歩くことへの危機―歩ける靴がない?!
今回の記事、「歩くことへの危機―歩ける靴がない?!」の内容に入るにあたって、まず私自身の現状をなるべく短く軽く説明させてください。
私の現状と経緯
私は、生活視力、ほぼゼロの状態で生活をしています。
かといって、国の認定基準では視覚障害と認められることができず(昔作られてそこから文章を変えないという決まりがある法律の中で、まだメカニズムが複雑で知られておらなかったために枠組みがない)、身体障碍者手帳も視覚障害などの支援も就労支援も、何一つ受けることができておりません。
私は、眼球には異常がないとされましたが、出生時低酸素症による重度脳性麻痺で生まれており、幼い頃の脳性麻痺の診断書には、視覚障害の記載もあります。が、これは本当に乳幼児の頃の診断書であるため、検査で「視力・視野」をはかって「視覚障害」認定をされた診断ではないのです、幼い赤ん坊にそんな検査はできませんからね(追視をしない、目の前に何かをちらつかせてもまったく何も反応しない、という理由付きで視覚障害と記載されていました)。ここが難しいところのひとつですが、「国の診断(障害枠の認定)基準」と、「医者の診断」は、基準や意味合いが別物なのです。
そして、眼球に異常がないことだけはわかったけれども、しかし目の前にものがあっても動かしても反応しない理由を確かめるためには、脳波の検査が必要になってくる。しかし、重度脳性麻痺の赤ん坊には、嚥下障害もありました。脳波の検査をするには、睡眠薬を飲まなければならなかったのです。この睡眠薬を飲み下すことがまずできず、身体中甘いシロップの睡眠薬でべちゃべちゃになりながら、しかも僅かに体内に入った睡眠薬も、脳に何やら変な刺激がいったのでしょうか、そもそもアテトーゼのひどかった身体を更に不自然な方向へくねらせねじらせ、ひどく苦しんだようなのです。その上、睡眠薬が結局ほとんど入っていない状態で無理やり脳波をとってみても、うまく検査結果が出ない。
辛うじて小脳が機能していない(壊死している)こと以外は、何もわからなかったようです。
その上、そんな40年近く前、若い両親も、障害年金制度など、まったく知りませんでした上、障碍者手帳も(医師団の検査でははっきりと「この子は100%寝たきりになる」と宣告されたほどだったのですが、その医師たちに)幼い頃に親が取得すると成長してから子供がいろいろなところで不利になったり恨まれたりする、と脅され、身体障碍者手帳も基礎年金もあの頃なら受けられたのでしょうが、知らないまま受けずに来ました。
そして、幼い頃から中学頃まで、障碍者施設のきついリハビリに通いましたが、脳性麻痺のリハビリというのは、壊死している脳や機能を動かすわけではなく(既に壊死しているわけなので)、何とか本人の脳の可塑性を発揮して「代替的な機能」を発達させることで世の中に適応できるようにしていく、という意味のリハビリなのですよね。
そして、この頃の専門家たちには、この赤ん坊(私)は眼球には異常がないのだから、「視覚障害ではない」はずだったのです。
「見る」という機能は、メカニズムを勉強しても勉強してもあまりに複雑で専門家でもまだほとんどわからないことだらけの、大変な大サーカス機能です。眼球の(それだけでも相当な種類の細胞がありますが)細胞たちだけでなく、視神経から脳に到達して脳のありとあらゆる領域の連携作業で、やっと「見る」という現象が起こります。(これについてはぜひ私の別の記事や私の講座や、心療眼科医若倉雅登先生著「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」などをご参照ください)
しかし、「脳機能や脳機能と神経群と眼球の連携の異常」で「視覚機能」がうまく使えていない状態、というような奥深い壮大な話、この頃には思いもよらなかったのですね(いや、今も一部の専門家は研究し始めていますが、それでも説明できないし、まだまだまったく知られていません)。
そんなわけで、私は「視覚障害ではない」子どもとして育てられ、何やらあれこれといろいろなところに起こる異常は、そもそも「脳性麻痺」というもの自体が脳の複雑な障害であり、何が起こるかわからない障害であるため、脳の問題だろうとか精神の問題、はたまた性格の問題だろうなどと扱われてきました。
