タロットと315プロ
はじめに
315プロのアイドルたちは「タロットの大アルカナ」でいうと何に当てはまるか気になったので、考えてみた。
各アルカナ1人ずつ選出。
↓こちらの方が描かれた絵を見て、自分でも考えたくなった。
⚠️タロットもアイドルのこともあんまり詳しくない。
特にタロットの意味は選り好みで記載している。
⚠️書き手の力不足により文量、質ばらばら。
⚠️考察でなくほとんど当てはめてみての感想。
クラファを除いた46人と大アルカナの組み合わせ、詳しい意味については先達がいらっしゃるので、こちらをぜひ。
これを書き終わったら上の46人版を読んで、この後書くこと全部忘れる予定なので、忘れるために書く。
アイドルと各アルカナの組み合わせは下記の通り。
愚者:幸広
魔術師:類
女教皇:一希
女帝(なし)
皇帝:鋭心
法王:次郎
恋愛:北斗
戦車:咲
剛毅:百々人
隠者:圭
運命:かのん
正義:英雄
刑死者:龍
死神:薫
節制:九郎
悪魔:漣
塔:誠司
星:タケル
月:雨彦
太陽:みのり
審判:輝
世界:秀
これだ!というアイドルを22名選んだ。
なんでそう思った?のワケはこれから書いていく。
※筆者はペルソナ全作品を遊んでおり、タロットの受け取り方がペルソナシリーズに大きく影響されている。そのため、よくペルソナの話をしたりしなかったりする。
主に、各コミュ/コープキャラクターと315プロのアイドルたちを比べ、アルカナへの理解を深めたり、両者の共通点を見出したりするために行う。 ペルソナシリーズについて、ストーリーの中身に深くは触れないが、異聞録〜5まで、思いついた分だけ話を持ち出す。
特に、ペルソナ3に登場するニュクスの台詞は、ペルソナにおけるアルカナ観を端的に表しているので、『』をつけて部分的に引用している。13死神までしかないのが惜しい。
単に筆者が「共通点! ウオォ!!」と昂って書いただけなので読み飛ばしても差し支えはない。
愚者:神谷幸広
意味は旅人、型にはまらない、無邪気。ぴったり。
『知恵の実を食べた人間はその瞬間より旅人となった』。
愚者は旅の始まり、まだ何にも定まらない可能性を表している。
個人的には「愚者」=「出会いを重ねていく若者」のイメージがある。
なぜそんなイメージを持ち、それを神谷にあてたのか。思いつきと感覚で決めたので、答えを探って言語化することにする。
そのためには、わたしのタロットイメージに大きく影響を与えたペルソナシリーズでの描かれ方を思い出す必要があった。ということで、主に1〜4までの愚者について振り返ってみる。
ペルソナ知らん方にとってはダルさの極みだと思うので最初にまとめると、【愚者=出会い、絆を深めていく若者の象徴。それが「世界中を旅した経験」「常にカフェパレの一員である意識の強さ」を持つカフェパレの神谷とベストマッチを果たしたのかも!】という話。
最初に発売されたペルソナ作品、異聞録において、愚者のペルソナとは合体事故(=不慮の出会い)でしか対面できない存在として描かれる。まさに可能性、自由を表す愚者そのもの。
ペルソナ2でも似たような扱い。敵との会話で特定の条件を満たし交渉を成功させなければ、愚者のペルソナと出会えない。ここでも「出会い」が必須条件とされている。
ペルソナ3・4において「愚者」のアルカナは特定の人物でなく「仲間たち」というくくりで描かれている。「愚者」を個人でなく「仲間たちとの絆」として描くことで「出会いを重ね、仲間たちと絆を深めていく主人公」≒「ゲーム中の様々な出会いを体験していくプレイヤー」という重ねの構図があったのではないかと考えている。
この仲間たちコミュについては、天道輝を当てた「審判」アルカナの項でも後述する。
この「出会いを重ね、仲間たちと絆を深めていく」というところがカフェパレの神谷と重なった。一人で世界中を旅している時も、神谷はたくさんの人たちと出会い、経験をしている。カフェパレメンバーや315プロの仲間たちはもちろん、これまで出会った人たちとも神谷は絆、繋がりを感じていると思う。
また、神谷は普段マイペースでおおらか、旅の経験もあって視野は決して狭くないが、まだ精神的にも若くて、これからも大きく変わっていくひとに見える。何者になっていくのか自分で定めない。そのあたりも愚者のアルカナらしいと感じた。
魔術師:舞田類
意味はチャンス、外交、才能、感覚、創造、混迷。
『強い意志と努力こそが唯一夢を掴む可能性である』。
舞田を見ると愚者にも当てはまりそうだが、わたしは魔術師のアルカナに 「S.E.Mの舞田類」を見出した。
鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社現代新書2424)では、科学も魔術も元は一つのものと起源を紐解いた上で「科学も魔術も、この宇宙を支配する絶対的な法則を知り、それを操って奇跡のような出来事を起こそうとする点では、なんら変わるところがない。」(p190)としている。
わたしは、化学や数学などの「この宇宙を支配する絶対的な法則」でない英語にも、「それを操って奇跡のような出来事を起こそうとする」ことと縁があるのではないかと思う。
たとえば、言葉の通じなかった相手と意思疎通ができるようになること。ジェスチャーだけでなく、通じなかったはずの言葉で。言葉の種類を変えることによって。言葉の違いを理解した上で、それを使いこなし、意思疎通という奇跡を果たす。
まさに舞田類リメンバーショット(2021年)である。
リメショのチェンジ台詞では、舞田類が英語を勉強しようと志したきっかけが語られている。
「転入したてのgirlにチョコをもらったんだけど、その子が話すEnglishがわからなくて。サンキューで精一杯だったな。」
これが2回目スカウト台詞で語った言葉に繋がる。
「相手の言葉がわかれば、気持ちを伝えあうこともできたのにってもどかしい思いをしたっけ。俺がenglishを覚えようと思った、first stepだよ。」
英語を覚えたいだけなら英会話、独学、様々な選択がある中で、舞田類は英語教師の道を選んだ。自分が理解するだけでなく、学びとして教え、伝える道だ。その夢を、彼は意志と努力で叶えている。
ここに愚者と魔術師の違いが出ている。何者でもない旅人でなく、培われた技術(言語)を持つ者としての「魔術師」は、舞田にとてもよく合っている。
また「魔術師」には閃き、隠れた才能を見出す、などの読み方もある。これは舞田の信頼度UP台詞にも通じる。
「そうだよね。プロデューサーちゃんの言うとおり俺はUniqueなんだ!自分を見失わないようにしないとネ♪」
(共通・恒常 信頼度UP)
魔術師の持つ豊かな才能は、必ずしも本人が自覚的であるとは限らない。本人にとっては無意識にしていることでも、みんなできるわけではなかったりする。
「できなくて悔しい気持ち」を初めて感じたと語るベスゲ1イベストなど、ポジティブだけでないものも含めて、本人が考え、学び、経験を才能、スキルにして輝かせていくさまは、「魔術師」のアルカナにぴったりだと思う。
加えて、先に挙げた参考文献を読むうちに、魔術師とはスキルを持っているだけでなく、行動がセットになっているとも感じた。才能があり、行動力もある舞田にマッチしているアルカナ、それが「魔術師」なのかもしれない。
ペルソナにおいて「魔術師」は友達付き合い、友情、その中でどんな意志を持つのか(=そして行動するのか)をテーマにしている印象がある。
アヤセ(異聞録)、友近(3)、順平(P3P)、陽介(4)、モナ(5)。一見みんな明るい。だがそれぞれに隠れた感情、自身で気付かなかった思いがあり、それが日々の行動に滲んでいたことを知る。
ここは舞田とも通じるところがある。
「俺って周りと比べてほんの少し浮いてる気がするんだよね。気のせい?気のせいかな?」(共通・恒常 信頼度UP)
良くも悪くも、人をよく見ているひとのアルカナだ。もしかすると自分のことよりも、なのかもしれない。
余談:調べていて面白かったのが、メイガスの話。タロットによっては「魔術師」のアルカナが「メイガス」と記載されることもあるという。メイガスは、新約聖書における東方の3博士のこと。イエス=キリスト誕生を聞いて、贈り物を持って拝みに来た3人の知識人。「3人」の、「先生」。
つまりS.E.Mである。
東方のS.E.M。ある日突然現れた先生。目に浮かぶ。
こんなところに舞田と魔術師の繋がり(?)を幻視して楽しむことをS.E.Mの歌う学びは勧めないだろうが、知る楽しみのさわりは味わえた気がする。
↓参考↓
女教皇:九十九一希
意味は秘密、叡智、感性、孤立、悲観。
『心の奥から聴こえる声なき声…それに耳を傾ける意義』。
見てすぐに九十九一希が浮かんだ。
この女教皇という存在は、女性として最高位でありながらカトリックでは実現しない架空の存在として扱われる。この「存在しないとされる存在」は、父のゴーストライターに徹して書き続けていた一希と重なる。
