所感いくつか
バンプの18祭みて思ったことの整理。バンプのことというより自分のいま抱えている問題意識がこの機に明らかになったので、そのメモ。
・NHKの音楽番組はアーティストを大切にして熱意を持ってつくってるのがわかるのでけっこう好きだが、この企画の「みんな一緒に」というベースが今回はかなり引っかかった。RADのときは普通に楽しんで見たので、バンドに対する自分の思い入れの差だろうと思う。あるいは「響きあう」「調和する」ということに対して持ちはじめた警戒心。バンプの「一対一」とどう噛み合うのか、噛み合わないのかみたいなこと。
・藤原さんがコロナにかかって収録が延期になったことについて、「『心配しなくていいよ』とか『それまで練習して待ってます』というあたたかい声をたくさんいただいて嬉しかった」というようなことを本人が言っており、それ自体はいいんだけど、いいんだけどというかわたしがいいとか悪いとか言うことではないけど、気にしたのは、「あたたかい声」なんか到底かけられないという人もたぶんいたろうということ。悔しくて仕方がないとか、無念でしょうがないとか、やさしい言葉なんかどうしても出せないという人。「来られなかった人の分まで頑張ります」って言っていた方はひゃくぱー善意なんだろうが、それによってさらに「行けなくて悔しい、悲しい」という人のやるせなさが追いやられてしまわないように、そういうひとが自分を責めずに過ごせているようにと思っている
・あるいは初めからたったひとりで、誰とも何も分かち合いたいと思わず、誰とも出会いたいと思わず、本当にたったひとりきりで、バンプを聴いてる人もいるんだろう
・「響き合い」「重なり」が「不調和」「不協和音」をどうか排斥しないように…というハラハラした気持ちがあるんだが、「窓の中から」は(まだ一回しか聴いてないからはっきりしたことは言えないけれども)一人一人の「不可侵領域」に立脚しており、また年齢を限定する言葉を使ってないのも相変わらずで、それは良かったなと思ったところ それぞれがどう受けとるかは自由なわけだし
・出ている参加者の方たちがみんな楽しそうで、会えて良かったねとか言い合っていたのも含めて、やれてよかったね〜と思ったのも本当。若者の泣き顔に弱いのでもらい泣きする
・最近のバンプが「ひとは独りである」というところから「だからこそ共にあれる、ありたい」というところへより多くの重心をかけているので、そのモードが18祭とちょうど響きあい、「共にありたい」の部分が大きく前面化したということでしょう
・わたし自身は「共にありたい」の部分に打たれるので新曲は好き
・でもそうやって出会った結果自分のどうしても譲れない部分がぶつかったりすることもあるわけじゃないですか vs そうやって出会ったこと自体が尊いことなんですよ
・後者の見方がほんらい調停させてはならない対立までも前向きな顔の内に飲み込んで現実的な問題を抽象化し解消してしまう可能性があるということ(和解させてはならない対立というのは、ある)分けられないものの存在を忘れてはいけない これはべつにバンプのことではないけど、最近わたしがバンプのことを考えるときには無視しようとしてもくっついてくる視点になりつつもある
・どうしてももっと本当にはみ出しまくっているたった一人のことを考えちまう 自分がそれであるわけでもないし、考えてもしょうがないけど
・「ガラスのブルース」を作ったとき、それを聴いた友人が自分のことを話し始めた、そんなことは初めてだったという藤原さんの話で、バンプの曲が持っている「聴き手の何かを引きずり出す力」を確認した。こうやっていろいろ書かずにいられなくなるのもたぶんそう。そりゃ解釈違いも出ますわね 自分を賭けて好きでいるんだから(本人にその気があろうとなかろうと)
・参加者の方たちの話す言葉の中で、ピアノを弾いていた方の選ぶ言葉や話し方が、たくさんいろいろ考えたんだろうと推察される「おくれ」を持っていて、それが、良かったと言っていいかわからないが、印象に残った。彼女の長い濃い時間(たぶん歓迎できない長さや濃さも入っている)がほんの一角でも感じられるような気がした。本人にとって言葉にできないこと、つらすぎるとか逆にうれしすぎるとかどちらでもなさすぎるとか、の、巨大な、他人にはとうてい見せられない影があることが、言葉をとおしてわかるとたまらなくなる。彼女が楽しそうで良かった
・「俺たちは不遇の世代ではない」というコメント書いてる方がおり、すごいな頼もしいなの気持ちと同時に責任も感じた。大人のわれわれはちゃんと選挙へ行き、彼らがこれ以上きつい思いをしない社会にしましょう