その上、リハビリ(代替機能開発)によって、私はどうやら、視覚情報という刺激(光波/これは強い光とか眩しい光という意味ではありません。ヒトは皆、光の波が物に反射して網膜にぶつかる、これを刺激として視覚情報を処理しています)を、どうやら、本来みんなと同じ視覚処理機能が非定型発達になっている(連携不全)のに、視覚情報に反応しなければならない世の中に適応するために、何とかして無理やり、視覚情報を本来とは別のところに送って別の回路を作り出して処理するようになったり、それでも間に合わない部分は成長してからごまかし術や会話術(一番わかりやすいところで言えば見えているフリをするために相手から引き出したり)、他、身体の他の問題や精神的な問題や性格の問題でついていけないのだというフリをしたりすることで、いわばまったく無自覚に「見えている」自分を演出するようになっていったのでした。
しかしながら、私は、「光波(視覚刺激)」というもの自体が、処理できないようでした。つまり、光波という刺激自体が、異常がない眼球には到達しても、それを処理しようとするとき、完全にいわばノイズというような形、処理できない信号がざざーーっと入ってきてしまったような形になり、光波という刺激自体が負担、苦痛、入ってくるだけで認識できずいっぱいいっぱいになってパンクしてしまうような身体だったようなのです。
しかしながら、これでは世の中適応できませんし、リハビリもこなしていけません。幼いながら、苦しいリハビリには何とか適応してこなしていかねばなりませんでしたから(自覚と記憶はないのですが…)、視覚情報を処理するしないの前に、「光波を目や瞼に受けること」自体のダメージをなんとか緩和するために、解離性同一性障害という、これまた現代専門家にもまだまだほとんど知られていない精神障害を発症し、痛みや身体症状になってしまう神経をシャットダウンし麻痺させることによって、更には「交代人格に精神障害やら視覚障害やら聴覚障害やらがいる」という理由付けによって、「本当の元々の身体の状態」は隠したまま、生活することを幼い頃の条件反射的に選んでしまったようなのですね。
しかしながら、結果的に現在、私は精神障害における社会的な苦しみや自分の魂的な苦しみをどんどん、私自身が専門家としてどんどん紐解き寛解していきました。
しかし、すると、今まで無理やり隠してきたものが取り除けられてきて、明らかに「視覚障害者と同じ道具や同じような工夫」をひたすらせねば、生活することが成り立たなくなってきたのでした。
その上、年齢がいって、人生の転機なども何度も経験して、親の傘に隠れて生活するところから抜け出して来たら、更に更に、社会的に自分がどうしてどんなことでどういうふうに困っているのか、明るみに出てきます。
しかしながら精神科でも眼科でも診てくれることはできず、心療眼科医の若倉雅登先生が辛うじて「恐らく」付きで、「見る」という現象を起こすための脳回路の連携不全であろうと診断してくださり、「これは視覚障害だ」と断言してくださったのが、もう実はたった数か月前のことです。
そしてこの先生は、脳回路による視機能異常を「眼球使用困難症」ととりあえず名前を付けて何とかわかりやすくして国に訴えようと、やっと10年前から動き出したパイオニアで権威の先生です。
「歩くこと」「靴」とどう繋がるのか
やっとこの記事の本題です。
つまり、私は国の(専門家たちの間ですら)認定基準では「視覚障害」と当て嵌めることもできず、かといって「脳性麻痺」としては、良くも悪くもリハビリの効果があって「自分なりの方法で」生活はできるようになった、つまりは「身体障害」枠に当て嵌まらず、手帳も取得できず、しかし精神では手帳を取得し、それでも実質困っている生活上の問題が明らかに「身体(視覚など)」の問題であるために精神障害者支援では何もできないと軒並み言われ、どんどんどんどん「グレーゾーン」と扱われるようになっていきました。
(いや、精神障害者手帳ですらも、あまりに複雑すぎて診断できる医師がおらず、実は1年程前の取得です)
しかし、実質は、嚥下障害の名残もあるため社会的・交流的には明らかに食事にハンディが出ますし(更には視覚的事情により食事時には完全に視覚障害者相手の補助や対応を必要とします)、体幹・平衡機能障害もあるため、更には言うまでもなく視覚機能がないということで、外出時は危険が生じます。
そして、もうひとつ。(というよりも言い出せば他の角度からまだあるのですが、記事の本題に入ることができなくなってしまうので割愛します。)
私は、幼少期より、足の骨格異常があるようです。
歩いたり走ったりすることはできますが、しかし、幼い頃より靴に特殊な足底板を(最初は専門家が、その後成長過程では父が作ってくれて)入れ、それでいて、「特定の」靴しか履けませんでした。履けない、というのは、足に入らないという意味ではなく、履いて歩いたり立っていたりすることが困難であるという意味です。