しかも、そうして書いた作品は鳴かず飛ばずでなくベストセラーにまでなっている。女教皇という位の高さと、それがカトリック(→一希にとっての外界)では(自分の存在が)認められていないという点にも、一希との符合点を見出すことができそうだ。
また、「女教皇」が表す洞察、直感(不可視のものに対してはたらかせるもの)も、静かに自分と向き合う、己の声を聞こうとする一希に合う。迷っても悩んでも、考えることを止めない彼らしいカードだろう。
一希といえばお馴染みの「全部買うか」は悩むのを放棄したというよりも、買う目的である「知りたい、味わいたい」を叶えるにあたって「全部買えば全部知ることができる」と前向きな判断を下しているのだと思う。
控えめそうに見えて意志が強く、内なる声をじっと聞いたり、物事や感情を言葉にしようとしたりする一希は、「女教皇」と相性が良いのではないだろうか。
ペルソナシリーズにおいても「女教皇」のアルカナを当てはめられた者たちは、控えめながらも芯の強さ、潔癖さ、頑なさが窺える。
麻希(異聞録)、風花(3)、雪子(4)、真(5)。
それぞれ、自分の奥から聞こえる声に一生懸命耳を傾け、自分はどうしたいのかを捉えようとする。
この不可視に関連してもう1つ、彼女たちには表向きの印象を変えるギャップが設けられているのも、目に見えているもの以外の存在を暗示する「女教皇」のアルカナらしい気がする。麻希は物語の根幹、風花は料理、雪子は笑いのツボ、真は世紀末なトゲトゲ肩パッド。
九十九一希の場合は「未経験でも練習に励む思いきりの良さ」が該当するかもしれない。
F-LAGSメンバー誕生日寸劇や、ユニット間のマイデスク会話で大吾に居合の稽古を見学できるか聞く(【ST@RTING LINE】同士限定/2016年)など、他にもたくさんあるが、一希は知らないことに対しても意欲的に知りに行くところがある。外へ出ていくことをあまり拒まず、積極的に未知へ触れようとする探究心の強さは、物静かな見た目の印象とのギャップになっているように思う。
一方で、たとえば涼とのマイデスク会話では、彼の「女教皇」らしい頑なさが表れている。
「一希さんの本、読んでみたいな。」
「……あんなものは、駄作だ。」
初期のノリなのでそっけなく見えるが、同じ時期に出た台詞で涼から持ちかけられたキャンプの誘いに「みんなで行こう」と返しているので、本人としては事実を述べるのと同じトーンなのだろう。悪意がない分、一希の突き詰め気質、潔癖さがよく出ている。それは言い換えれば意思の強さでもある。
女帝(なし)
意味は愛情、包容力、感情的、豊穣。
『生が持つ輝き…その素晴らしさと尊さ』。
つまりケーキ! ドーナツ!小麦は母!
もし当てはめるとしたら、18歳甘党コンビが適当かもしれない。
どちらも母親とのエピソードが精神の根幹をなしていて、毎日生きていく中での喜びをとても大切にしている(いくつも与えられるものではないと知っている)。母性を他のアイドルたちよりも身近に感じている印象があり、春名も巻緒もひとの言葉を受け止めるのが上手に見える。「女帝」の包容力、愛情と合っているアイドルなのかもしれない。
皇帝:眉見鋭心
意味は意志、秩序、達成、傲岸。
『あらゆるものに毅然と向き合い、答えを決するその強さ』。
あつらえたようにぴったり。
フィジカル属性にあてられている理由にもなりそうだが、彼が自身を律する源は感情であり、秩序ではないように見える。つまり律したいから始まっている時点で、抑えるか、溢れるかの戦いになるので、溢れそうな感情の出元を改めるわけではない。そこが鋭心だなと思う。
変わりたいと願って髪を切ってからの鋭心とそれ以前の彼では、表向きの行動だけが変わり、我慢をしている状態に見える。アイドルになってすぐの鋭心も、相手に合わせた返答だけを、以前と同じ頑なさで行っている。
そんな彼が「皇帝」の暗示する「達成」を得るまでの過程に、クラファは不可欠だと感じる。そうやって、ともすれば独りで自分の殻に閉じこもってしまいそうな鋭心がちゃんとユニットに紐付けられ、少しずつ変化が描かれていく。その巧みさに改めて目を剥く。発表当時とエピゼロ実装直後に感じた(んなムチャな……)という鋭心への印象は、ファンコン以後どんどん変わっている。
独善的だった皇帝が、頼れる存在として能力を発揮する場面がこれからも増えていくだろうが、その分だけいくつもいくつも鋭心の考えが及ばないことや独りでは手に負えないことも増えていってほしいと思う。苦しむさまを見たいのではなく、鋭心の抱えるものはひとと触れ合うことで少しずつ形を変えていくと思うので、たくさんの未知と、ひとと出会ってほしい。その上で自分の行動を選択してほしい。独りでは皇帝になれない。支える側だけを務める人間はいない。負担とか迷惑とかじゃなく、支えられるということを直視してほしい。その先に鋭心の達成があるんじゃないかと思う。
また、皇帝は父性、父という強大な存在を象徴している。鋭心の場合は父だけでなく両親が精神形成に深く関わっているが、鋭心がアイドルとして歩くにあたり、業界に何を求められるかという点において見える背中は母でなく父のものだろう。そういう意味でも、皇帝のアルカナは鋭心によく合う。
ペルソナシリーズで思い当たるのは小田桐(3)、祐介(5)。
2人とも強い意志を持ち、時に人の話を聞いていながら我を通す。そして2人とも父親(ないしは父親代わりの存在)に関して事情を抱えている。父の背中を見て育った彼らの心に、その事情は深くまで根を張り、精神形成に大きな影響を与えた。
すべてを知った子はどのように行動するのか。
どうするべきか。
ペルソナでは悩む彼らに主人公や仲間たちが現れた。
鋭心には、プロデューサーが現れた。
皇帝コミュの2人と鋭心、問われていることや行動は、とてもよく似ている。それは司るもの、テーマとされているものがさしてかけ離れていないからなのだろうか。
法王:山下次郎
意味は協調性、優しさ、躊躇、怠惰。そして自信。
『己を導く存在、それを知る事の大切さ』。
俺には合いそうもないカードじゃない?という声も聞こえるが、とてもミスターやました向きだと思う。
まずアルカナの番号5。
これは4の盤石さから1つ飛び出て、停滞を打ち破る変化、乱れが起こることを表す。ミスターはざまと舞田に誘われて、アイドルの道へ踏み出したミスターやましたそのものである。本人の意思については、アニメ5話で一番わかりやすい言い方をしている(ここでも5!)。風邪をひいたミスターやましたに責任を感じて思い詰めるミスターはざま。ミスターやましたは笑って返答する。
もういい歳なんだから自分のことは自分で決められる。
つまりミスターやましたは、自分からアイドルになると決めたのである。断れなかったのでもヤケになったわけでもない。そこがミスターやましたの一番かっこいいところだと思う。
それを、気に病むミスターはざまに自分の言葉で伝えているところも含めて、ミスターやましたは相手を構えさせずに誠意を伝えられる。言葉の使い方というか、自分の伝え方が下手ではない人だと思う。S.E.Mがしょっちゅうミスターやましたの家に行くのも、S.E.Mの2人からだけでなく事務所の面々から頼りにされているのも、そういう上手さと人柄の良さが大きいような気がする。
舞田(魔術師)でも引用した鏡リュウジさんの本にとても良い言葉があった。
法王は「人間が直面するさまざまな事態をときほぐし、それを言語化して、理解と需要への橋渡しをしてくれる存在なのである。」(p207)
S.E.Mにおけるミスターやましたである。
「いつもありがとう、山下くん」
「Thanks☆ ミスターやました!」である。
そして「法王」のアルカナは指導者を意味する。
先生である。
法王というある種盤石な立ち位置に甘んじることなく、その視野や知識、経験をもって進む道を決める。落ち着いた大人の姿がそこにある。
そんなミスターやましたの、もう三十路なのに! アルミホイル! 元教師! といったセンセーショナルさで終わらず、自分を磨き、見つめ、仲間たちのことをちゃんと捉えた上で進もうとする姿は、責任のあるかっこいい大人として映る。
お茶目ではあるけどお調子者ではないし、だらしないところがあるけど自分を諦めないでいてくれるところが好き。あれこれ思うところはあってもまずはやってみますか……と腰を上げて頑張る姿がたまらなく好きだし、本当にこのひとがSideMにいてくれてよかったと思う。
アイドルになってからも化学雑誌で論文をチェックしていたり、学生たちに勉強を教えていたりする姿を知るたび、たまに大人をやっているどころか最初からずっとずっと大人だったミスターやましたに微笑ましさと高揚を禁じ得ない。
この、無学ではないという意味で高みにいるからこそできることをする姿は、ペルソナにおける「法王」のシナリオでも共通している。南条(2)、古本屋の夫婦(3)、堂島(4)、惣次郎(5)は、年齢、家柄、年齢や経験などにおいて主人公よりも広い視野を持っており、導く者としての側面が描かれている。そしてその対象は主人公のみに留まらない。
