ランブルフィッシュ・マーマレード
「ムーンロック・フォー・マンデー」をみた後、一番心に残っているのは車の外で、車の中のマンデーにむかって踊ってみせるタイラーの姿、サングラスをかけて気取っているタイラーの顔で、最後までみてしまってからは「どうしていいかわからないんです、すごく怖いです」という電話越しの静かなタイラーの声が、どの景色にも遡行していって、明るい表情や動作の全部が空元気の色彩でよみがえってくるが、同時に、そんなふうにみるな、という声もしてくる。踊るタイラーの爽やかな身のこなしと、電話の声の間から。
タイラーは、母の形見を取り戻すなりゆきに、たぶん貧困などの背景もあって、犯罪に犯罪を重ねる形で警察官を撃って追われる身になる。どんな人でも、代わりのいない唯一個であることと大多数の一にすぎないこととの間を行き来しながら、二つを両立させて生きているが、ひとたび権力にマークされたものは、後者の、だれでもいい匿名の人間であれる場所や時間をとことん剥ぎとられることになる。タイラーは(おそらくいままでは社会に無視されてきたのに)いきなり過剰な唯一性をおしつけられて、すれ違う人に犯罪者として識別され、あるいは識別されるのを恐れたためにまた新しい犯罪をつくり、逃げれば逃げるほど犯罪者としてマークされた唯一性のなかに閉じ込められていく。
「わたしをなにかで代わりにしないで」とはタイラーと別れたマンデーが父にいう言葉である。難病で十六歳まで生きられないと宣告された時間のなかで、父によって適度に甘やかされ適度にしつけられ、病院に行き薬を飲み副作用をやり過ごして、それは一人娘として大切にされているには違いないけど、自分の本当にしたいことをその「大切」に閉じ込められているマンデーもまた、唯一性の過剰にむしばまれていることを気づきながらも、たぶん自分の世話のために仕事をやめた父への負い目から強く反抗しないでいる。それが、死んだうさぎの代わりとしてやってきた「うさぎ2番」のふいの逃亡から破れをきたす(ここだけは不思議の国のアリスみたいな筋だ)。
二人とも母親という代わりのない存在をなくしていて、その大きな空虚のいっぽうに、自分の代わりのなさが重苦しくのしかかる、アンバランスな生を生きている。自分のなっとくできる等身大の、生きていく助けになるような、本来そういうものであるはずという前提で語られるお題目の「代わりのなさ」は、二人のところにはやってこない。
たとえば他人と比べて落ち込んだり嫉妬したりするという悩みへの対処として持ちだされる「代わりのなさ」、唯一個の概念は、念仏みたいなもので、自分がそれを適切な慰めの位置に当てはめることで勝手に慰められて楽になる、そういう「使われる」たぐいのものだけど、タイラーとマンデーの「代わりのなさ」はもっと恐ろしく大きくて手に負えない。かえのきかないものをなくした二人に、それとは異なる文脈での、でも本人にとっては避けられずつながっている文脈での、「あなたの代わりはいない」という周囲からのメッセージが、どんなに苦しい囲繞だったか。
二人のムーンロックへの道のりはそこから脱出するものでもあった。マンデーがウルル(エアーズロック)をムーンロックと呼び続けること、二人にしか通じない怒りの表現、吠え声、最終的に全然違う場所をムーンロックと名づけ直すこと。全部そういう小さな解放の光の連なりだった。
わたしの代わりはいない、それは、わたしが何だとか、過去に何をしたとかから、今ここにわたしがいること、今ここで何かをすることへと抜け出して、そこに、同じように抜け出してきたあなた、タイラーにとってのマンデーと、マンデーにとってのタイラーがいることで、その足元から立ちあがるものになる。
踊るのは寂しいから。踊るのは悲しいから。踊るのは怖くてどうしていいかわからないから。違う。寂しくて踊った。悲しくて踊った。怖くてどうしていいかわからなくて、踊ったのだ。理由は行為を覆い隠せない。行為は理由を越え出てそのときの全部になり、次の行為を呼ぶ。タイラーが逃亡にマンデーを連れていったのは、犯罪者でないことを装って警察の目を逃れるためだった。結局それは誘拐というべつの犯罪になり、また「女の子を連れている青年」というより識別しやすいマークになってしまうのだが、それも逆転する。タイラーはマンデーを連れて行った。一緒に食事をし、眠った。ムーンロックに連れていくと約束をした。マンデーのために薬を探した。笑って大声をあげ、歌い、焚き火のまわりを飛び跳ねて踊った。マンデーの目に映ったそのタイラーの姿は、装いでも偽物でもなく、刹那的な享楽の態度でも自棄でも空元気でもなくそのときのタイラーのすべてだ。
結局理由はどこまでも追いかけてきてタイラーは殺されてしまうが、最初の理由だったものをタイラーは最後には手放してマンデーにわたしてやるし、マンデーはやりたいことを全部やる人生を選ぶ。行きたいから行く。やりたいからやる。マンデーがもとからもっていた、自分の「代わりのなさ」を行為の連続として内側から創出する力を、走って、なわとびして、歌って踊って、くるくるまわって地図を指差して、にっこり笑う、そういう姿で示していたと思う。