点字教室卒業…今後の展開(自分用の記録)
※9月下旬に書いた記事です。
点字教室とのであい、卒業まで
2月だったでしょうか。
心療眼科医(眼科特殊外来)の若倉先生と出会い、実は「視覚障害」であったことが発覚し、しかしだからといって国に認定基準がないためどうにもならず、一縷の望みにすがって若倉先生が立ち上げた眼球使用困難症のNPOに行き、理事長さんに長時間話を聞いてもらい、開き直って良いんだそれは視覚障害であるから視覚障害者たちと同系統の工夫が必要なのは当たり前なのだとひたすら言葉をいただき、それでもどうにもできはしない、けれども、
「もしかしたら、日本点字図書館には眼球使用困難症という言葉を少しずつ知ってくれているスタッフさんが増えてきているから、もしかしたら頼っていったら話を聞いてくれるかも、少し訓練もしてもらえるかもしれない」と言われて、実はその何年も前から道具などを購入していたため存在は知っていた日本点字図書館へ、それでも多分、実際には入ったことすらなかった(視覚障害者という障害者手帳提示でもできなければ入ることすらいけないのかと思っていた)点字図書館へ突撃。
親身に話を聞いてくださり、訓練などは受けられないがもしかしたらあそこなら…あそこなら…などといろいろ情報をくださり、そして、
「手帳をとれないけれども視覚でお困りの人に向けた、点字教室が週に1回あるんですよ。話をちょっと聞いてみますか?」
その場で担当者を呼んでいただくことができ、話を聞き、平日の午後、1時間、そして毎週高田馬場へ通う…という、都合合わせやら長距離の通いやら、しかしそんなことを考えるより早くいちもにもなく「ぜひお願いします!」とその場で登録したのが、ちょうど3月末くらいだった。
もう「では来週から」というタイミングだ。
最長2年間通い、点字の五十音や日本語を読むのに必要な記号類、読みと書き(点字器で打つ)、アルファベット、それから点字楽譜の基礎か、英語もできますよと言っていただき、これは2年間では足りない、死に物狂いでやろう、雨が降ろうが槍が降ろうが無駄にせぬよう通おうと心に決め、通い始めた4月。
点字は独学はしており打つことはできたし読むこともわずかにはできたが、それでも日本語の読み書きに必要なものは五十音の文字さえ覚えていればいいというものではない。アルファベットや記号類、数字、あらゆる記号…
しかも書くほうではなく「読み(触読)」から入る。
これは時間がかかるぞと本気で覚悟を重ねた数回。
そして、せめて日常で使えるまでになるにも(私の目標は仕事で墨字の殴り書きほどの速度で使いこなせるようになること)週に1回1時間などで足りるわけがない、と、まさに決死の覚悟で初めての点字図書、しかも長編で言葉も難しくひとつひとつの文章も長い「銀河鉄道の夜」を借りてきて、その日の夜から公開配信形式で少しずつでも、どんなに恥をかこうが読み詰まろうがパニックになろうが読み進めようと「点字訓練枠 『銀河鉄道の夜』を読む」企画を始めた4週目。
ちなみにこの銀河鉄道の夜がやっと読み終わったのは49日目。6月9日であった。
それから、9月17日で全19回。(8月はまるまる休みだった)
最後の2回は点字楽譜の基礎となったが、「点字に置き換えたときでのメカニズムや記号」をまるで知らないものの音楽に関しては深かった私は、五十音をそもそも読めるようになったら点字で解説されている教科書も読むことができる。音楽に関してはあまりご存じではなく教科書の読み合わせをしてくださっていた先生がたよりも家で先に教科書を解読、記号を覚えてしまい、その細かい使い方などで質問が出てきてしまったものの先生がたはご専門ではないのでわからない。
そんなわけで、残りの2回はほとんど、点字楽譜に詳しいかたや場所の情報をひたすら聞いたり、家ではまたもあちこち藁をもすがる勢いで電話をかけまくる日々であった。
これ以上点字教室に残っても講師がお相手できないと言われてしまい、2年間命がけで通う意気込みだったものの、この日に卒業ということに。
ちなみに最後に、私が点字楽譜を先に選んだためにまだ学んでいない「英語」について少し伺い、しかしアルファベットを読むことができる私は教科書の解読はできるはず、個人使用でならと、点字教室で使っておられる英語点字の教科書(点字版データ、7種類)をいただいてきた。