導くとは圧倒的指導力がある者だけの行いではない。ペルソナにおける「法王」は、導く者に備わる優しさ、視野の広さ、立場に拘泥しないという戒めが描かれている。
ミスターやましたにも、同じことがいえる。舞田とは異なる意味で先生らしいアルカナが、この「法王」だと思う。
恋愛:伊集院北斗
意味は絆、情熱、継続、選択、誘惑、空虚。
『他者と心が通じあう…その喜びと素晴らしさ』。
相手をエンジェルちゃん、エンジェルくんと呼んで複数の人間とデートを重ねるところだけでも北斗は「恋愛」にふさわしいが、意味「情熱」「空虚」にも合っている。
意味を見るに、自分を与え慣れている北斗だけでなく、Jupiterとして青春をやる姿、315プロでの情熱的で負けず嫌いな北斗にも当てはまる。
こうした、北斗の冷めている部分と熱い部分が混在しているところそのものに、他者同士が結びつく「恋愛」との符合点が見える。
興味のないこととあることの違いは誰にでもある、みたいな話ではなく、事実北斗は冷めていて、熱くなるときもあるんだと思う。
このあたり、本人は「最恐怪奇譚~戦慄のメロディ~」(2016年)でこう語っている。「アイドルの仕事にプライドを感じているかもしれない」、「忘れていた『熱さ』のようなものを思い出せるかもしれない」、それは「冬馬に染まった」からかも、と。
つまり、冷めていると自他思っていた人間が「熱くなれる舞台にまた巡り会えた(グロド)」のが北斗であり、それは出会いによるものかもしれないと本人は振り返っている。
当然、突然変わったのではない。
北斗が変わった理由は出会いで、たとえそれが最初は偶然だったとしても、自分の運命を託すことに決めたから、変わったのだと思う。託すと決める理由がなければJupiterを続けてこなかったかもしれない。
だが北斗は961を出る時Jupiterを続ける選択をし、315プロのJupiterとしてやっていく選択をした。今挙げた以外のもっと細かな、数多の選択も含め、それがあったからこそ北斗は変わった。
「恋愛」のアルカナが表す「選択」は、北斗にとって大切なキーワードなのではないかと思う。選ぶ余地もなくやめるしかなかった世界(🎹)を知っているひとなので、選べることの価値と選ぶ難しさ両方を知っている気がする。
ペルソナシリーズでは、ギンコ(2)、ゆかり(3)、りせ(4)、杏(5)が「恋愛」に該当。THE負けず嫌いたち。この中だと、杏が北斗の描き方と近い「恋愛」像かもしれない。
杏は特に熱を入れていたわけではなかったモデルの仕事に、出会いときっかけを得て、理由を持って一生懸命取り組むようになる。
戦車:水嶋咲
意味は行動力、解放、独断。
『目標に向かって跳躍するその力こそ、人が命から得た可能性であること』。
パピッとゴーゴー!! なカード。
明日の風向きなんて気にしないで(RHB)まっすぐに行くのが一番早い(レツゴ)THEフィジカルな意味を持つ「戦車」。これだけでもすごく咲らしくてパピカワパワフル。
だが、他にも外せない要素として「解放」がある。
咲にとってアイドルは「あたし」の解放であり、「あたし」を必要としてくれる場所なのだと思う。たくさんのカード台詞からも、アイドルという仕事を大事に、大好きに思っていることが伝わってくる。子どもの目線だった考えは、少しずつ大人になっていくのだと思う。時間が進んで歳だけ重ならない歪な世界のおかげで、その過程はこちらで想像するしかないが、咲はもう一人ではないと色々な場面で感じてくれているだろうし、独りよがりでない、大人としての考え方を「あたし」を解放したまま身につけていけるだろう。
ただ、わたしには「あたし」の解放について、少し先のことを思わずにはいられない。世間には出た。認めてもらえている。だけど一切語られない(話したくない?)「僕」の世界で、「あたし」は置き去りで、出してはいけないもののままだ。
その気持ちを抱えて「あたし」になることは、すっきりする、で終わるんだろうか。終わるならいい。ファンや事務所、業界の人たちにはもう水嶋咲を愛してもらえている。
でも、もし終わらないなら、それはやっぱり次の「解放」に向かって膨らんでいくものが出てくるのではないかと思う。
といってもわたしの根底に「解放」の手伝いをしたいというエゴがある時点で、もうこれは問いではない。どうしても、怖くても、苦しくても、第三者が家の中にいるあなたを守ってあげるのは難しいかもしれないしそんな必要はないのかもしれないけれど、あなたの味方でいるから一緒に話しに行きたい。それをわたしが隠しきれずにモヤついている。
願わくは、存続のために一気には描けない今の仕組みでも、CWM神谷のように咲にも「進展」があったらいい。たとえその結果が明るいものだけでなかったとしても。
この件だけは、パピッとゴーゴー!してどんどん経験を増やして逞しくかわいくかっこよくなっていく咲の、唯一「まだ前進できない」ところ。いつか「解放」される日はくるのだろうか。
ペルソナシリーズでは、マーク(異聞録)、宮本(3)、千枝(4)、竜司(5)。猪突猛進。さっぱりした一面。難しいことはニガテ。自然と彼らの周囲には人が集まる。
咲の他に「戦車」と合うのは四季かもしれない。
剛毅:花園百々人
意味は勇気、忍耐、成熟、自己評価の低さ。
『どんな苦難に苛まれようと、それに耐え忍ぶ力が必要なこと』。
ここでいう耐え忍ぶ必要があることとは決して百々人の家庭環境ではない。そんなものを強いてはいけない。
必要なのは、アイドルとして耐え忍ぶ力。
アイドルになってからの百々人が、その道を続けるという選択をした場合、そこで初めて耐え忍ぶ努力が必要になる。
とはいえもちろん、アイドル活動に対して、百々人が家庭環境をきっかけに思い詰めてしまっているのは間違いない。努力をしなければ輝けず、輝けなければ捨てられる。そう思っている部分がある。アイドル以外の道を考えられる余裕はおそらくまだない。
モバで描かれていた成長の一種として、元々の夢を叶えた後のことも考えるようになる、というのがあった。龍やタケルなど、該当者は複数いる。
アイドルをやめる話をしているのではなく、視野を広げて自分を見つめられるようになったことを成長として描くやり方だ。
百々人からもいつかそんな言葉を聞くかもしれない。
百々人は輝ける居場所を求めてアイドルになり、アイドルを目的として捉えているように見える。アイドルでいることにアイデンティティがあると思っていそう。
その過程でいつか、他の夢や目的が見つかるかもしれない。安堵と自信、「力」を身につけて、彼はどんな目で先を見つめるのか、とても楽しみに思う。
花園百々人は剛毅(力)にぴったりだ。
モバでいうと実装から5年余りが経過してようやく信頼度Max台詞に「もし僕がアイドルにならなかったとしても、ぴぃちゃんがいてくれたら輝いちゃうかも。今みたいに」ってくるイメージ。
その少し前に「もしアイドルをしていなかったら」とポジティブな意味でもしもの未来に思いを馳せる百々人上位イベがありそう。モバのタイプリ(レジェ)、サイスタのCtC(ドラスタ)に続いてクラファも今と違う時間の話をした上で、『世界を変えちゃおうよ。過去も未来もC.Firstになるくらい』なんて台詞が百々人から出るようなイベ。
ない話はさておき、百々人は、今はまだアイドルとして必死に喰らいついている段階なのだと思う。
また、ファンコンストやCWMエピを見るに、認知が歪んで頑張らなくていいことまで頑張ろうとしている、という段階はもう過ぎたように見える。彼に必要なのは頑張るための居場所と勇気であり、もう頑張らなくていいという言葉ではきっとない。
そこが本当にもどかしいが、彼は爆発力のフィジカルでも緻密なインテリでもなくメンタル属性のアイドルである。誰にも負けない根強い芯と忍耐、努力を続けるのに必要な素質を百々人は培っていく。まさしく剛毅の示す勇気をもって。
ペルソナシリーズでは結子(3)、一条/長瀬(4)、ジュスティーヌ&カロリーヌ(5)。
忍耐、努力、勇気、自己評価の低さ。
百々人との共通点がそれぞれに見つかる。
結子は人を見守る喜びともどかしい労苦。一条/長瀬は家庭/苦手意識との向き合い方。双子看守は芽生えた疑念をどうするか。
いずれも、忍耐と勇気の使いどころを間違えそうになったり、努力の方向を見失ったりする。しかしそれを乗り越えるのは、人に頼ることや今までの自分には選べなかった道を取るための勇気だったりする。
今のままでは両親を喜ばせられない、それでも、と何もかもをやめるのではなくアイドルに手を伸ばした百々人の行為は、惰性でなく勇気によるものに見える。
隠者:都築圭
意味は崩壊、疎通、精神、孤独。
『時に己を見つめ、自らの意思で道を決するべき勇気』。
