細美武士全詞集出してくれよ
細美さんの書く歌詞が狂おしく好きでその話ばかりしてしまう。狂おしく、は誇張ではない。憧れと羨望と嫉妬と信仰に近いような恋心、ふかぶか突き刺さって身をねじ切られるようなせつなさとで、もう本当に気が狂いそうになるくらい好きで、適切な言い方が見つからないので「身投げしたい」とか「棺桶に入れてくれ」とか、ずいぶん不穏な表現になる。身投げはしないが棺桶には入れる。出会ったときから一世一代の惚れこみである。
こんなふうなので、今までもいろいろ書いてきた。好きポイントは挙げればキリがないけれども、今回のとっかかりは「幼稚さ」。悪口じゃねーかと思われるかもしれないが、それがいいのだ。
迷い込んだ道で拾った
置時計の
隙間をこぼれ落ちた
砂はまるで
綺麗な宝石 (モンスター)
最後のところが「幼稚さ」である。「宝石」が綺麗なのは当たり前のことで、わざわざ言う必要はないから。しかしわたしはそこに惹かれる。なぜだろう。惚れた目でどこもかしこもいいように見えると言ったらそれまででこの文を終わらないとならないが、あながち贔屓目だけでもないぞということを、多少我田引水めいても書いてみたい。好きな曲の歌詞が最高〜ってことを好き勝手書いてるときが正味いちばん楽しいのだ。だから好き勝手に読んでくださいね。なるほどね〜でも、そうじゃなくね? でも楽しいです。お好きなところから読んでください。
Missing
英詞は対訳の話しかできないのが無念なので、日本語詞を中心に書くことにする。「Missing」の話をしよう。
MVにはエルレのライブ映像が使われている。シングルのジャケットも路地裏のライブハウスの光景。「夜の合図」に駆り立てられて始まる、「壁にもたれた 僕らの唄」という冒頭からして、ライブの空間に濃厚に重なるのがわかる。直接には歌われないけれど、あの場所の光のまぶしさ、爆音、充実感、興奮とエネルギー、それから、なんだか胸を締めつけられる思い、郷愁みたいな匂い、帰り道の寂しさ。あの一連の渾然とした感情は、「Missing」のメロディとよく同期する。この曲を好きな理由のひとつだが、歌詞も光るところが多い。サビの語尾に「て」が並んでいて、終わりない繰り返しのリズムが「Missing」の進行形とよく響いているとことか。まあ片っ端からいくと長くなるので、とくに感激したところだけしっかり書こう。
まず、オイなんだそれは!!と思ったところ。
あの火花みたいに
誠実なら
やられた。射抜かれてしまった。
うまい比喩表現は、対象の見えかたをより鮮やかに、豊かにしてくれるものだが、比喩ってむずかしいんですよね。手垢のつきまくって慣用句化した比喩は、逆に平板になって比喩の意味がない。かといって、あまりに珍奇な組み合わせでは誰にも通じない。手腕の問われる点ではなかろうか。
そのところ、引用部は抜群で、「誠実」という抽象語と、「火花」という強烈な視覚表象とをくっつけたのがすごいバランスだ。
一瞬だけ激しく燃え上がり、残像を残してあっという間に消える「火花」。燃えて消えるためだけにある熱と光の、儚いゆえの美しさ。そこに「誠実」を見いだしたのは独自のセンスであり、哲学でもある。そういう生きかたが彼にとっての「誠実」であること、またその「誠実」を彼が心から望んでいることが、焼きつくほどによくわかる比喩だと思う。
芥川龍之介の小説を出させてほしい。趣味なので許されたし。最晩年の作で、彼の自殺後に発表された。
八 火花
彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也烈しかつた。彼は水沫の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
架空線は不相変鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。(「或る阿呆の一生」)
