SideM 10周年お祝い短歌について
🎊㊗️ SideM 10周年 🎂🎊
おめでたい節目にあたり、担当5人の短歌を2種類ずつ詠んだ。
残さないと忘れるので、詠む時に考えていたことを残す。
① CODイメージ
🎀Heartmade Cookies
🌟Life’s SideMenu!
🦈「また明日」の約束を
🐉Amber Color Oasis
🪖「また明日」の約束を
🎀
ハート型切り抜く勇気で背を押すよ
オープンはきみをあまく焼き上げ
⭐️
Which of the many beautiful yourself will you choose? Have fun worrying!
🦈
何回も聞くうち好きになれたんだ
寂しさとも手を繋ぐ三文字
🐉
もう見えない灯の色 カラントサンライズ
まだ見えないだけの希望添えて
🪖
遅くなる靴音お互いかたっぽの祈りは揃えて
「じゃあまた明日」
②【10】にちなんだ短歌
🎀
暗転の土から躍り出るケイトウ
魔法の終わりに手を振ればまた
⭐️
Remember, our motivation for ten-strike is your delight and marveling!
🦈
あの頃の「いつか」陽に透かして噛んで
3+1人分の琥珀糖
🐉
遠ざかるサイレン止まりかけた足
虹は積乱雲さえ昇る
🪖
愛のミサイル充填完了 些事に笑う
君を照らせる祝砲であれ
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〜 詠む時に考えていたこと 〜
①最初の5首を詠む際のテーマ
「CODから1つを選び、主題にする」
🎀
ハート型切り抜く勇気で背を押すよ
オープンはきみをあまく焼き上げ
・クッキー型を切り抜くこと、わくわくクッキングの面もあるが、自分は「形を確定させてしまう」ことが怖いと思ったことがある。
咲ちゃんも「かわいくいること」を通す勇気だけじゃなく「自分は何を求めているか/相手から何を求められているか」「この形で本当にいいのか」に悩むこともあるんじゃないか、と思った。
それでも進もうとする咲ちゃんを応援したいので、型押しと背中を押す、両方の意味を込めて咲ちゃんを素敵なクッキーとし、オーブンへ送り出すことにした。
・オーブンは「open」ともかけている。
ステージの幕開け。あつあつの会場。時には厳しい本番の場。咲ちゃんを送る/贈る想定だったが、咲ちゃんが誰かを送り出しているのかもしれない。
🌟
Which of the many beautiful yourself will you choose? Have fun worrying!
・座右の銘と49Eソロ「Life is Beautiful!」に含まれるbeautifulを入れたかった。
・yourselfのところは、同じ音数でCODのA面にちなんだ言葉を入れたかったのでdishes(料理)。きみという料理。両方読むのではなくルビ読み。
・幸せは自分で決められる(WTハワイ)ので、思うままに生きること、好きな自分でいることは選べるんだよ!の気持ちを込めてchooseを使った。
「choose」は納得した上で選ぶ(広く使われる)、「select」はフォーマルな場での「選択」に使われる、とのことなので、前者を選んだ。
・Have fun worrying
舞田の(悪い想定を全くしないわけではないのに)いつだって楽しもうとする思考がだいすきなのと、悩むひとには突き放さずに声をかけにいくだろうなと思ったので、ポジティブすぎるだけでもネガるわけでもない言い方を選びたかった。
🦈
何回も聞くうち好きになれたんだ
寂しさとも手を繋ぐ三文字
・詠み手は「またな/ね」のつもりだったが、「(また)今度/明日」という言葉でもいい気がする。
寂しい気持ちと手を繋ぎながら、次の約束を一緒に待ってくれる言葉。
・「何回も聞くうち」に、なので最初は好きになれなかったんだな、と捉えられるようにして、相手と別れることを心から寂しがっている英雄をイメージしながら詠んだ。
・お別れの言葉が寂しいだけじゃなく、それを少しずつ重ねて「相手と交わせる」こと自体をうれしいと思ってしまう、そんなやさしい性根を英雄は持っているような気がした。
何回も「言ううち」じゃなく「聞くうち」にすることで、自分本位ではなく相手のことをとても大切に思っている、というニュアンスをそっと入れてみた。詠んだ人間はそういうものを込めた、というだけの話。
本人のつもりだったが何かの役でもいい。