点字ディスプレイについて
そうそう…点字データ版で教科書をいただいてきた、といえば、
大変大きなできごとがひとつ。
8月の夏休みの間に、なんとついに点字ディスプレイが相棒となったのであった。
私は視覚障害としての手帳取得ができていない。そのため、受給者証がなく視覚障碍者用支援福祉器具どころか、同行支援ひとつ利用できない。
そのため、点字ディスプレイなど夢のまた夢という話であった。
もし万が一自費購入するにせよ、あらゆる角度からの葛藤があった。「視覚障害者でもない」「補助される身でもない」のに。
しかし、手帳取得ができないわけであるから、就労支援を使った一般就労は不可能。とすれば、自らの持ちうるものを自分で発揮して社会で収入を得るしかない。
が、私の持ちうるセラピストや講師としての技能にしても、例えばカウンセリングひとつするならば、やはりクライアントさんの話を聞きながらメモをとったりそれを見返したりということは即座にしたい。しかし、もしも点字器でよほど高速にしかも話を聞きながら打ち込むようなことができたり、即座に紙をひっくり返して探し出したりまた点字器につけたりということができるようになったとしても、点字器で文字をひとつ打つには、どうしてもかなりの音がする。しかもクライアントさんにクライアントさんの印象で「メモの取り方やタイミング」を見られ勝手に何を書いているとかメモが多い少ないなどと意味もないバイアスを与えてしまう。
かといって、PCでブラインドタッチで打ち込んで読ませるにも、音声操作を使っていれば他の操作アナウンスも聞こえてしまうし、かといってイヤホンをするとクライアントさんの話も聞こえにくくなる上、クライアントさんにもやはり「イヤホンをされている」というような感覚を与えかねない。
さらに講師としては、私はテキストはだいたい受講生さんに読ませる形をとっているが、テキストの種類が増えてくるにつれ、どうしてもどこに何を書いたかさすがに正確に覚えていられない。しかも、読みを止める場所、振り返り解説、何ページを参照するなど指示を出すことができないため、どうしても講師用のテキストも必要。
仕方ない、すべて自力で点訳しようと一度は腹をくくったが、しかし、手打ちで点訳したらそれだけで今後の人生すべて使うかのような膨大な時間と労力がかかる上、1冊しかできない。そして数回講座で使えば点字なんぞすり減ってどんどん読めなくなって行ってしまう。それをまた手打ちで打ち直し…などやっていたら、やはりそれだけで人生の時間すべて潰れてしまう。
他にもあれやこれや理由があったが、とにもかくにも、もはや背に腹は代えられないとの結論が出て、自費購入に至ったのだった。
すくいは、この点字ディスプレイ、「点字電子手帳」といわれるだけある。まさに、画面がないだけのPCそのもののようなもの。
さらには、点字の本であれば何十冊にもなってしまうような長編小説や聖書やら、いろいろな教科書やら、データとして点字ディスプレイ一本の中に入り、いつでも選んで出すことができる。
たったこれだけですらも、点字の読みの訓練(多読)はずいぶんとできることとなる。
毎日、もはや手放すことのできない相棒となった。
通常点字のこれから
通常点字に関しては、これ以上、読み書きや点訳並みのルールなどのスキルを上げるならば、晴眼者の点訳会などで校正などの実践で学び磨くしかない、と言われていた。
こちらもひたすらあちこち電話をかけまくった。
居住区にはなく、隣の区に2つあったので、隣の区に電話をかけ、繋いでもらったら、なぜだかそのうちの1つのほうに繋いでくれた(それまでにも何度かやり取りがあったので期間はかかったが)。
が…その点訳会さんは、事情を話すと、「うちでは無理ですね」
というのも、今の点訳はほとんどすべてPC内で完結しており、PCで打ち込んで校正にしてもPC画面に点字を出してそれを「目視」で読むことで校正としてしまうのだ、だから当事者さんはっきり言ってできることない、今の時代どこの点訳会さんももうみんなそうなってますよ、とのこと!!