自分を「阿呆」と呼ぶ彼は、生きることにわずかの希望さえ持てなくなり、もはやどうしようもない虚無のなかにいる。空っぽすぎて凄絶なほどだ。そんな彼が、一瞬の無意味な「火花」だけは、「命と取り換へてもつかまへたかつた」という。深い虚無のベクトルが正反対に転換した渇望のように見える。激しく燃焼するということの「誠実」さを、彼も「火花」に見て取っていたのかもしれない。
さて、気持ちとしてはここからが本題。なんとしても欠かすことのできないのが、次のCメロのところ。ここを書きたいがために書き始めたのだ。さっきのオイなんだそれは!!を出会い頭でひと息に通り越して、茫然自失するほど感銘してしまった。
ソーダの中の宝石
入っていなかった金貨
たやすく折れたナイフ
羽の付いた髪飾り
珠玉である。宝石、金貨、ナイフと、硬いきらめきをもつものを並べて、最後にふわりと「羽の付いた髪飾り」を置く、この流れもすてき。しかし何より、「Missing(失いかけ)」を名詞に託すのがこんなに上手いことある? と驚嘆したのだ。ちょっと分析してみる。
「宝石」はソーダの中にある。硬くたしかな存在感をもつ「宝石」のかがやきは、しかしここでは泡に包まれて、幻影のような淡さでしか届いてこない。「入っていなかった金貨」とは、どこに入っていなかったのだろう。ここの眼目は金貨そのものではなく、あると思って手を突っ込んだら、なかった、その空をつかんだ手のむなしさである。「たやすく折れたナイフ」は、そのもの「ナイフ」という曲と比べてみよう。夜のなかを「狩」に出かけるための「磨き上げたナイフ」。あのナイフは、欲しいものをつかみとり道を拓いていくための、信頼できる味方であり、武器だった。ここに「たやすく折れたナイフ」を並べてみると、この「たやすく」にこめられた幻滅、失望がよくわかる。信じていた強固さがあっけなく砕けてしまった、呆然たる感じだ。
最後の「羽の付いた髪飾り」は、この四行の中で唯一、他者の気配が感じられるところ。たぶん女性。「羽」のあまりに軽くたよりない、しかしやさしい肌ざわりが、指をすり抜けていってしまったそのひとの後ろ姿に重なるようにも聴こえてくる。君とかあなたと言わずに、そういう存在を絶妙に匂わせている。
ここにある宝石や、金貨や、ナイフや、髪飾りは、まだ視線のとどく範囲内にある。思い出になりきってはいない。けれども、古い映画のフィルムを見ているような、セピア色のもやがかけられてもいる。手のひらに握った手触りをしかと覚えているのに、今はさわれない距離があるのだ。みな、失われかけている。だからこんなに大切に歌われる。この四行の構成は本当にみごとだ。
そして次の行。
一滴の水で泳ぐ
勝算みたいなもの
あたたかい毛布も
大切なんだ
この「みたいな」の位置がいい。「一滴の水で泳ぐみたいな勝算」ではないのが非凡と思う(メロディと合わせる都合でそうなったのかもしれないが)。ただでさえ小さな「勝算」がさらに不確かに、おぼろげになる。
さて、こう見てくると、最後の「あたたかい毛布も/大切なんだ」はなんだか急に素朴すぎて、前行までの体言止めの余韻をまとめるのにはいかにも物足りない。ええ、そんな、「大切」ってことはいやというほどわかるんだから、わざわざ言わなくてもいいじゃないの……という。「幼稚さ」が感じられるところだ。しかしながら、このすわりの悪さにむしろ、言い切れないことが折りたたんで詰め込まれているようにも思うのだ。「あたたかい毛布」なんていう陳腐なほど身近なものを、あるかないかの「勝算みたいなもの」をかけて「大切なんだ」と表明する、その「大切」のさし迫った密度たるや。