・触れないからこそのやさしさもあるが、英雄は触れようとする気がして「手を繋ぐ」という言葉を入れた。
詠み手はサイスタのユニット新衣装グローイングブライティにおいて、英雄の左手が素手なのを見て「利き手(一番力を入れられる方の手)をグローブで守らず肌を晒し、相手に温度を分け与える」イメージを持っているので、英雄の歌に「手を繋ぐ」という言葉を入れたかった、というごく個人的な理由もある。
🐉
もう見えない灯の色 カラントサンライズ
まだ見えないだけの希望添えて
・カクテル言葉は「希望」。
誕生花のように日付が当てはめられているものを選ぶか迷ったが、カクテル言葉にぐっときたのでこっちに。
龍を太陽だと思っているので、太陽に縁のある名前や意味のカクテルを選びたかった。
・個人的に、龍の瞳は夕方にも夜明けにも見えると思っていて、どっちかに確定させなくてもいい(どちらにもなれるアイドル)! と開き直って朝夕どっちの情景も意識した。日が沈んだ後のバーで、明日のことなんて考える余裕もない/考えたくないひとにも、そっと希望の意味を持つカクテルを添えて、明日の太陽を黙って一緒に待とうとするイメージ。
詠んだ時には考えていなかったが、いつも明るくて賑やかさの絶えない龍の短歌を静かな雰囲気に出来てぶっちゃごりごり昂っている。詠み手は太陽みたいな人間の静謐が好き。
・希望は注がず、添える。押しつけない。
cwm劇中劇の理央が半分、龍が半分くらいのイメージ。
🪖
遅くなる靴音お互いかたっぽの祈りは揃えて
「じゃあまた明日」
・49Eソロ「Tick Tack Voice」2番の歌詞が大好きなのでその要素を入れた。特に「ある意味では勝手なのかも 幸せであってほしいとか でも人らしい感情だって気付かされてきたんだ」の部分。
これを「ある意味では勝手」→一方的→「かたっぽ」という言葉にした。
「靴」「かたっぽ」という、一緒に使うことのできる言葉で雰囲気を揃え、「かたっぽ」=「ある意味では勝手なのかも」しれない感情、祈りの表現として使った。
そのかたっぽが揃う=分かれ道にさしかかり、ふたりの歩調が止まる(そして別れ際、ふたりとも相手のことを想って祈る)、という情景をイメージ。
きっと足は寂しそうにそっと揃い、また分かれていく。
・「お互い」としたのはわたしのエゴ。
誠司さんの歌う想いが片道の勝手ではなく、相手にもきっと伝わっていくはずだ、という祈りを込めている。
もどかしい両片想いのようで微笑ましい歌になったのは、「Tick Tack Voice」のいじらしさと『「また明日」の約束を』の暗く沈んでしまわない祈りを、役のように本心で歌う誠司さんがイメージにあったからかも。誠司さんが本当に歌の場面と同じことをしているかどうかは関係なくて、それが歌の素敵なところだと思う。
・今回のテーマ「CODから1つを選んで詠む」にあたり、誠司さんは割とすぐB面にしようと決まった。
誠司さんにとって「また明日」を誰かと交わせることはとてもうれしいことなんじゃないかと思う。
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②10にちなんだ編
テーマ「じゅう/テン/とお を入れる」
🎀
暗転の土から躍り出るケイトウ
魔法の終わりに手を振ればまた
・8/19誕生花ケイトウ。花言葉は「おしゃれ」「個性」「調和」。
炎のようなシルエットの花で、7〜11月に咲く。
・詠む時、Dear you, Cheers!!とReversed Masqueradeが頭にあった。
「いつかは夜も明けて夢の時間も解けてしまっても」、「心にかけた魔法はnever end」。
もう一度かけるにはたくさんの力が必要になる。それを可能にする(力の一番前に立っている)かっこいいアイドル、水嶋咲のことを詠みたかった。アイドルだけが頑張っているわけじゃない。それがアイドルの努力を否定するわけでもない。
また、の続きを入れないつくりにしたのは、また始めるために必要な夥しい努力の重みも込めたかったから。すぐにまた始められる、みたいな言葉を入れたくなかった。
とはいえ、「また」で止めることによって生まれる余韻を期待として解釈するのも楽しいなと思う。
・暗転を花咲く前の土に重ねてみた。踊るし躍る。咲という名前が活きる歌になっていたらいい。
⭐️
Remember, our motivation for ten-strike is your delight and marveling!