点字は触読する文字だ。
そして、触読する人が使う文字である。
それを、触読する点字使用当事者が校正できないやりかたで校正?
しかも、今の点訳はPC内で完結していて、点字利用者が読むための点訳本のはずなのに点字利用者が校正することができない?!
言語化に窮するこの何とも言えない理解の及ばぬ現状、矛盾に唖然としてしまった。
また、最近私は点字ディスプレイで宮沢賢治の新版全集を全巻ダウンロードして読んでいるが、これがなぜだかやたらと点訳ミスが多い。
しかも、触って読んでいたらこのミスは絶対にしないであろうというようなおかしな文字のミスばかり。これはきっと画面を「見るだけ」校正をしているのだろうなと思わざるを得なかった。
そして、このときなぜか、墨田区はこちらの点訳会にしか繋いでくれず、もうひとつのほうに繋いでみろと言われてまたあちこち何回かやりとりを重ねた末、やっともうひとつの会に。
代表さん、こちらは親身に話を聞いてくださり、実際会って話をしてみないかと。これが実は8月前半の話であった。お忙しいかたで、やっとつい先日、伺って話を聞くことができたのだが、こちらの代表さんはなんと、今の点訳の実情に嘆きながら、点字利用者の目線から本当に言葉を大事にする点訳をこころがける、アナログのかたであった。
今の点訳の実情もあれやこれや教えてくださった。
今では、実はあまり点字のことは知らず、墨字テキストをぽんと入れたらとりあえず五十音点字に変換してくれる点字データ作成ソフト内での自動翻訳させてしまう点訳会さんも多いなどという。(ちなみにこれは漢字の読みやわかちがきなど、かなり間違いが多い。その上、一見全部できてしまっているから校正がわからないまま読み飛ばしやすい)
このかたは、校正には当事者目線がないとわからないことが多いという。
視覚情報で物事を処理しているひとたちとそうでないひとたちはそもそも文化が違う。
視覚情報で処理しているやりかたをそのまま点字にしたら点字使用者はまるで混乱してしまう場合もあるし、点字使用者の使っている文章記号の使い方が、そもそも墨字の記号とは意味合いや使い方が違うために当事者に聞かないとどの記号を使っていいかわからないようなものもあるという。
例えば、と、別の区の別の団体が点訳した何かのパンフレットのようなものの一ページを見せてくださった。いろいろなところの点訳のおかしなところも実際触らせて教えてくれたり、驚いたことが、
何やらEメールアドレスが書いてあって、その後に「電話番号等お伺いします」などと書いてあってそのままぶちっとそのページが終わってしまっているようなページが。
「これ、どう思う?これ、触って読むひとだったら『え、いつどこで聞かれるんだろう』とか思ってしまわない?」と。
私はこんなもの、点字使用者とはいえまだまだ年数の浅い私の慣れのなさの問題なのだと思ってしまっていた。
視覚で見るひとは、ページの全体をまずいっぺんになんとなく把握するため、「ああ、このアドレスで送るメールで、という意味だな」ということが何となくわかる。
が、点字使用者の場合は、前から後ろにかけて一文字ずつ読んでいく他、ページを見る方法がない。
その場合、こんな文章が一番最後に尻切れにあったら、困惑するだろう、というようなことだ。
点訳の場合、こういうところはある程度、(もちろん内容は正しく伝えるのだが、寧ろ正しく伝わるための工夫という意味であれば)点字使用者の文化でわかりやすい形に変えることはして良いのだという。寧ろそういうことをしなければ、困ってしまうだろう、と。
そんなところまで考えて点訳会を運営しておられるかたであった。
他、障碍者関係の催しもののパンフレットの点訳で、点訳者の点字のこなれなさのために日時や時刻を間違えていたり…などという警告であったり、
この点訳会では必ず定期的に定例会のような形でいろいろな報告会をするが、今の点訳会のほとんどは、もはやPC画面と向き合っているだけで、同じ場所に集まることすらせず、メンバー同士の顔も知らない場合もあるのではないかというほどなのだと。しかし、そもそも視覚を使わない文化は直のコミュニケーションで成り立っている。そんなところすら解離して、どういう点訳ができるのか、と。