「隠者」に都築さんを当てはめたのは、耳を澄ませているカードに見えたからだ。
「女教皇」と異なるのは、「隠者」に先人としての側面が見出せる点。タロットの絵柄で最もよく見かけるウェイト=スミス版の「隠者」では、一人の老人が描かれている。老人は瞑目し、ランプを片手に何かを思っているように見える。
一人で思索に沈むだけならランプは必要ない。行く先を照らしながら足を止めて目を閉じているのは、耳を澄ませているからなのではないか。そこまで考えて、音と出会った瞬間の都築さんを想起した。
また、描かれている老人=既に経験を重ねてきた者、熟手と捉えると、元音楽家・現アイドルとして音楽に精通し、円熟した知識を持つ都築さんと重なる。
「隠者」に含まれる孤独という意味は、カード台詞から垣間見える「アイドルを始める前の都築圭」の姿と重なる。
「休日に…誰かのことを考えるなんてこと、昔はしなかったんだけどなぁ。」(【オフショット】マイデスク 信頼度Max)2015年
この孤独を「一人の時間」と捉えると、都築さんが音楽家として創作活動をしている時間や、聞こえてくる音に一人で耳を傾けている時間に当てはまる。
もちろん誰にでも一人の時間はある。
ただ、都築さんにとって一人は当たり前だったところから様々な出会いを得ていくという構図に、出会いを表す「運命」の一つ前である「隠者」との符合をみた。
都築さんは麗さんやプロデューサー、事務所の皆と出会ったことをとても大切にしている様子が窺える。
「君や麗さん、事務所の人たちと過ごす時間は、特別だよ…ずっと続けばいいと思う。」(【戦慄のメロディ】信頼度Max)2016年
加えて「隠者」には疎通という意味もある。一人で閉じこもるだけのアルカナではないのだろう。
都築さんはプロデューサーに対し、積極的に思ったことを伝えている。数え上げればキリがないものの、2015年時点までのカードでもそうした言葉は多く見つかる。
「ねぇ、今のどうだった?自分ではうまくやれたと思うんだけど。」(共通・恒常 営業)
「いつだってプロデューサーさんと同じテンポで歩みたいと、僕は思ってるよ。」(【音楽教員】信頼度Max)
「ふと旅に出たくなった時は…ついてきてくれるかい、プロデューサーさん。」(【楽園の奇跡】マイデスク 信頼度Max)
音楽家だった頃から期待に応えることに慣れているとしても、受け身でいるだけでなく自分からも言葉を持ちかけるのは、都築さんがプロデューサーを信頼し、さらなる疎通を望むからなのだろう。そしてきっとそれは事務所の皆にも同じことがいえる。
「隠者」コミュで以上の内容に最も近いのはY子(3)、長谷川沙織(P3P)だろうか。どちらも出会いによって自身を見つめ直し、変わっていく過程の中に、孤独が日常として描かれている。激しい悲しみと共に描かれるのではなく、当たり前のものとして。そこから出会いを得て、少しずつ自分と向き合い、行動を起こす。
そのさまは、アイドルの仕事に少しずつ打ち込み、届ける喜びや期待に応えたいと頑張ることを思い出していく都築さんとも通じるところがある。
運命:姫野かのん
意味は変化、出会い、解放、定められた運命。
『永劫、時と共に回り続ける 残酷な運命の存在』。
健康な人間は必ず大きくなり、子どもから大人になる。どんなに願ってもその運命だけは変えられない。
「かのん大人になっちゃうの…?もうパパの作ったかわいいお洋服を着られなくなるのかな…。」(共通・恒常 信頼度UP)
しかし、かのんの運命への不安はアイドル活動の中でほぐれていくことになる。大人になることに対するポジティブな言葉は、次第に増えていく。
「かのんが大人になっても、ずっと…プロデューサーさんと一緒だよ!トップアイドルになろうね!約束だよ!」(共通・恒常 信頼度Max)
「かのんね、おっきくなる夢見たの。プロデューサーさんと手つないでたよ~。」(【アイドル名探偵】マイデスク 信頼度0〜99%)2015年
「みんなでジュースでかんぱーい!えへへ、ちょっと大人みたいだね。」(【お花見】スカウト2回目)2016年
「『かわいい』をみーんなが好きになれるように、『オトナのかわいい』も広めていくんだもーん!」(【奇跡の魔法】スカウト2回目)2018年
「かのん、大きくなってもプロデューサーさんといたいな。いつか今日のことも懐かしいねって一緒にお話しするの!」(【リメンバーショット】信頼度Max)2022年
歳を取らない歪なアイマス世界でなかったとしても、2024年で10周年を迎えるSideMと同じ時を歩んでいたとしてかのんは19歳になる。成人年齢には達しているがお酒やタバコにはまだ手を出せない年齢。
そうして大人になっていくことさえも、かのんは武器にしてしまうのだという。生きていたら必ず大人になるという運命を知った上で、その巡りの中で輝こうとする溌剌さ。目の離せない瞬き。変わっていくことを前向きに捉え、挑んでいくかのんはまさに「運命」のアルカナにぴったりのアイドルだろう。
ペルソナシリーズでは、淳(2)、平賀(3)、綾時(P3P)、直斗(4)、千早(5)が「運命」のアルカナを担う。
生まれや性別、与えられた役割、特質。
彼らはそうした変えがたい運命を抱えている。
主人公との出会いをきっかけに、その運命が変わることはない。しかし、変わらないと思っていた別のもの、たとえば自分の居場所や行く先、考え方には変化の兆しが訪れる。変わらない運命を前に、変わっていくもの、変えられるものもあることを彼らは知る。
「運命」は変化の残酷さ、まぶしさの両方を示しているカードなのかもしれない。
正義:握野英雄
意味は善意、公平・公正、被告の立場におかれる。
『何もかもが不確か故に、正しき答えを導かねばならぬ』。
モチーフはローマ神話のアストライア(乙女座、天秤座の元ネタ)。「争いをやめない人間に対し、他の神々が人間界を去る中、最後まで正義を訴え続けた」とされている。
↓参考↓
アストライアの、ひとの不義を見てもなお正義を訴え続けるところが英雄に合う。合わなくていい。頼むから何もかも英雄に優しくあってほしいし報われてほしいけど、英雄はそれがほしくて動くんじゃないのでもどかしさで胃がちぎれそうになる。
ここに輝をあてなかったのは、なんとなく輝が「正しかったかどうか」を悩むのではなく、正しいことをしたと信じているがその結果起こったことに苦笑するタイプだと思ったから。
英雄は「正しかったかどうか」で悩むタイプだと思う。
ペルソナの正義コミュ/コープには「何が正しいことなのか」を問うシナリオというイメージを抱いていて、千尋(3)も菜々子(4)も明智(5)も、そこは芯が通っている。その部分が、仮に英雄のコミュがあったら正義だろうと思う理由なのかもしれない。
ちなみに、コミュのないペルソナ作品(異聞録、2)においても、「何が正しいのか」を問うシナリオを抱えているのは共通していると思う。異聞録だと上杉秀彦、2だと周防克哉。
余談だが、鏡リュウジ『タロットの秘密』p218(「正義」についてのページ)では「正義」のモチーフにエジプト神話の女神マアトを挙げている。
このマアトという女神、兄オシリスを殺したセトについて共に冥界へ行ったのだという。兄殺しの汚名を負ったセトについていき、冥界の仕事もやるようになる女神。これが善なのか、話の出元はどこか、定かではない。女が必要と考えられてついていく話にされたのかもしれないし、そこに描きたかった何かがあるのかもしれない。
いずれにせよ、このマアトも英雄と似ている。
モバ通常号及びサイスタエピゼロでも、この子たちが悪いんじゃない、と万引きをした子どもたちに寄り添う姿勢を見せている。また、通常号にて、喧嘩する父子たちをよそに一人小さく歌を口ずさむ子に対し、複雑そうな表情をする英雄のコマも印象的だ。
英雄が経験しているかはわからないが、罪状がもっと重いものであってもその姿勢は変わらないのだろう。
現にCWMエピでは、SNSで一見してFRAMEを誹謗中傷している相手に対して英雄は、怒り凹む龍や眉を寄せる誠司とは異なる思いも抱いていた。
何が正しいのか、それは誰にとってのものか。誰のためか。なぜ寄り添おうとするのか。常に考え続け、悩みながらも動く英雄に「正義」はこれ以上なくぴったりなアルカナにみえる。
刑死者:木村龍
意味は努力、奉仕、試練、慎重。
『避けようのない窮状においてこそ、新たなる道を探すチャンスがあること』。
木村龍にとって避けようのない窮状は、日々の不運だろう。
「あれ、マイクの音入ってない!?だったらっもっと大きな声でやるだけだ!!」(【M@KE YOU PROUD】営業 信頼度0〜99%)2020年
「手袋よし、マントよし!マントが絡まないようにたくさん練習したから安心して!カッコよくきめてやるぞ~!」(【7th Anniversary】チェンジ!)2021年
