幻の 山下洋輔🎹神戸文化ホール
今年の夏 日産スタジアム
で開催された 藤井風さんのライブ 私は 行く事は叶いませんでしたが ブルーレイのリリースが決定し すぐに 11月初旬 予約をして クリスマス🎄に届くのを 心待ちにしているところですが あの日産スタジアムライブ 風さんを支える バンドのメンバーの皆さんも 素晴らしかったですね〜 特に コーラス(ヴォーカル) の お二人 良かったですね。
特に 紅一点 の ARIWA さん ステージに 溶け込んでいて 爽やかな彩りを添えてしゃしゃりでる事もなく 風さんの邪魔を する事なく 控えめで それでいて 上手くて 輝いていて 目立つ 存在で 私は とても 好感を持ちました。
そして 何より ARIWA さんは 声が イイ! 私は ちょっと 声に煩いので 耳障りな 声は苦手なのですが
違和感なく 素敵な コーラス 最高でした!
それこそ 明るくて心の綺麗な ピュアな 可愛い方だなあと 思いました。
そして ギタリストの方も素晴らしいのですが 今回初めて?加わった パーカッションが凄く 良かったなあと思いまして そのパーカッションの 福岡たかしさんのインスタのプロフィールを 拝見したところ works に "山下洋輔"
の お名前を見た時 遥か昔
の 記憶が 突如 蘇りまして• • •
それは 我が 尊敬する 同志が 山下洋輔が 好きで
突如 山下洋輔の コンサートを この 神戸の地で開ききたいと 言いだしたのです!
当時 私は 素人が 有名 ジャズピアニストを そう簡単に呼べるのか?
と 思ったものでした。
しかし それが 実際に 実現したのです!
今まで 私の記憶の中で そんな事があったな と 断片的にしか 思い出す事しかできず 実際 山下洋輔を呼んで コンサートに漕ぎ着けた そのいきさつ も 思い出せない• • •
あの時の事 を 本人に聞いてみたいけれど 本人は もう この世には居ないので
聞く事ができない。
もし 元気だったとしても
そう 簡単に 聞く事はできないけれど• • •
あれは 一体なんだったの
?ってぐらい 薄れて行く記憶の中で まるで 幻の
ようで。
そんな 無謀と言えるような 夢の話だったのに 山下洋輔氏は 実際 神戸文化ホールで 演奏してくれたのです。 今から 考えると
コンサートを企画した 彼の 知り合いとか 友人に 音楽関係の人が 結構居たから そんな仲間が尽力してくれたのかもしれません。 その辺は兎に角 本人が この世にいないので 確かめようがありません
この無謀な企画 が それが
大成功をおさめ 大盛況で
チケットは 完売となったのは覚えています。
私は 一応 スタッフの一員として この コンサートを手伝う事になりコンサートの前日だったか 機材の搬入 やら 楽器🎹の ステージのセッティングも 手伝った記憶があります。
山下洋輔氏と言えば いつも 一緒の 坂田明氏は 来てなかったと記憶してます。 坂田氏は来てなかったけれど トランペッターの 日野皓正氏が 参加してたように思います。
そして 私達 女性のスタッフの仕事は コンサートの関係者を 新幹線の駅にタクシーでお迎えに行き 神戸文化ホールに案内する ピストン運行が 私達のお役目でした。そのスケジュールが発表され 私は お二人程の著名な方に 同行させて頂きました。
お一人は誰だったのか忘れてしまったのですが
たまたま 同行させて頂いた ジャズ評論家の イソノ
テルオ氏は ハッキリと記憶に忘れられない人となりました。
と言うのは、実は 私の遠縁に当たる親戚の女性が ジャズメンと結婚しまして その人は テナーサックスのジャズメンで ヤマハの 教室で長年教えていまして 赤い鳥と言うグループを 教え 結成して ヤマハの関係で 世界歌謡祭の審査員などを務め 日本にも ブルーノートを と 日本ブルーノート設立に 尽力した人なのです。
そして ナベサダ さんとは
バークレーではなく ドイツの大学の同級生で 親友で ナベサダさんが 関西で
コンサートがあるときは
必ず 親戚の家に立ち寄るのですが その テナーサックスの G氏 は 殆ど 音楽の勉強としょうして アメリカに行ったまま 帰って来ないので G 氏 不在のまま ナベサダさんが 訪れてたようです。
G 氏 と 親戚の女性との 結婚式の模様を記録した
ビデオを 彼女が 貴方にはまだお見せしてなかったわね と 貸してくれたので 一年ぐらい お借りしてたかなあ? 訪ねてくる人と一緒に見たりして
その結婚披露宴は ある会員制の 施設を 借り切って
終日 催されたんですね。
旦那さんが ジャズメンですから ジャズの生バンドが 入って ダンス💃パーティーとかもあって それはもう 膨大な フィルム🎞️で 映画より長いフィルムでした。
