日記 泣くこと
2023/11/12(日)
とある作品を味わって涙が出た。
以下は、とても素敵でだいすきになっているその作品名を出せるような内容ではないのでお名前は伏せる。差しさわりのない言い方をするなら、作品の精緻な心理描写に胸を突かれて声を上げてしばらく泣いた。
泣きながら考え始める。泣く自分を謗り、泣くふりも感情を動かしているふりもするな鬱陶しいと涙を抑えようとしながら、涙する理由とこれまで涙した時のことを思い出していた。ここ最近ずっと抱えている謎。
それは、作品を読んで涙が出た時も、出ない時も、なぜか傷つくことがあるという話。
作品に対して感情を動かしていることが正しいことや素晴らしいことのように思えるのに、自分のものは間違っているように感じて、自分を詰ったり声を出して笑ったりして涙を止めようとする。まだその情動に浸っていたくて泣こうとする。泣こうとしている自分の汚らわしさを見つけて嫌悪して、そうしている間に感情は長続きしなくて、平常のような状態に戻る。泣けばいいと思ってるのか、といつ言われたかも曖昧な言葉を思い出して、泣いた後も傷つく。
他の人がもし同じ状態ならかけてあげたい言葉を自分にかけたら、せっかく抑え込んだのにまた涙が出る。我慢しないで、自分を責めないで、無駄だなんて否定しなくても誰も怒らないよ、と不適切な慰めは、なぜかいつも目にすると涙が出る。それは今この感情を許されたいからなんだとわかるから気持ち悪い。そういう許されたいし泣いていたい感情を無駄だと片付けるうちに他の感情も無駄に思えて呆然とする。
他の人にそういうことを感じているわけじゃない。でも自分の、涙が出るという吐露はいつだってとても軽率で些細で不適切に見える。自分のことでいっぱいいっぱいになって他人のことを全然見る余裕がない。だから他の人の情動に対して思うこともきっと、考え方からして根本から間違っている気にすらなっていく。
じゃあ泣かないときは大丈夫なのかというと面倒なことにそっちはそっちで傷ついてしまって気持ち悪い。泣くほど心を動かしていないことへの罪悪感と、それは他の泣いていないけれど感じ入っていたり思うことがあったりするひとへの心ない偏見じゃないのかという自分への指摘で、勝手に傷つく。意味不明。
そういうどうでもいいあれこれは自分で解決するのが当たり前で正しいから、人に言おうという発想がおかしいはずなのに、こぼしたいと思っている自分に気付いて最後のダメージが入っている。
結論、泣いても泣かなくてもきもい。
自分のことばっかり考えててよく飽きないね。少しは他の人のことも思いなよ。自分を叱ったところで感情はまたぼんやりとした状態に戻っていて、うまく入っていかない。痛みは苦しみは比較によって測られるべきではないと、他の人に対しては思っているのに、自分のものは比較して貶めて、その程度だと思い込むように反射でやっている。気管に入った異物を吐き出そうとして咳やえずきが出るように。何にもならない自分の吐露に吐瀉物と名前がつくのは至極当然に思えた。
以上はどうせ、ないものねだりが根っこにある。
泣いている時は泣くことが間違いに感じられ、泣いていない時は泣くほど心を動かすことにだけ勝手な価値を見出して、自分を仲間外れにしては泣いている。意味がわからない。誰も知ったこっちゃない。勝手に自分で元気になればいい。
誰かにこぼしたくて、でも十中八九不適切、そのくせ下書きに吐いて消してなかったことにすればいいのにそれはできなくてこんなものを残している。意地汚さ。いい加減どこかで自分の許し方を覚えたい。そんなことをしていいタイミングがあるのか疑問だけど。イタい。サムい。気色悪い。語呂がよくて笑えた。考えた時間ごと無駄だった。