成長過程でずっと使っていたのは、元軍靴の製造メーカー「Bonstep」社の、しっかりと足を包み込んでしっかりかっちり支えてくれる革靴(ローファー)。
1足3万くらいする、高価なものでしたし、その店もそんなにあちこちにあるわけではないので、本当に必要なとき、買い換えねばならないとき、行っていました。しかも、歩き方が下手だし他の人と恐らくバランスのとりかたや体重のかけかたなどが異なるので、靴の傷み方すり減り方も激しいのですよね。視覚の問題もあわせれば更にすり足になったり、道端に落ちているキャンディのようなものやら踏んでしまったりする率も高いので、尚更、消耗が早い。
それでいて、靴底がすり減って来たりしたら、それでも無理やり履き続けて歩けば、足の骨格異常やバランスのとり方がどんどん悪化してしまうし、靴自体も滑ったり転びやすくなるので、もったいないからとあまり放っておくわけにもいかない。
このお店の同じ商品であっても、買い替える度に、靴の大きさやら足底板を入れたときの相性などなど、履いてみてみせの中を歩き回ってみてひたすら吟味して、「よし、履ける。慣れれば多分歩ける。」という判断で、やっと購入に至る。
私にとってはこれが「靴」でした。
もう、自分の玄関にシチュエーションに合わせていろいろな靴の種類がある、とか、デザインが良いからつい買っちゃった、とか、今日はどの靴を履いていこうかといつも選べるように買い揃えておく、最新の靴が出たから買い替えよう、とか、そんな「ファッション」的な世界とは、まるで別次元別世界なのです。
そんな世界があるということ自体、どれほどのかたが想像してくださるでしょう。
とにかく利便性…というより「歩けるかどうか」最低限の死活問題。私にとって靴が靴(履いて歩くもの)の役割を果たしてくれることができるかどうか。それでもこの商品しか、だめだったのです。
高校や大学には、実は制靴がありました。
が、高校の制靴は革靴(ローファー)であったため、見た目が似ていたし、そもそも心身に障碍を持ったかたも多く通う学校でもあったのでそこまで厳しくめざとく見とがめられないだろうと、自分のローファーのまま通いました。
大学(音楽大学)では、色も真っ白、そして舞台上で履く、ヒール…しかも5㎝以上という規定があった。
その時点で、入学拒否をされたかのようなショックがありました。
しかし、履く頻度は少ない。その上、実は、この靴を履く時は、制服が、黒の地面に引きずるほど長いスカートでした。
…それなのになぜそんな恐ろしい靴を制靴として買わせる・履かせるのでしょうね。
そんなわけで、私はその場に持って行きはしましたが、こんな靴、履いて舞台の上を歩くどころか、立っていることすらできませんでしたので、こそっといつもの黒ローファーに履き替え、黒スカートの中で隠したままにしました。
そんなふうにして生きてきましたが、しかしある時、このBonstep社のこの型の靴が、製造中止となってもうないと言われました。
私が外を歩くことができる唯一の生命線。
男物ならばあるようですが、女性にしても小柄で服ですら子ども用を着ているほどの私に、男物の靴は大きさがあまりにもあいません。
これはまずい…。
あらゆる店で、歩けそうな靴を、両親とともに探し始めました。
しかし、どこも、店員さんに事情を話し、店の靴をほとんど根こそぎ履いて歩いてみるということをさせてもらうまでしましたし、いろいろな店を回りましたが、どこもだめでした。
ただ、一軒だけ、しかも地元のすぐ近くの店で、いろいろな靴を安く仕入れて安く売っている(その代わり最新ではない)靴屋があり、その中に、唯一、今までのローファーに見た目も作りもよく似ているものがありました。
履いてみたら、そりゃあ軍靴メーカーの靴に比べたら弱いけれども、私も身体が成長してきてだんだん適応能力も使えるようになっていますし、慣れれば何とか履いて歩くことができそうだ、という靴でした。
もちろん、特別足底板は入れます。
しかも、この靴、この店が安く卸している靴で、2000円だったのです。
もうこれしかありませんでしたし、この値段であれば、もし例え履き潰したり合わなくて歩けなかったとしても、まあ試す価値はある、と、それを購入し、それで慣らしていきました。
やはりBonstep社の靴よりは断然、早く買い替えの時期がきます。
同じ店に行きました。
すると、前と同じ靴はなかった…!