その時 家で 何度も 見せて頂いてたのに ジャズの事は 知識がないので知らなかったのですが • • •
この山下洋輔のコンサートの関係者のお迎えに行った時の イソノテルオ氏に 親戚の女性が ジャズメンと結婚しまして と G氏のお話をしたら イソノテルオ氏が 僕は G 氏と 親友だよ! と言われて 僕は
彼の 結婚式の 司会を したんだよ! って言われたんですね。 あれだけ 披露宴のフィルム🎞️を見ていたのに 無知ですから イソノ氏に気付きませんでした。 余談ですが この外国倶楽部は 一般人は入れないので 彼女の母親代わりの 婆さんが アンタが結婚する時はなあ いつでも 言うてよ 外国クラブ 借りてもうたるからな〜教会も 3箇所知っとうから 紹介する言うとるでって 婆さんが •• 皆んながなんや アンタ 式場だけ決まっとって 相手居らんやんか〜って 大笑い😆
彼女のお父さんまでが 彼女のいとこ ジュゼッペ はどうや? まだ 一人やで!音楽の勉強に アメリカ行っとうわ🇺🇸 又かいなあ
彼女のように! 母が そんなんアカンアカン って却下されてしまいました⤵️
実は 彼女 結婚が 決まるまでに イイ お話しが沢山あったんですよね〜
お婆ちゃんと彼女と いとこの リリアナ お付き添いで 花の東京へ お見合いに行った おもしろ お見合い滞在記 エピソードを披露してくれたんですが 、、お相手は 凄く立派な素敵な方だったのに アメリカ人ですから 結婚して直ぐにアメリカに お嫁に行かなければならなかったので、お婆ちゃんは 孫と 離れ離れになるのが辛くて 反対したんですよね〜
その頃 お婆ちゃんの家の前に ゴっつい 大きな 外車が横付けされて停まって その 凄い外車が 停まるのが ビックリしたようですが 毎日のように G氏は お孫さんを 下さい 下さいと 何度も 頭を下げ に G氏は 通ったそうで とうとう お婆ちゃんも 根負けして 日本人なら 可愛い 孫と 離れず ずっと 一緒に居れると 遂に 承諾したようです。 その判断をお婆ちゃんは 後々 ずっと 申し訳なかったと 悔いていました・ ・ ・
イソノ氏が G氏を ここに呼ぼうよ と 言われて 彼女の家に電話して 彼女と少し話して たまたま その時 G 氏は アメリカへには 行ってなかったので ジャズのお仲間を 連れて 神戸文化ホールに 来てくれました。そこは 楽屋で 私と イソノ氏と G 氏と そのお仲間さん そして そこに 日野皓正さんも居たと思いますが 皆さんと 楽屋でお話しさせて頂きました
因みに 親戚の家には 生演奏できる スタジオがありまして 子供達 そこへ入る事は 禁止されてたんですが アメリカ滞在で ご不在の時 内緒でスタジオ内を見せて貰った事が あります。 ドラム🥁と グランドピアノ🎹と ギター🎸が何本も そして 本業の サックス🎷が ありました
他にも ありとあらゆる 楽器が 置いてあったような気がします。
又々余談ですが 私が バイトしていた 喫茶店のママの お客さんが 牧場のボンで その人と親しい G 氏
が 仲間と一緒に この 喫茶店へ お茶飲みに☕️来てくれた事があったのですね〜 カウンターに 3人座って 3人とも 日本人なのに ずっと 英語でお喋りしてるんですね〜 外人が混じっているならまだしも 日本人だけなのに 英語で喋って なんて キザな奴
と思いました。又々 話しが脱線しましたが 肝心の
山下洋輔 の ピアノは 私は 一応 スタッフですので
会場の一番後ろから 拝聴致しました🎹
山下洋輔と言うと 乱暴に
ピアノ🎹を 叩き割ったりと 派手なパフォーマンスで と そう言う イメージが 定着していますが 元々
が クラシック畑の人なので 基礎が しっかりしているので ちゃんと 抑制は効いているし 人の 心を打つ 素晴らしい演奏だなあ と
思った事 感動した事 覚えています。
この幻の 山下洋輔のコンサートを思う時
このコンサートを企画した 彼が 何年か前 BS ドキュメンタリー出演の為 遥々 九州の秘境から こちらに出て来た時、、私が 共通の友人の元 シグナルと言うグループのマネージャーをしていてその後ライブハウス経営している サトル君を 探し当て
て、、その事を どこかで聞きつけた 彼が サトル君に会いに ライブハウスに 立ち寄った 事を サトル君からの 年賀状で知り
『アイツが来たよ!それも これも みんな ◯ナ子が 引き合わせてくれた!
◯ナ子のおかげだよ 感謝だよ』って
その話しを知った時 山下洋輔のコンサートの経緯や 私が 忘れてる 事 聞けたのになあ と とても悔いが 残ります。
唯一 聞けるチャンスだったのに• • •
もう こうなったら 山下洋輔 直々に あの時の 幻のコンサート🎹について
色々聞けたなら 聞いてみたい。 なぜ 引き受けて下さるように なったのかと? • • •