彼は不運の予防を心がけたり、不運が起こっても大丈夫なように備えたりして対処している。不運に対してできることをすべてやる、という方向性を彼はいつの時点で得たのだろう。その視点は、不運の頻度がいかほどのものかを物語る。つまり、毎日対処しなければならないほどなのだろう。
一筋縄ではいかない状況と、それに懸命な対処をみせる龍は、「刑死者」のカードにぴったりだ。
困難な状況に見舞われるだけでなく、それに対して解決策を模索し、予防や対応に奔走する。その両方が当てはまる龍にこそ「刑死者」はふさわしいアルカナだろう。
また、龍個人の性根も実に「刑死者」らしい。
不運に遭っても人助けを諦めない、人のために走れるところは「刑死者」の表す奉仕と合っている。「Mission of the Paint Survival」で誠司に指摘された慎重すぎるところも、「刑死者」の指す慎重とそぐう。転んでも起き上がり、転んだことを学んで対策する不屈さこそが、不運という日々の試練を乗り越える上で大切な糧となっているのかもしれない。
「小さい頃から不運体質に泣かされてきたけど、おかげでみんなに会えたんだ。プラマイ0なんてもんじゃない!」(【隣で見ていて】信頼度Max)2017年
消防士を辞めるきっかけになった出来事も、決定打は不運だった。その避けようもなかった事態の中、新たな道を探るチャンスとなったのは、315プロのプロデューサーから送られた手紙。このあたりの状況も「刑死者」との符合がみえる。
アイドル木村龍としての窮地といえば、「315シネマ!ドラゴンウェスタン」だろうか。慣れない悪役の演技に苦戦する姿や、冷たい素振りの仲間に対抗心を燃やすところは「刑死者」の意味する試練、努力に当てはまる。
「刑死者」は一見孤独なアルカナに見えるが、孤独は暗示していない。その理由はわからないが、アルカナがここで終わっていないことがヒントなのかもしれない。
龍の不運は彼を苦しめるが、諦めずに向かおうとするのは龍の努力によるものであり、同時に、龍に支えを与える他者の存在があってのものではないかと思う。
そうでもなければ、いくらなんでも自分だけで度重なる不運に立ち向かう勇気は育てられない。誰かの優しさに触れて、勇気を得て、励みをどこかに見出しているから龍は頑張れるのではないか。そうなると「刑死者」は孤独なだけの存在、ではない。龍の周囲にいつも人がいるのは、龍の努力の賜物であり、一つの幸運なのかもしれない。
ペルソナシリーズではパオフゥ(2)、舞(3)、尚紀(4)、岩井(5)が該当。彼らは、生業、家庭などの事情で身動きのとれない状況におかれている。それぞれ、現状維持、逃避、真実を隠すなど、対応の仕方も様々。
共通しているのは、彼らが出会いを得る前後で変わったことがある点だ。それが、彼らは孤独でなくなること。
復讐の終わりを見届ける仲間の存在。喧嘩していた夫婦のどちらも大事な両親であること。自分だけが悲しいわけではないと知ったこと。大事に危険から遠ざけていたつもりだった息子との関わり。
「刑死者」は孤独を示さない。その理由が、このあたりにも描かれているような気がする。
死神:桜庭薫
意味は終焉、再生、再スタート。
『いかなる者の行き着く先も絶対の死だということ』。
物事の終わり、あるいは転換点を示すカード。
ここは絶対に桜庭を当てたかった。
桜庭薫はトップアイドルになって富を稼ぐべく外科医を辞めた。姉の死をもたらした病気の研究費を稼ぎ、治療法を見つけるためだ。姉の死、医者からアイドルになることの両方が桜庭にとっての転換点となっているのだろう。前者は進路の理由に。後者は26歳の外科医では届かないならば、と別の道を選ぶ理由になった。「死神」の表す終焉と再スタートにふさわしいアイドルといえる。
なぜ「死神」なのに再生という意味を持つのか。
それは、タロットが「死神」で終わらず、後に続くナンバーのカードがある意味に繋がる。ただ終わるのではなく、一度終わってしまったことをうけて、また始まるものを暗示する。
つまり、桜庭は姉の死をうけて停滞しなかった。アニメの描写からみるに、まだ幼かった桜庭に姉の死はどれほどの衝撃だったか、計り知れない。だがそこから医者(それもおそらく姉の死に直接関係する分野)を目指すと決めたのは桜庭の意思だろう。
サイスタメインストーリー第2章第4話(公開日2022.6.27)EP4でも、自身の父を指して「……あの人は(姉を)『救えなかった人間』だ。僕は違う。僕は……」と言っている。(↓動画5:17〜)
そして26歳外科医ではまだ届かないとわかってからも、そこで終わりにしなかった。察するに相当打ちひしがれていただろう。アイドルへの道を断ることもできた。だがそうはしなかった。
趣味を聞かれて「姉の擦り切れた詩集を読むこと」だと履歴書に書くほどには深く刻まれている姉の存在を、桜庭は立ち上がるための理由にもしていたのではないかと思う。
詩集を開く理由は本人にしか、あるいは本人にもわからないことかもしれない。ただ、何もかもを終わりにせずもがき続けていた男が、傷心を宥めるためだけに傷を開くようなことをするとは思えない。
そして何よりも、歌の存在。
同じくサイスタメインスト第2章第4話 EP6(動画8:19〜)で、桜庭は「僕にとって、歌は、姉さんを笑顔にした大切なもの」と語っている。
そのすぐ後に語られる「……だからこそ、完璧なものを作り上げたいんだ」という言葉は、桜庭のモチベーションの根幹ともいえるだろう。
そしてEP7では「なあ。僕が楽しそうにしていれば、姉さんも……。」とプロデューサーにこぼすシーンもある。
特にこの第4話では、アイドルとして大切なこととは何か、桜庭は問われ、輝と翼がそこに回答(≠解答)を返す構図をとっている。「アイドルには『完璧』以外にも大事なものがあるんじゃないか?」と問う輝に桜庭は、技術の伴わないアイドルは魅力的に映るのかと反論する。そこへ翼が「歌やダンスがどれだけ上手にできたとしても、ファンのみんなが笑顔になってくれなかったら、それは……。オレは、意味がないと思います……」と返している。
そうしてアイドルの意義を問われた桜庭が、幼い頃のことを思い出しながら、ぽつんとこぼしたのが、上記したEP7の台詞だった。
彼にとって歌は手段であり、それだけではないのかもしれない。自分の歌で笑ってくれた姉の姿は、歌うたび桜庭の脳裏をよぎっているのだろう。自分の歌で人を笑顔にしたことのある桜庭は、たとえ歌の持つ力に無自覚なところがあったとしても、知らないとは思えない。
要するに、歌も桜庭が立ち止まらないための大切な力になっていたのではないかと思う。
桜庭は、タロットが13番で終わらない理由と、かなり近い位置にいるはずだ。
ペルソナシリーズにおける「死神」は栄吉(2)、ファルロス(3)、ひさ乃(4)、武見(5)。
「死神」メンバーを総覧すると、再生・爆誕!ナルシの仮面を会得した青年、長い眠りから目覚めた少年、喪に服す女性、死に抗い続ける日陰者の医者と、終わりを味わっていたり再スタートをキメていたりしている。
桜庭と一番多く符合点を持つのは武見だろう。
彼女は医療従事者であり、目指すものも似ている。分野に違いはある(桜庭は外科、武見は内科か)ものの、自らの原動力が成すべきことを成すという気持ちのみだと思っていそうなあたりよく似ている。自分の成したことには無自覚で、まだ果たされない目標の前に顔をしかめて苦しんでいるところとか。
節制:清澄九郎
意味は調和、節度、謙虚。
ウェイト=スミス版の「節制」にはアイリスが描かれている。花言葉は「希望」「私は燃えている」「吉報」。九郎くんにぴったりな言葉だ。
また、この絵に描かれている人物は2個のカップを使って水を移し替えるような動作をしている。何をしているのかは諸説あるようだが、2つの異なる器を渡す水は橋のように映る。この、異なるものを結んで繋ぐ図から調和を想起した。
九郎くんの目指す新たな茶の道は、古いものの尊重すべき部分と現代に則した視点を触れ合わせ、繋げることに見えるので「節制」の絵柄や意味にもよく合っているのではないかと思う。
もし単に、新しい茶の道=現代に向いた新しいルールで押し潰すこと、を目指していたら、それは調和(の妨げになるものを排除するので)達成かもしれないが節度は適切ではなくなる。そうではなさそうな九郎くんと「節制」の相性はとても良いように見える。
「伝統を重んじ、新たな道を拓く。この両立は難儀なれど、決して不可能ではありません。この曲を通し、その一端をお見せできればと思います。」(【NEW STAGE Ep】アルバム)2021年
九郎くんの、脆くはなく、押しつけがましいわけでもない絶妙な性根に19歳の青さが入っている造形、とてもいいバランス。「節制」≠なんでも抑える、というあたりが九郎くんらしい。
もう一つ、九郎くんが「節制」らしいと感じたのが信頼度UP台詞。ここには彼の目指す新しい茶の道、そのヒントがあるような気がする。
「…華村さんに、もっと気楽に生きろと言われましたが、私には己を厳しく律する外に生き方を知りません…。」(共通・恒常 信頼度UP)
