白線内側の誘導ブロックの上で停車していた車から発されたクラクション

先日のびっくり!

高田馬場で点字図書館まで歩いているとき、確かに歩車分離道路ではなかったが、白線がちゃんとあり、その内側に誘導ブロックが敷いてある道路。

ゆっくり誘導ブロックに沿って歩いており、しかも前方から車の来る音もしていない。

なのに!

目の前から突然鋭いクラクション!

飛び上がって硬直してしまい、白杖、取り落とすところだった。

しかしその後、しばらく立ち止まって前方の音と気配を聞いていたけれど、何も起こらないので、恐る恐るまた進みだそうとすると、近くにいらしたらしき歩行者のかたが慌てたように近づいてきて私の背中側から私の肩を触って「こっちこっちこっちっ」と、沿っていた誘導ブロックより更に内側、道路のぎりぎり端っこのほうに方向修正して向かわせてくれました。

どうやら、左側に車がいたので、あのまま進んでいたら車があったでしょう。
その後どうやらその車、動いて走っていったよう。

ですが、そんな、車も端っこの誘導ブロックの上を通らねばならないほど狭い道路ではない!

誘導ブロックの上に停車していたのか、それとも道路の反対側に別の車でも止まっていたとかすれ違おうとしていたか、わからないが、いずれにせよ自分のほうが白線の内側のしかも誘導ブロックの真上にいることくらいは自覚していただきたい。
もし、どうしようもない理由でそこに停車していたとしても、停車していたのだから、窓をあけて声を出してくれるなり一旦出てきてくれるなり、方法はありませんでしたか?

自分が誘導ブロックの上にしばらくとまっていて、前方から白杖使用者が(白線より内側の)誘導ブロックに沿って歩いてきて目の前まで来たからってクラクションを鳴らすのはどう考えてもおかしいのではないか?
違法では?

というより、私は道交法に詳しいわけではないのではっきりとしたことは言えませんが、相手が白杖使用者ではなくても「歩行者」に対してこれは、違法では?

しかも、これは体感と勘だが、タクシーかパトカーっぽかったような…。


どれほど白杖使用者に、どういう状況かわからない状態に追い込んでどれほど心臓の凍り付く思いをさせるか、わからないのだろう。
寧ろ本当に白杖取り落としてどれほど恐怖に凍り付いたか表現すればよかったと思ってしまう。
しかも白杖使用者の多い点字図書館のすぐそばだぞ。

もし、後ろから慌てて私の向きを変えてくれた歩行者がいなかったら、私はまた車のほうへ恐る恐る進もうとして、近づかれた車はまたクラクションを鳴らすという暴挙に出たのだろうか。

これは、相手が白杖使用者だから、ではないと思います。
そもそも「クラクション」というのは、直接の疎通が難しい車同士や、車同士でさえもよほど緊急の切迫した場面で使うものでしょう?
白杖使用者でなくとも歩行者が「クラクション」を聞いたら、よっぽど飛び上がって驚くと思います。よほど自分の身に危険が迫っていると感じてしまいますし、驚き、パニック、緊張で、逆にその場でかたまってしまったり判断を誤ったりしかねません。
お互いの危険回避、安全のために鳴らすなら、「クラクション」の使い方、あるのではないですか?

車を運転する資格をとるとき、習いませんか?
それとも、クラクションは、子どもや状況把握困難な者や高齢者に対して、軽々とすぐ鳴らすものだと、習うのでしょうか?


車を運転するかたは、自分の身も周囲の関係ない他者の命まで預かっているのだから、ちゃんと勉強してください。
車を運転するということは、現代社会では人数も増えてきているから当たり前のように感じて麻痺している人たちもいるかもしれませんが、ある種の特殊技能です。
「資格」が要るものなのです。

逆に言えば、その「資格」取得の勉強をしていない者は、道交法など詳しくありません。
だからこそ、有資格者たちが、しっかりと正しい知識と倫理観をもって行使してください。


お互いにみんなが安全を確保して、自分の身を守り、ということは同時にその場の相手の身も危険に晒さないように暮らすためには、何が必要ですか?


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