・Don’t forget=「忘れるなよ!」、Remember=「(知っているはずという前提の上で)覚えていてね」。後者の意味を見ていいなと思ったのでRememberを採用。
・delight:喜び。楽しみ。
この言葉は、最新のCDシリーズCIRCLE OF DELIGHTがSideM10周年を迎える2024年7月にフィナーレを飾るので、「COD嬉しかったよ! だいすき!」の気持ちを込めて使った。
・ten-strike=大成功、ヒット作という意味のスラングらしい。successを使ってもいいところだったが、10(ten)にちなんだ言葉を使いたかったので、ten-strikeを選択。
語源は、ボウリングのピンを10本全部倒すストライクにちなんでいるとのこと。
・Marveling=良い意味での驚き。surpriseにもっとハッピーな意味を加えたくてこっちを選んだ。ニュアンスが間違っていたら申し訳ない。
🦈
あの頃の「いつか」陽に透かして噛んで
3+1人分の琥珀糖
・FRAMEがいつかこうなれたら、できたら、とはじまりの頃に志した夢を、きらきらしたもので表したかった。英雄は甘いものが好きなので、甘いものにした。
彼らの見る夢は、49E「ONE to DREAM!」でも歌われているように、思うよりも世界はやさしくきれいだと(思えないことがあると知っていてなお)捉えている前提での夢なんだろうなと思う。CWMを読む限り英雄は一等、そういう傾向があるような気がする。
・「陽に透かして」
「いつか」と望んだものを光に当てて、今の形や中身を確かめることをやさしく、明るく表したかった。
噛む=噛みしめる。いいことだけじゃなかったはずなので、おいしい〜あまーい! みたいなニュアンスは避けた。
・FRAMEとプロデューサーで3+1。「自分の夢を追うのと一緒に、プロデューサーの夢も叶えたいんだ。」(【2nd STAGE】握野 英雄+信頼度Max台詞)。
🐉
遠ざかるサイレン止まりかけた足
虹は積乱雲さえ昇る
・サイレンが鳴ったら駆け出さなくていい身になっても、遠くで聞こえたサイレンについ足を止めて振り返る龍のイメージ。それは多分未練とも違っていて、救急車をじろじろ見るような心情とも違って、日本一の消防士になるため一生懸命な日々のおかげで体に染みついたものなんじゃないかと思う。
それでも龍は消防車に乗って駆けつける仕事でなくアイドルをやっているので、足は完全に止まらず「止まりかけ」にした。
・正直、アイドルになってからも日本一の消防士を夢に掲げる龍が、最初はわからなかった。ただ、アイドルとして消防/防災に貢献できる部分がある=夢はまだ叶えられる、と再起したのだとしたら、その不屈さとひたむきさがとてもかっこいい。
そんなことを思いながら、ただ進めるわけじゃない、立ち止まることもあるけど進む龍を詠みたくてこういう歌が生まれた。
・虹
雨上がりの積乱雲と晴天が混じっているところに、うつくしく昇る龍のような虹が見えるイメージ。2022属性曲「RED HOT BEAT!!」で輝と一緒に「不機嫌な雲の向こう やっぱり太陽はあって 虹を見せるタイミング待ってる」を歌った木村龍に、雨が降らないと見えない虹をあてたかった。
🪖
愛のミサイル充填完了 些事に笑う
君を照らせる祝砲であれ
・恒常SR【頼れる兄貴】信玄 誠司のチェンジ後アルバム台詞に出てきた「愛のミサイル」。
