があるのだな、とおもう。ひとまずは、当面のあいだは、大丈夫だと、あの人が帰らないうちは、自分も帰らなくてよいような、気がするのである。テーブルに置きっぱなしの、財布や携帯電話には、少なくとも自分が席を離れている少しのあいだ、ここにいるだれも、盗ったりしないだろう、という無意識の信頼があり、そこに自分もいれてもらっているということが、みょうにありがたい。
古い換気扇が、ゆっくりとあっちを向いたり、こっちを向いたりするのが、音だけでわかる。煙草をつけると、その煙が、一すじに整ったり崩れたり、規則的にくりかえすので、換気扇の風向きが見えるのだった。
いつでもこんな視界であったら、と、ちらりと思う。
その人とは何のかかわりもなく、自分で手に入れたものではないし、とても短い期限付きだけれど、きれいなものはきれいだ。
歌詞をあまり確実にはおぼえていない歌を、口もとでたどたどしく探りながら、歩いて帰った。
あわてものの上に後回し癖があり、それが祟って払わなくてよい金をむだに払うはめになったりするとき、呪わしいほど自分にいらだつが、そしてそのいらだちは正確であり必要であるにちがいないが、そういうのからふいと離れてみたときの感じも、間違いではない、ということにしておきたい。
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