「張り詰めた心では、花の美しさも、風の心地よさも、わかりませんね。ご助言、ありがとうございました。」(共通・恒常 信頼度UP)
前者の台詞にある「己を厳しく律する外に行き方を知らない」が古い茶の道、その行く末に思える。
九郎くんの祖父に代表される、ノウハウを持った者だけの狭いコミュニティ。乱されることのない環境。コミュニティの構成員がいるうちはいい。いなくなったら? 狭い視野で最悪の想定をどの程度しているのか? 九郎くんはまずこの視野を広げるべきだ、としているのだろう。
この、己を厳しく律するところは「節制」の指す「自制」がとても強く出ている状態であり、度を越さなければ美点としてはたらく。
九郎くんは、古きものをやたらめったら壊そうとしているわけではない。つまり己を厳しく律することそのものは「節制」の範疇に入る。
それは後者の台詞にある「張り詰めた心」という言い回しからも伝わってくる。柔軟さを失った感性ということなら、強張ったとか頑ななとか他にも言い方はある。でもそうは記載されていない。
「張り詰めた」という言い回しには、「今すべき張り詰め方ではない」という捉え方ができるのではないかと思う。外界の天然自然を感じる際に心を張り詰める必要はない、ということだ。そういう意味で、「張り詰めた」という言葉に強い否定的ニュアンスは窺えない。
同時に、こうして心を緩めることも「節制」の一つに数えられる気がする。一見不思議だが「節制」の意味する調和、節度がこれに該当する。
九郎くんの精進は弛みなく、それでいて茶道以外の道を知らなかった身を豊かに、という方向性が窺える。
「緊張もしていますが、それ以上に楽しみです。ファンの皆様とお会いできる貴重な場ですから。」(【SP@RKING TIME】2回目スカウト)2019年
「自分らしさとは、誠心誠意取り組むことによって表れ出てくるものです。」(【ウィンタースノー】営業 信頼度0〜99%)2019年
「時には、その場の流れに身を任せてみるのもいいかもしれません。」(【美しき赤海月】マイデスク 信頼度0〜99%)2021年
「様々な味を知ることで、己の深みも増す…日々勉強ですね。」(【野望のために】マイデスク 信頼度0〜99%)2021年
ペルソナシリーズで「節制」を担うのはベベ(3)、絵里(4)、川上(5)。
特にベベは九郎くんと会わせたい人物No. 1。留学生の彼は、時にアグレッシブに、自分なりに日本文化や歴史を学んでいる。それだけでなく「日本のすごいところ」を親族に認めてもらうべく、とある日本伝統のモノを作ろうとする。
この、敬愛するものへの熱意と、邪道に逃げず正攻法で当たろうとするところは九郎くんとも似通うところがある。
ベベも九郎くんも、異なる2つのもの(考え方など)が調和すること、繋がることに関して夢や目標があり、そこに向かって厳しい努力を着実に重ねるところはまさに「節制」らしい姿といえよう。
悪魔:牙崎漣
意味は破天荒、激烈、宿命、覚醒、新たな出会い。
ウェイト=スミス版「悪魔」に描かれた存在は、山羊のツノ、人間の胴体、鳥の足といった、複数の動物を1つに合成したような姿をしている。
これを混乱、堕落と解釈することもあるようだが、筆者は「既成概念に囚われない姿」と解釈した。
そうきたら、当てはまる315プロアイドルは一人しか思いつかなかった。
牙崎漣である。
激烈、宿命というワードが格別のベストマッチ。
「悪魔」の逆位置が指す「新たな出会い」という意味も、漣にぴったりな概念に見える。
THE 虎牙道の2人、下僕、ファン、事務所の面子。たくさんの出会いがあっただろう。漣は「誰が相手だろうがオレ様が最強だぜェ!」というスタンスなので、新たな出会いだろうが知った顔だろうが関係ない(=出会いを拒まない)のかもしれない。
また、彼のセリフを見れば見るほど堕落とは程遠いが、代わりにめちゃくちゃ面倒見がいい。世間知らずだったりそうじゃなかったりするので、尖る方向性も純粋で非常にかわいい。キャッチーの塊。
それはつまり、一度見たら強く印象に残る存在ということでもある。この、一際存在感を放つものとしての側面は「悪魔」のアルカナにとてもよく合っている。
「悪魔」の指す破天荒=「かつて誰も成さなかったこと」(牙ヲ穿テヨ 1番サビ)をやる、なのでまさに漣そのものといったアルカナである。
その一端は彼の台詞にも表れている。
「使える技は全部覚える。流派は関係ねえ。勝てなきゃ意味ねえからな。」(【憑魔狩りの天族】マイデスク 信頼度Max)2019年
「フン、特別だァ?知らねーなンなことは。どんなステージだろうがオレ様が最強だってことを知らしめてやるだけだぜェ!」(【PRIDE STAR】1回目スカウト)2019年
↑周年、祝い、そんなの関係ないと一蹴しているのが最高。毎回本番で最強の人間だからこその台詞だ。
それから、先述の「面倒見の良さ」について。
これを示す台詞は山ほどある。
「フン、髪くらい自分でも拭けるぜ…っつーかオマエこそ濡れてんじゃねーか。オラオラ!オレ様のタオル攻撃、受けてみろ!」
(【水の都】信頼度Max)2019年
「くはは!見たか、また1匹倒してやったぜ!会場のオマエラ、オレ様を見習ってちゃんと歯みがきしやがれ!ザコのばいきんなんかに泣かされんじゃねーぞ!」(【歯みがきライブ】アルバム チェンジ後)2019年
「おい、ちっこいオバケども!オレ様にイタズラしようなんざ100万年早いぜェ!オレ様の菓子を食べて、強いオバケになりやがれ!最強の座は譲らねェけどなァ?」(【狂気を宿す瞳】1回目スカウト)2020年
「くはは!小さい割には、いい食いっぷりじゃねーか。でっかくなれたら、オレ様の子分にしてやってもいいぜェ?もっとエサを食って、最強になりやがれ!」(【ハムスターカフェ】アルバム チェンジ前)2021年
挙げればキリがない。
これに覇王関連の台詞がまだまだ加わるので、本当に面倒見の良さを出してくる台詞が多い。ただのファンが調べただけでこれだから、担当プロデューサーの方々ならもっとご存知の一面なのだと思う。
先に述べたように漣は出会いを拒まないので、その度に最強のオレ様として相手に接する。お節介なわけでは決してないのにここまで面倒見の良い台詞が多いのは、「オレ様が最強だから誰にも脅かされないという自信」+「相手が全員努力しない雑魚で弱ければ必ず勝てるがそんなダセェことは考えもしない」ということなのだろうか。
生やさしいのではなく純粋な自信が生み出す言葉だからこそ、憎むよりもあまりの気持ち良さに笑えてしまうのかもしれない。そうして彼のまわりには不思議と人が集まり、渦中の人物になる。
「悪魔」も、孤独でなく「他との関わり」がみえるアルカナのようだ。破天荒も宿命も、個人が個人でいるだけでは出てこない言葉に思える。抗う対象、破られる秩序があってのもの。
最強大天才は、単体で最強なだけでなく新たなものや出会いを取り込んでさらに強くなろうとする。まさに「悪魔」の強さだ。
ペルソナシリーズでは、たなか社長(3)、小夜子(4)、大宅(5)が「悪魔」を司る。
誘惑や葛藤を経て、ある種の覚醒を果たすところは共通している。それぞれが腐ったり自信を失ったりしているところから、自分にできることを見つけて行動に移すようになっていく。
この脆さは漣と似つかない。だが父親を除いて誰とやっても負け知らずだった幼少の漣が、タケルの一撃を機に対抗心を燃やして取り組むようになるその経緯は、それこそ目の覚める衝撃だったのかもしれない。
塔:信玄誠司
意味は悲嘆、無念、災難、破綻。
誠司とこのアルカナがいかに合っているか、もう説明はいらない気がする。ここからは「塔の意味! 信玄誠司! ウォオ!」以上の中身はない。
意味を並べるほどに信玄誠司通常号、エピソードゼロを思い浮かべる「塔」。
特に後者は、文字と絵の情報を音とお芝居にした点でより痛烈だった。しかも冒頭から。エピゼロはユニットメンバーの理由を取り上げる順番も秀逸で、FRAMEのエピゼロでは誠司のとある光景が冒頭に置かれている。
アイドル信玄誠司が生まれた理由の根幹には、この出来事がある。避けては通れない。軽々に口にできる話でもないので、おそらくプロデューサーを含めて本人以外誰も、この件に関して誠司の胸のうちを知らない。
彼が語っていない(もしくは語ることができない)話は、仲間を失った経験だけでなく、当時「人を助けに向かえなかった原因」である足の怪我にも範囲が及んでいる。
誠司が足を怪我していたことを仲間たちに明かすのは「あなたの味方! AP SUPER」イベ(2018年)第15話まで待つ必要がある。それも自分からでなく、享介が気付いて尋ねたところ発覚、という流れだった。英雄と龍の強烈な驚きようと「初めて聞いたぞ」という言葉からして、誠司はこのことをつゆほども知らせなかったのだろう。
