視覚障害者の嬉しいと感じた配慮―見も知らぬ人たちの連携プレー!
今回私が出かけたところは、1か月に1回ほどは行くのだけれど、駅から目的地までが、歩道と車道の境がなく、白線のみの道路。しかも、いくつか横断歩道もない十字路を渡る必要がある。
その上、路傍に大型の車が白線をまたいでとまっている場合も非常に多い。
そんな中でがんばって辿り着き、帰り道…
これまた何度も端っこに停車している車をそろりそろりとよけては今どの辺りか、方向もだいぶ迷子になりながら、いくつかの十字路もわたったとき。
白杖の先に、なにやらカンカンあたる。
しかも、カンカンするパイプ、檻のようになっており、あっちに動かしてもこっちに動かしてもカンカンあたり、うまくつたうことができず。
すると、横から「どちらに向かわれますか。ちょっとだけだったらお手伝いできますよ!」と男性のお声。
「実は駅に向かいたい(晴眼者にすればただただ道路をまっすぐの道)のですが…」
「ああ、ではちょっと待ってくださいね。私今自転車なので…ちょっと今行きますね」と自転車をその場にとめて近寄って腕をかしてくださり、道路の歩道当たりの位置へ連れ戻して「これで今向いている方向にまっすぐ行けば大丈夫です!」と、助けてくださった。
お礼を伝えてそのまままた、何とか白線の感覚を見失わないよう僅かな凹凸を感じながら伝ってゆっくり歩いていると、
「私も駅に行くので、よかったら一緒に行きましょうか」と今度は女性のお声。
「さっきから実は気になって見ていて…でもどうお声かけていいかわからなくって。そしたら自転車のかたが先にお声かけてたから、で、駅に行くっておっしゃっていたのが聞こえたものだから…」と。
見ていてくださったのですね。
おかげで、駅の改札まで安心して腕をおかりして連れて行っていただきました。
素晴らしい連携プレー、本当に助かりました、ありがとうございます。
白杖使用者へお声がけくださる際は、もうなんでもいいのです。
白杖使用者は困っていても、道すがらのかたが気にしてみてくださっていることにすら気付くことができません。
例えばですが、「方向が同じなので良かったら一緒に歩きますか?」「お手伝いしましょうか?」「どこかお探しですか?」「どこへ向かわれますか?」など…なんでも、あなたのお声さえいただければ、困っていたり助けていただけるとありがたい状態・状況だったら、どうして欲しいか(こちら側も言語化が拙い場合はありますが)、伝えてお願いすることができます。
いつもお見守り、本当にありがとう。