つまり、ちょっとリズムが悪くても、幼稚でも、陳腐でも、どうしても言いたかった「大切」なのだろう。あの手この手、いろんな比喩をつかって言ってきたけど、結局、シンプルな一語を重ねるしかなかった。むだで余計で、言わなくてもいいことに見えるけれど、スマートさを犠牲にしてでも言わなくてはいけなかった。100を通ってきた1にはぼうだいな思いの大きさがある。はじめに挙げた「綺麗な宝石」というひどくありふれた表現にも、いろいろ迷ったけどそうとしか言えない、噛みしめるような「綺麗」がこめられているのかもしえない。
ただ、この手の素直さはたまに出てくるからいいんで、かりに全部がこんなふうだったら、いくら100あるんですと言われてもいや1にしか見えませんが…となる。MissingのCメロも、そこまでの巧みな六行があるから、最後の率直が効いて、100あることがひしひし伝わってくるのだ。はじめに言った「幼稚さ」の意味、わかっていただけただろうか。
月
もひとつ、なんじゃこりゃあ、と衝撃受けた歌詞の話。「月」は、タイトルが「月」なのに「月が陰る」から始まるのがエルレらしい暗さだ。
風の吹く音 夜空の星座
そういうものには勝てない
ただ少しだけ 君のこととか
思い浮かべて 眠った
この「勝てない」にも、わたしは相当ショックを受けた。自然の美しさに対して、勝ち負けの観点が出てくることじたい、芸術家の感性だとつくづく思った。このひとは、風の吹く音とか夜空の星座みたいな歌を、つくって歌いたかったのかしら。静かで寛大で、普遍的でありながら刹那的な、生きるせつなさの全部がその一瞬に入っているような歌を。「月」や「ビルの底 沈む夕日」も、おそらくそういうものに含まれる。でも「勝てない」。このひとことの厚みはすごい。「そういうもの」みたいな歌を歌いたい、そういう人になりたいという熱望も、それがかなわない無力も、両方しっかり射止められてある。
風や星座を美しいものとして歌うのはいかにもロマンチックだが、ここのメインはそっちではない。「そういうものには勝てない」と思う自分である。だから「月」は「陰る」ところから始まるのだし、「それを見てる」自分が現れてくるのだ。
星や月によせる古典的なロマンは確かにあるけれど、同時に自分をしっかり見ている。圧倒的に足が地についているのだ。それでいて、卑屈になったりねじ曲がったりもしない。目の醒めているロマンチスト。さっき「無力」と書いたが、それは絶望的な意味ではない。この「勝てない」が、否定形にもかかわらず、あかるい開放的な響きをもっているのは、自己否定ではなく、自分の等身大を過不足なく認めた言葉であるからだと思う。
それゆえ、次の「ただ少しだけ 君のこととか」も、ささやかながら、そのことによって逆にすごい存在感があることがわかる。無限に近い自然にたったひとり対置される「君」は、ちっぽけでも明るく確かなろうそくの灯のようだ。
少し話がそれるが、この「少しだけ」、いいなと思う。「おやすみ」の「明日は少しだけいい人間になろうと思う」、「明日は少しはましだと思うから」とかと同じだ。「少しだけ」と彼がいうとき、それはじつは全然少しじゃない。質素で謙虚だが、逆説的に、自分の持てるのはこれだけだがその全部をかけますってくらいの重さがある。「明日はものすごくいい人間になろう」というのと、「明日は少しはいい人間になろう」というのと、どちらがより実感ありますかって話。だから「月」での「君」の存在もそれだけ大きいのだろう。風や星座と同じくらい遠い人でもあるのかもしれない。風も星座も「君」も、どれもが「僕」 と遠く、それでも断絶することなく、癒着もしない場所でつり合って、みんなきれいだ。
「僕」は寂しそうではあるけれど、これらの遠いものを遠いまま(むりに自分に引きつけたり、逆に切り離したりせずに)、慈しむことができているように見える。この「僕」は比較的らくに眠れていそうだよね。歯が浮くようなこともないし、落ち込みすぎてもいない。今ここにないものへの鋭い感受性はありつつも、それがひりひりと傷ついた形ではなく、澄んだ柔らかさとして出てきている曲だと思う。