同イベ第20話でも、撮影の休憩時間によろける誠司へ英雄と龍が慌てて駆け寄った際も「大げさ」と返して2人を持ち上げている。こうして、気にされたくないとは言わずに明るく話を終わらせるところが、誰も誠司の「塔」には立ち入れないのだという感を強くする。
しかしそれは、今はいいことなのかもしれない。
だから誠司の足の怪我経験を見抜いた享介も、FRAMEの2人も深くは立ち入らなかった。本人が望んでいない(口にしていない)ことだからだ。これを突き崩す雷がないことを願うばかりだが、誠司がこの先この件を誰かに打ち明ける日が来るのかどうか、わからない。来ないのかもしれない。
ただ、信玄誠司最後のモバガシャSRイベ「Perchers ~山に魅せられた者たち~」(2022年)第24話にあったように、誠司はお芝居の中で役として「…次に会ったら、2人に話してみるよ」と発していた。そしてこの台詞では既に芙蓉 航(都築さんの役)という理解者がいた。もしかしたら、そんな日が来るのかもしれない。
「それにしても、朔くんたちにあいつの話をしてなかったんだね」
「ああ…話したら、本当にあいつがいなくなってしまう気がして」(第24話より)
本人に今すぐできないことも、思っていることとは違うかもしれないことも、役として語らせるモバ劇中劇の手法は時としてもどかしく、本人に酷だったり救いになったりする。イベストを読んだ当時はねじ切れそうなほど苦しかったが、今ではこの手法をとってもらえてよかったと思う。たとえ役の語った理由と、誠司の抱えるこぼせない理由が違っていたとしても。
災難、破滅を意味する「塔」は、次のアルカナ「星」(=希望)へと向かう。それがもしアイドルという道だったとしたら、プロデューサーとしてはこの上なく嬉しい。
星:大河タケル
意味は希望、絶望、絶望からの再生、ひらめき。
「星」の1つ前には崩壊を表す「塔」のアルカナがある。つまり何もかもめちゃくちゃになった後、それでも残った希望の象徴が「星」である。暗くなったから見出せるようになった星。絶望の後に細く見える光。
大事な家族と別れてしまい、悲しみや寂しさを抱えながらも弟妹を必死に探していたタケルは「星」に合う。アイドルとしての道に星を見出した少年。CWMエピを読了した今、余計にそう感じる。賛否は別として、CWMエピはとても「星」らしい内容だった。
ちなみに「星」の暗示する人物像は「純粋な気持ちの人間」だったりするらしい。
ペルソナ3において「星」のアルカナを司る早瀬と真田は、家族のために部活を頑張る苦学生であり、兄でもあるところに、タケルとの共通点が見える。早瀬も真田もフィジカル属性だと思う。
それから、なんとなく存在に孤独や寂しさがちらつくところも似ている。
その点でいえば、クマ(4)や一二三(5)も主人公と出会う前は孤独を抱えていた。助けを得ながらも問題に向き合い、自分の意思で歩く道を決める姿に、タケルを想起する。
下記は、モバで「星」らしいなと思ったカード台詞。
「アイドルにできることってたくさんあるな。最初は自分のためだったが…今は、他の誰かを照らせたらって思う。」(【伝えたい景色】信頼度Max)2022年
「最初は、俺ひとりでもやってみせると思ってた。今は仲間やアンタがいないとダメだ。これは、強さ、なんだと思う。」(【8th Anniversary】信頼度Max)2022年
月:葛之葉雨彦
意味は不安定、未来への希望、優れた直感。
他にも、月の光=見えざる真実への道程、迷いの解消などの意味がある。レジェっぽい。
また、心理学の分野では月=無意識の象徴とされる。精神、それも無意識は曖昧に移り変わり、形を見出すためには時間やきっかけが必要になる。
そうした、自分でも掴みきれていない無意識という要素が、雨彦にも通じるのではないかと思った。
雨彦はアイドルを続けるうちに、掃除屋だけでなくアイドルの仕事にもやりがいを見出し、両方の生業を大切にしたいと感じ始めていることに気付く。
「次は俺たちにどんな仕事が待っているのやら。楽しみにさせてもらおう。」(【NEW STAGE Ep完結】営業 信頼度0〜99%)
「昔も今も、俺の役目は変わらないさ。ただ、ちょいと成すべきことが増えたってだけでね。なに、俺はどっちも楽しんでやっていくつもりだぜ。」(【リメンバーショット】アルバム チェンジ後)2021年
「仲間やお前さんを、俺の人生に引き入れちまった。柄にもないことをしている自覚はある。だが後悔はない。」(【清廉たる彦星】信頼度Max)2022年
変わっていく無意識の自覚。すると言動が変わる。こう見ると、雨彦は「月」のアルカナにとても近いアイドルなのかもしれない。
それから、「月」の図柄解釈は謎が多いということで、第一印象がミステリアスとされがちな雨彦に似通うところがある。様々なものが視えてしまうことも「月」の意味する優れた直感と符合する。
ペルソナシリーズで「月」を担うのは、末光/荒垣(3)、あい(4)、三島(5)。強固な人は1人もいない。不安定に揺らぎ、変わる人々だ。時に不快でさえある変化を経て、彼らは無意識の願いや思いに気付く。雨彦との共通点はいくばくか見出せるかもしれない。
雨彦の変化はあまり後ろ向きに語られていない印象だが、言葉にしきれない迷いや不安はあっただろう。それでも最後の上位イベで「後悔はない」とまで言い切る心境に至ったのは、一人抱え込んで律する以外の方法を覚えたからであり、とうにビジネスライクユニットの域を超えて別の形になってきているから、なのだろうか。
太陽:渡辺みのり
意味は祝福、成功、挫折、生命力。
「月」の項で述べたが、心理学において月は無意識の象徴。それに対して、太陽は自覚的な意識の部分を司る。暗示する人物像は、健やかで陽気な人間。
祝福、生命力、という文言でみのりさんを思い浮かべた。みのりさん本人がというより、人をいきいきとさせる人物だと思ったので「太陽」に当てた。
世話好きで人と接することが得意なみのりさんが、両手いっぱいのブーケを抱えて笑っているワンシーンはそのまま「太陽」の図柄になると思う。
Beitファンコンストを読んで、おや?となったのでモバ台詞を読み返したところ、想像していた以上に、自己評価も自己肯定感も低くなくて安心した。
今のところ、悪い意味ではなく優先順位が他人になりがちで、そうして人と関わるのが好きなのかな、という印象がある。みのりさんはとても頼もしくて、自分をちゃんと持っていて、朗らかで、厳しさとしての優しさも有している。みのりさんがいてくれるからこその居心地をBeitの2人やプロデューサー、事務所の面々、果ては商店街の方々や共演者さんまで感じていると思う。
そうしたみのりさんの気質と、リメショの過去がうまく繋がらなかった。当時は「太陽」でなく「塔」のような人間、日々だったんじゃないかと想像している。
「はは、自分以外敵って感じの顔してるよ…この頃は毎日喧嘩ばかりしてたっけ。他にやりたいこともなかったとはいえ、ずいぶん無茶してたなぁ。」(【リメンバーショット】アルバム チェンジ後)
それが変わったのはきっと叔父さんの影響であり、アイドルのおかげなのだろう。人から奪うのではなく与える存在を画面の中と外それぞれで知ったからなのかもしれない。画面の外は叔父さん、中はアイドル。
そこでスカウトを機にとはいえ「アイドルの真の魅力を知るには、自分がなってみるのが1番だと思ったんだ。」(履歴書 アイドルを志望した理由)という結論に至るのは、人に何かを与える側への憧れがあったからなのではないか、と思う。
叔父さんの花屋さんを継いで毎日働いている時点で十分与える側になっていると思うが、花屋のみのりさんに活力を与えていたであろうアイドルへの想いは特別だからこそ、アイドルになると決意する理由になったのかもしれない。
モバカード台詞でも周囲への気遣いを忘れないのは、「こんなふうでいたいなって願う自分でいたい」(チェリブ2番Aメロ)から、に見える。
きっとみのりさんの胸には与えてもらった思い出がずっと大事に飾られている。その姿を目指して毎日頑張る姿は「太陽」のアルカナが示す生命力そのものだ。
ペルソナシリーズにおける「太陽」は、神木(3)、結実/綾音(4)、吉田(5)。いずれも、何かに命や活力を吹き込む人たちだ。物語、芝居、音楽、そして演説。人の心がなぜ何かを生み出そうとするのか。なぜ生まずにいられないのか。その理由を垣間見るストーリーが揃っている。
みのりさんは喪失を知っている人なので、神木の言葉に深く寄り添えるんじゃないかと思う。知っているだけで知った口はきけない話なので、なおのこと。それから、4の文化部少女たちにはまぶしい努力と困難に感涙するだろうし、吉田の話をうんうんと聞いていそう。与えようとする人、生み出そうとする人のことをみのりさんはとても大切にして接するのだと思う。
では、みのりさんにも生み出さずにはいられないものがあるのだろうか。
みのりさんにとってBeitは目的のための手段というより居場所になっていそうなので、自己実現の願望がとても強いわけではないと思う。
