自分の本心を隠す隠れ蓑
「誰かのために」
これは素敵な想い。
でも、「誰かのため」と言いながら、
「誰かのせい」にしている時があります。
自分の本心は違う所にあるのに、その想いに素直になるのが怖いから、言い訳として「誰かのため」と言う。
これは自分が意識していない所でやっています。だから故意にそういう言動をしている訳ではないんです。
でも自分の深い部分では、自分の見たくない所、見たくない本心を隠すため、そのような言動をしているという事が結構あります。
例えば、先日学生が両親の離婚について振り返っていた中で、
自分は中学生頃から両親の関係に違和感があったが、母親が「子どものため」と言って夫婦生活を続けていた。
自分にとっては「子どものため」っていうのは嫌だった。言い訳だろうって思ってた。
両親が離婚した今の方が、両親と色んな話が出来て関係もいい。
というような話をしていました。
私も離婚を経験していますが、親側の立場として同じような経験をしています。
夫婦関係に終わりを感じていたけれど、離婚を切り出すこと、相手や周りの反応、子どもの事、離婚後の事、そんな事を考えるとどうなるか分からなすぎて、怖くて、前に進めず、結果「子どもの幸せを思うと…」と言って自分の本心に蓋をして、逃げていました。
これは本心を隠そうと思っていたわけではありません。「子どものために」と考えていたのも本心です。
でももっと深い意識の部分では、やはり自分の本当の気持ちに蓋をするための言い訳でした。
自分の本当の気持ちを隠すための「誰かのため」をやっていると、自分もどこか辛かったり、疲れたりします。心のどこかに何か引っかかっているような感覚があったり。
表面的には幸せに見えたり感じたりするけど、何か違和感がある、そんな感じです。
私自身、自分の本心であった別れるという「自分のため」の選択をした事で、子ども達との関係がより良くなり、子どもの学校の先生からも(子ども達が問題起こしてた訳ではないですが)前より自分を出せている、生き生きしていると言われたのを覚えています。
「自分のため」を無視した「誰かのため」はどこか、誰か辛いです。あるいはみんなちょっとずつ辛い。
自分の我慢や犠牲の上の「誰かのため」は綻びが出ます。
もし気になる事があったら、自分の深い所にある本心を覗いてみて下さいね。
そしてできれば、本心の通り行動してあげて欲しい、自分のために。
私はやっぱり、自分も幸せ、周りも幸せがいいなと思います✨