しかし、前とよく似た靴が、これまた一足だけ。
試してまた店内しばらく歩いたりして吟味を重ねた上、意を決して購入。
慣れたら、これもうまくいきました。
が…この前。
また買い替え時期を感じながらもがんばってすり減った靴をもたせていた。
そもそも白杖の単独歩行でなかなか行くに難しい店なので(距離的には近いのですが)、先日、友人が訪れたとき、一緒に付き添って寄ってもらうことのできる機会がありました。
店に連れて行ってもらい、店員さんに「これと同じような靴を」とお願いするも、「確かにその靴は以前うちで扱った靴だが、それと同じか似たようなローファーは、もうない」とのこと。
なぜかと聞くと、女性ものではもうどんどんサンダルだとか柔らかい素材で作られる靴がどんどん多くなり、そういう系統の靴自体がもうほとんど出回っていないのだと。
店員さんにまた長々と事情を話すと、何とかいろいろ探しながら、唯一2つだけ出してきてくれました。
ローファーではありませんでしたが、革靴で、上部がヒモ(ゴム)になっているけれども結ばなくて良い。そして、結構しっかりしていました。もうひとつのほうは、やはり弱く、だめそうでした。
唯一残ったその靴を、足底板を入れて履いて、その辺り歩き回らせてもらいました。
今までのものとはやはり少々違い、バランスのとり方も少し変えねば…というところでしたが、しかもこの靴は2000円ではなく、1万1千円。試すにはリスクの高すぎる値段です。
が、もう、背に腹は代えられません。
しかも、店員さんの言うには、
「うちは安値で卸しているからこの値段だけれど、他の店では2倍以上はする。そしてうちは安値で卸している代わりに最新の靴ではないので、最新の靴を扱っている通常の靴屋では、こういう靴はもうまずほとんどないだろう。」
とのことでした。
時代の流れとともに、私の唯一、外を歩くことのできる命綱の靴型がなくなっていく…!
そうでなくとも、障碍者支援も補助も何もない、これだけの社会的支障がありながらも「障害者」とすら認定されずに、自費であらゆる工夫をしてきたり、自費で通常の人たちならば使わずに済むような道具やその道具の材料などを手に入れ続けてきて、靴にしたって、デザインやらファッションやら趣味やらですらないのに、高価な靴を購入せざるを得ない人生を送ってきた。
(こういうところまでたまに話すと、結局「そんな大変なのにどうして障害者手帳を持っていないの?」などと言われて脱力します。こんな程度のもの、地味すぎて国では障害とすら認定されないのです!例え生活上では、いくら出かけられなくなり買い物すら行けなくなるほどの死活問題であっても!)
それでも何とかやってきたのに、その上、なくなる?
時代の流行のおかげで?
時代の流行で、私はここ1年ばかりでやっと初めて人生で「視覚的な問題」を共感してくれる専門医があらわれ、やっと点字図書館の理解と情報的援助(生活の工夫の少しや点字など)をもらえるようになり、やっとだんだんと、少しずつ外出したり行動範囲も広がってきたというのに、
ここにきて、次に靴を新調する必要が訪れたときに、「靴がない」がために、外出すること、外を「歩く」ことができなくなる危惧を感じました。
それでもやっと白杖を使って、外を歩くことができるようになってきたのに。
しかし、歩くことに誰しもが必要とする「靴」が合わなくて、合う靴が世の中に存在しなくて、外出することができなくなったら、どれほどの社会的生活の弊害でしょう。
しかしながら、これは、ただでさえ40年近く気付いてももらえず自分で気付いて説明し始めてですら複雑すぎてわかってもらえない視覚の問題よりも、更に更に表面的には地味で知ってもらいにくい、まさにこれまた「谷間」に陥ってしまった問題です。
しかも靴の問題など、普通ひとに話もしません!
しかし今回、そうか、ほとんど浮上しないからこそ当事者が言わなければ、誰にも知ってもらえないまま、社会から取り残され部屋の隅に追いやられて動けなくなってしまう。
当事者がしっかりと伝えねば、大多数にはわからないし考えも及ばないから気付いてもらえない問題なのだと気付き、こうして僅かながらこれについても発信を始めています。
ただ、どこにどう伝えれば良いのでしょう。
私の知り合いには、靴屋も靴の製造屋さんもおりません。
国に何とかして伝える手伝いをしてくれるような、社会的なところに繋がることができるようなかたも存じ上げません。
しかし、このままでは、私は「障害者」ですらないのに、玄関から外を歩いたり、今玄関から外に出るための15段の階段すらも、降りることができなくなる危険性、誰にも知られぬまま「歩けない」ために生活できなくなってしまう危機に晒されているのです。
どうか、たった一つ、皆様のクリックのひとつでお力をお貸しください。
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