それでも笑顔になってほしくてするあれこれが、言葉も行為も全部合わせて、みのりさんの生み出さずにはいられないものなのかもしれない。たまに自分の世話よりも相手を優先するところがあるあたり、ある程度無自覚なのかもしれないが。
審判:天道輝
意味は解放、発展、覚醒、行き詰まる。
「愚者」の項で述べたが、ペルソナ3・4における愚者コミュは「仲間が全員揃ってない=これから出会い、絆を深めていくコミュ」だ。何者でもなかった者たちが、関係性という枠組みの中で役割を見つけたり、自覚はせずとも役目を果たしたりする。
これに対し「審判」は仲間が全員揃ってからの「仲間たちコミュ」であり、その発生には物語上の大きな壁が関わっている。つまり、壁が見えてからの仲間たち。そこで「出会いを経てどん詰まった後、どう判断するか」を問うものなのではないかとみている。
つまり、既に出会いの段階は過ぎた状態。
壁に当たって、じゃあどうするかを問うアルカナだ。
ここが「正義」でなく「審判」のアルカナに天道輝を当てたかった理由でもある。
彼は弁護士として自分の信じるものを貫いた結果、挫折を味わった。本人も語る通りそこに後悔はないが、弁護士としてはどん詰まりに至ったという意味での挫折だ。正しかったかどうかは問題ではなく、正しいと信じたことをしたが行き詰まったというパターン。「正義」と「審判」が違うのはここだ。
そこから輝はプロデューサーと出会ってドラスタになり、アイドル界の一番星になることを決意した。衣装や仕事に戸惑いを覚えながらも着々と経験を重ね、もうじき芸歴10年を迎えることになる。
「審判」はタロットの大アルカナ順を旅と解釈した際、旅の終わりに下される審判を指すという。アイドル天道輝の結末がどうあれ、CtCやレイメモでドラスタが歌っている内容はとても「審判」らしいと感じた。
過去は変えられないが、捉え方は変えられる。それを未来への糧にできる。苦い経験があるからこそ、それを力にしようというドラスタの精神は、(人間として生きる限り必ず来るという意味での)ドラスタの終わりが来たとしても損なわれない鋭さと力を持っているのだと思う。人は消えても歌は残るので。
ただの妄想だが「審判」は最後に下るものとして、今あるものや過去へ短絡的に判断を下してしまうことへの警告が入っているような気がする。変わるかもしれないから過去も抱えていこうぜ、しんどいかもだけど、的な。
ペルソナシリーズでの「審判」メンバーは先述の仲間たちコミュを除くと、エリー(異聞録)と冴(5)がいる。
良い子でなければ好かれないと断定して仮面を作った女の子と、自分の信じる正義を断行しながらも味方を得られず折られていた女性。どちらも聡く鋭い人たちだ。それでいて、自分で作っていったものに囚われている人たちでもある。最終的にそこから解き放つと決めるのも自分自身であったことからみても、自分の力で物事の捉え直しができる強さを持った人たちだろう。こうして見ると「審判」は厳かさや鋭さが見えても、あまり柔軟な印象はないアルカナだ。
輝はわりと柔軟なイメージがある(※最新の記憶がファンコンストの人間)。かといって意思が弱いわけでもない。大人。
一見彼女たちとの共通点はなさそうだが、自分に甘くないところは似ていると思う。たとえエリーのように未練の塊を目前にしたとしても、輝は自分の力で抜け出せるのだろう。それは迷わないからではなく、迷っても最終的に過去を否定しないから、なのかもしれない。
世界:天峰秀
意味は完璧、攻略、未完成、調和の崩壊。
まさに天峰。
「愚者」や「魔術師」の適性もありそうだが、「世界」を変えると公言して憚らない天峰には「世界」しかない! と脳直で決めた。
ストーリーを読むに、なんとなく天峰は親友と出会って世界が変わったんじゃないかと思う。
そのことに本人が自覚的かどうかはわからないが、少なくとも「同じ轍は踏まない」という切な動機でこれ以上世界が閉じてしまわないように行動している気がする。
果たして、親友と連絡が取れなくなってからの世界は、変わったんだろうか。それともまだ天峰の中で接続されたままなんだろうか。
いずれにせよ、これ以上相手が離れてしまわないようにとかこうすべきとかそういう理由でなく、外界と繋がりたい、人と接したいという前向きな理由で世界と向かい合うことがこれからも増えていくのだとは思う。Face the worldという曲を何度も噛みしめながら、クラファのつくる世界に思いを馳せている。
サイスタ初期SSRの衣装テキストでも、出会いを得ることで変わる天峰の姿が描かれている。天峰にとってのFace the worldは、出会いなのかもしれない。
「少年の先鋭さを表したようなデザインに、新たなる風を感じて。若き才能は仲間と出会い、輝きを増す。日常から抜け出して、まばゆい世界へと歩き出したその先に、きっと栄光への道が待っている。」(限定衣装シャープネスフラッド テキスト)
それから、天峰の信じる「世界が変わる瞬間」は視野が開くようなものなのかもしれない、とサイスタ初期SSRスキルモーションを見ながら思った。
実際はどうだったのだろう。案外あっけないのか、信じがたいほどの変化なのか。
同カードのチェンジ前台詞では、音楽によって変わる世界の、1つの体験が語られている。
「音楽を聞いてると、別の世界にいるような気分になることってない? 例えば、目の前に広がる光景が……ありふれた日常がふと遠ざかって、自分しか存在しない世界に変わっていく感じ。あれも、音楽で世界を変えるってことだよな。」(【世界を満たす歌】チェンジ前)
天峰と、世界という言葉の関わりはきっと特別で、それは彼自身のいる世界だからなのかも、と思う。それだけ自分のことを信じていて、周囲の評価も受け止めている。
そしてそれゆえに、言葉にされないことには弱いのだとも思う。伝えてもらえない=その世界の一員から外されているともいえるから、かもしれない。
そう考えると、彼が「世界を変える」と志す根っこにあるのは、純粋なものなのかもしれない。自分の世界から姿を消してしまった親友と、再び繋がる世界のために。もしかしたら、そこにもっと広げたい世界やその宛先がこれからも増えていくのかもしれない。
また、天峰の自信における構成に傲慢がほとんど窺えないのも、冷静に自分の持ち物を把握しているだけだからなのだろう。
誰かじゃなく「俺」に生まれて、じゃあどうする? となった時に、天峰は「自分しかできないことをやればいいだけ」(Reason!! 2番Aメロ)とその時点での結論を出した。それだけ。そのシンプルさが、照れも躊躇いもせず「俺は世界を変える」と言えるだけの根っこになっているような気がした。
16歳の天峰秀はおそらく、世界は「小さな世界」(歌の方)じゃないことを知っている。その上でこれまでのような言動をする。自分の中にあるエネルギーでもって。そういうところが、天峰と「世界」のアルカナが持つエネルギー・希望の共通点に思える。
おわりに
気付けば30000字を突破していて驚いた。こんなに長引く予定はなかった。
文量的に、おい後半息切れしてんじゃねーか!と思ったが、元々は全アルカナ2、3ツイート程度の量で書く予定だったので、多いところがおかしい。
改めて、担当のことも他のアイドルさんも何も知らないな……と思い知らされた。でもこれから知っていく楽しみが残っていると思うとわくわくする。でも書けてすっきりしたー!他の解釈も気になる。
万が一ここまで読んでくださった方がいらっしゃったなら、誠にありがたい。
参考資料(最終閲覧:2024/03/25)
・A. Iwata「古代エジプトの神々」
古代エジプトの神々
・アイドルマスターSideM wiki
https://wikiwiki.jp/sidem/
・アイドルマスターチャンネル「エピソードゼロ FRAME」
https://youtu.be/Im4ddnQhRXk?si=Sat4rikOgGvQ7FYw
・ACA STUDIO「LANG」2016
※アーサー・エドワード・ウェイト「The Key To The Tarot」より抜粋
・1話5分で読めるギリシャ神話
【天秤座の神話】最後まで人間を信じたアストライアー
https://greek-myth.info/constellation/libra.html
・鏡リュウジ『タロットの秘密』講談社現代新書2424(2017)
・大アルカナ Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A
・チルの工房「アイリスの花言葉」
アイリス の花言葉・誕生花・イラスト | チルの工房【无域屋】花札庵
・アイドルマスターSideM(2014)
・女神異聞録ペルソナ(1996)
・ペルソナ2罪(1999)
・ペルソナ2罰(2000)
・ペルソナ3(2006)
・ペルソナ4(2008)
・ペルソナ5(2016)