「月」の歌詞で使われている単語そのものは何ら難しくない。けれどもその組み合わせによって、こんなに豊かな陰影ができている。誰もが知っている言葉で微妙な心を表すのは、むずかしい言葉を使うよりよっぽどたいへんなことだ。わたしが細美さんの歌詞を詩だと思うゆえんのひとつである。
Ghost In The Rain
これは全編英詞で、やっぱり対訳の話しかできないのだが、別格に大切な曲なのでどうしても入れたかった。
僕は雨に立つ亡霊
虹
君は僕を見分けられない
雨に立つ亡霊
変わらぬもの
君はそのまま進むんだ
やがて世界が君を見つけ出す
たいへんなとき、この曲を聴いて毎日だばだば泣きながら歩いた。今もときどきお世話になる。「やがて世界が君を見つけ出す」、この一節にどれだけ救われたことだろう。大丈夫、そのままで絶対大丈夫!と背中を叩いてもらっていた。
引用部はサビのところで、一行ごとにぽんぽんぽんと置かれたような印象がある。言葉どうし、行どうしのつながりは曖昧だ。それゆえに一行ずつがすっきり直立し、厚い雲を突き抜けて太い光が差しこんでくるようなまっすぐさがある。
対照的に、ここにたどり着くまでの歌詞はなかなか混沌としている。
基本計画にそって
バリケードに向かっている
多様性や懐疑心が頭をよぎる
僕はそれを弓に塗りたくり
弦の音に耳をすませると
結末のささやきが
台詞に滑り込んだ
一語ずつ解明していくのはむずかしい。ただわかるのは、「結末」がいよいよ近いこと、「僕」はそれを自分で迎えねばならないこと、けれども迷いがあって、終わらせようとする自分をどこか他人ごとに思っているようなこと。そういう印象だけをぼんやり受ける。むしろ断言をことさら避けているような回りくどさも感じられる。わたしがとっかかりにした「幼稚さ」とは正反対だし、エルレの歌詞ともずいぶん種類の違うことばだ。
このあたりのことを考えていたとき、細美さんがシュルレアリスムにはまっていたというインタビュー記事を読んでたいへん納得したおぼえがある。
シュルレアリスムは第一次大戦後のヨーロッパで生まれた芸術運動で、日本語では「超現実主義」。現実を超えた現実ということで、「非現実」とは違う。いろいろ要素があるがすごく簡単にまとめると、自明のものに思われている「現実」を疑い、そこに内在する別の現実を追求する(本当に簡単すぎる要約なので気になった方はお調べください)。普通は絶対につながらないものをつなげたりして、「夢の記述」と言われもした。有名なのはダリのやわらかい時計の絵。「Trash We’d Love」の内ジャケにある歪んだ絵や、コラージュを駆使した「ANOMALY」のジャケットには、大きな類縁性を感じる。
表面的な近さだけではない。動機にも近しいものがあると思う。
いっけん奇を衒ったようなシュルレアリスムだが、それなりに深刻な発端があった。ひとつは第一次大戦。人類はじめての科学戦争で、それまでにはあり得なかった壮絶なレベルの破壊と死がもたらされた。常識が、安定した現実が、ひっくり返ってしまったのだ。そこで疑いが生まれる。見たままの世界って実は全然信用ならないのではないか? 自分の見ているものは本当に現実なのか? と。自分にとっての現実が、従来の方法では描けなくなってしまった。そこからまったく新しい表現が生まれてきた。大戦の影響が少なかった日本でもこれが受け入れられたのは、関東大震災での大量死・大量破壊を経験していたからだ。
そして細美には、彼の「すべてだった」エルレの休止があった。
彼がどれほどの失意の中にいたか、想像しきれるものではないが、それまで通りのやり方ができなくなったであろうことは理解できる。エルレの歌詞とは違う種類の言葉で象られた「Ghost in the rain」の混沌には、シュルレアリスムとの根本的な共鳴があるように思う。