この時は頭から水をかぶりたいと言うくらい恥ずかしがっていたが、10周年を迎える信玄誠司にもうそれはないんだろうなという、時間の積み重ねを感じられるつくりにしてみた。
2022プロミ借り物競走で「仲間のためなら」と恥じらうこともなくヘッドドレスとメイド服を装備し軽快にステージへ走り込んできた増元拓也さんas信玄誠司が実在しているので、愛のミサイルくらいなら喜んで発射するしウインクもする。
・この歌にも49Eソロ「Tick Tack Voice」のイメージがある。
「笑ってくれ 他愛ないことで」。
詠み手の中ではこの曲がとても大きな存在で、1曲目オリピソロ「GO AHEAD SMILE!」では(彼が足の怪我や過去を仲間に話さなかったように)表に出さないようにしていた内面を、49Eでは歌の形で出してきたことがうれしくも重くもある。負担という意味ではなく、大事にしたいなと両手で抱えるような気持ち。
・二人称は「あなた」と迷ったが、「Tick Tack Voice」は「君」表記だったので同じものを選択。
FRAMEのVD/WD企画などで「315世界のアイドルとしての需要」を役の台詞の二人称から考えるのも楽しい。
・信玄誠司ソロで歌われていることは全て本人にも届いてほしい言葉だと思っているからか、誠司さん視点の歌とも捉えられるつくりでありながら、彼に降らせたい歌にもなった。
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おわりに
(心底どうでもいい思い出メモなので読まなくていいです)
短歌を詠むようになったのはSideMのPになってからだった。はじまりのワケはもう思い出せないが、#SideM短歌 というタグの存在を知り、なぜか自分もやってみようと思い立った。
七五調が好き、という感覚だけを持って知識もなく短歌を始めたものの、まだ苦しみや何か詠まなければという感情があって今も楽しみをうまく落とし込めずにいる。
今回の短歌も仕事の休憩時間、移動中、時間さえあればずっと短歌を練っていた。主題となるアイドルのことを考え、どんな日々を過ごしているのか、何を見ているのか、彼らの視点を一生懸命追いかけて、想像した。
これも、楽しいというよりはやらなければ(そうしなければまた自分に失望する、担当のために何もできないのは気まずい)というナルシな義務感に追われてのものだったので、それ本当にお祝いの気持ちあります?と自分に刺されては致命傷で没している。感情の質を問われたらどうしようもない。
それでもなぜか形にしたこと、したかったことはまだ捨てられない。
短歌を詠むことで何かを満たそうとするなんて間違いだとは思いつつ、でも、だって、と浮かんでしまう祈りのなり損ないを、どうせまた短歌にしてしまうのだと思う。
詠むのは苦しい。
ひとの短歌を読むのは楽しく、苦しい。
詠むのも読むのもしんどい。じゃあやめれば? と自分に言ってみるが懲りずにまた詠んでいる。
仕事でもないのに何も楽しくないことは続けられないはずなので、きっと何かがあるのだと思う。
その正体を知るために、あとは何をつくっても渋い顔ですぐ捨てようとする自分も楽しませられるように、これからも自分のペースで詠みたい。
SideMと出会ったから短歌とも出会えたこと、素養もないのに「始めてみようかな」と思った気持ちのワケにきっとなってくれたこと、そのことだけに精一杯の感謝を。