しかしそれでも彼は音楽をやめず、バンドをやめなかった。何もかも変わってしまったようでも、自分は自分以外では結局ない。彼は本当に音楽が好きでバンドが好きで、そこだけは揺さぶられても折れなかったのだろう。憶測で書いて申し訳ないけれど。「Ghost In The Rain」が、めまぐるしいところを突き抜けてあれほど率直なメッセージ性にたどり着くのは、そういう彼自身の切実さと結びあった構成に思われてならない。いったんぐちゃぐちゃにかき混ぜてまだ残った芯の部分、ともいえるだろうか。だから「変わらぬもの」が出てくるし、「君はそのまま進むんだ」のゆるがない力強さがある。
「僕」と「君」のこと、わたしは同じ人と考えている。青白く希薄な「亡霊」になって、「多様性や懐疑心」に囚われた自分がいる一方で、「変わらぬもの」を背負って前進し続ける自分もいる。亡霊は立ちすくんでもう一人の自分を見送っている。
この歌詞では、「亡霊」の側が「僕」である。つまり、もう進めないほうの自分の側から語っている。そこが、やさしくて丁寧で、いいなと思うのだ。過去の自分を、はじめから捨ててしまったり、打ち勝つ相手にしたりしない。やがては消えてしまうであろう「亡霊」の位置にまず立って、「君は僕を見分けられない」といい、「君はそのまま進むんだ」と、自ら決別を言明する。ありていにいえば、「亡霊」をちゃんと成仏させている。どちらの自分もちゃんと大切にされていることがわかるのである。
「結末」を迎えるべき自分から、変わらず歩み続ける自分へ投げかけた、精一杯の光りがこの歌だ。「やがて世界が君を見つけ出す」。この断言は、誰へ向けられるよりも先に、変わらなかった自分自身を強く信じようとする言葉だった。彼のそういう姿勢がわたしを打ち、勇気づけてくれたんだろう。
ひらがなについて (結び代わりに)
好きに書いたらだいぶ広がってしまった。つごう三曲しか取り上げられなかったが、まだまだ書きたい歌詞がいっぱいある。またの機会に。
最後は余談にしておくが、これも萌え語りです。
わたしは細美さんの、ひらがなの使いかたがたいへんに好きだ。意識しているのかどうか知らないが、用字の印象をかぎ分ける嗅覚がたまにひらめいて見える。ブログなんかの文面で「ほんとうに」がひらがなで書かれるのなんか、息づかいが聴こえるようですてきだ。
いちばん衝撃だったのは、「指輪」の歌詞でまる一行ひらがなだったところ。
そんなひともういないから
これはもう絶対に「人」とは書きたくなかったんだろう、となんとなく思われる。「そんな人」と書くと心理的に関係が絶たれて他人になってしまう感じがあるから。「もういない」けど、「僕」にとってはまだ「ひと」と特別に呼びたい存在なのだ。この一行の幼さは、なまな傷口に直接さわったようで胸にくる。
用字は歌詞カードを見なきゃわからないことで、歌詞としては本質的でないかもしれない。けれども、文字情報として出てる以上は、こういう受け取り方も楽しいものだ。というか、そこもおおいに惚れている部分なので、彼のこのセンスがもっと立ち上がって見えるようなアプローチがあってもいいじゃないか、あってくれよお、とわがまま言ってみたくなるのだ。
詞集出ないかな。歌詞は「読む」もんじゃないという意見もわかるし(そういう人はこれ読んでないと思うが)、人一倍ライブを大事にする彼のこと、音楽から言葉だけ抜き出すなんて全然ちがう、と怒られるかもしれないが。そしたらごめんなさいとしか言いようがない。でもいちど全部縦書きにしたりしたら、違う見方ができておもしろいかもしれませんよ。まったく新しいリズムが発見されることもあろう。もし出たら5冊買って、それぞれふつうに読む用、書き込み用、保存用、人に貸す用、棺桶に入れる用にすると決めてる。いつまでも待ってますので。