そして、更には、その点訳会さん、これまた重ねて珍しくも、日中の時間帯の活動であった。
そんなわけで、今後は行ける限りはここに通い、しごいていただくこととなった。とりあえずまずはメンバーたちが点訳した原稿をどんどん読んで(校正して)みようかとのお話。相当な訓練となる。
点字楽譜のこれから
点字楽譜については、これまた、ひたすらあちこち聞いて回ってみても調べてみても、例えば楽譜を点訳する団体で「楽譜点訳」としての「晴眼者向け」の講座などは僅かにあるが、音楽としての点字楽譜を、しかも点字使用者に教えることのできる体制は日本にまだ皆無に等しいようだ。
しかも、点字楽譜は、私は既に音楽理論に精通していたから、しかもそれでいてピアノ、声楽、器楽、作編曲家としてのオーケストラの知識までもあれこれ持っていたから、それでいて何度か挫折しそうになりながら何とか理解した記号まであるほどに、そもそも「音楽理論(楽典)」をある程度わかっていなければ、理解できない楽譜記号が基礎の基礎からして多い。
和音表記など、音程(2度とか3度とか)がわかっていなければどの音を鳴らせば良いのかわからない、すべての楽譜の一番最初につく調性記号など、例えばフラット3つならどことどことどこにフラットがつく、何調であるなどと頭で先にわかっていなければ演奏できない、どこの音域のドか判断するために、まず最初からピアノやオーケストラ内の一番低音域から高音域までの存在を知らねばどこの位置のドだかすらわからない、いやそもそも音符の表記からして、1小節内の音価をちゃんと計算できなければ音符の音価の種類すらわからないというようなものだ。
ただ、私は音楽講師として、考えてみれば墨字楽譜もそうだなと思った。
墨字楽譜も、全体像をぼんやり見て見えた気になることはできるが、記号の意味やそれを見て演奏できるかどうかは、どうしても楽譜の読み方=音楽の理解であって、楽譜を教えていくということ自体がそもそも音楽を教えていくということ。
楽譜はいわば文法書であるが、文法書だけ見たって意味がわからない。しかも会話ができなければ文法書だけ見たって話せないし、そもそも文法書の意味もない。
私は音楽講師でもある身として、そして点字使用者であり音楽に精通している恐らく数少ない身として、なおのこと点字楽譜は深めようと決意したが、いかんせん当事者を教えている場がない。
点字図書館にて、遠方であるが点字楽譜に詳しいかたを紹介していただいていただのが、なぜだかうまく連絡が繋がらず、1~2か月かかった。最終的に繋がることができたのだが、それまでまたあちこち死に物狂いで連絡しまくり暴れることとなった。
そんな中で出会ったのが、点字楽譜と墨字楽譜の互換が可能という、恐らく世界初の点字楽譜作成ソフト。そして点字教室の先生に、この開発者さんとつないでいただくことができた。
この開発者さん、これまた親身に話を聞いてくださり、実際お会いすることも叶った。
これまた点字楽譜の世の現状もあれこれ、点字楽譜使用者にどんなかたがおられるかも。
他、盲学校では音楽教育がどんどん衰退してしまっており、しかも唯一ちゃんと音楽科のあるところでも、なんと「先生側が点字を読めない先生が多い」がために、点字楽譜が使われておらず、点字楽譜と言いながら実はまるで違うその場でしか通用しない暗号記号のようなもので教えていた、いや、そもそも先生がたが点字を知らないまま、点字の教科書を使う生徒たちを教えている…という恐ろしく解離の生まれる現状などを話してくださった。
また、私は作編曲や音源制作までするため、楽譜は読むだけでなく作る。そのため、点字制作ソフトは便利だろうということで、無料試用版のインストーラーもくださり、今後、私のPCで実際にNVDAや点字ディスプレイと連動させて研究してみることに。
しかし、一度にできるパートはそんなに多くはなく、私がオーケストラ譜など作ることもある、しかも演奏は声楽やフルート、打楽器など幅広いことを話すと、今までにないタイプの利用者だと言われた。
この他、これまた画期的なお話で、2022年に日本での点字楽譜の第一人者の先生が、点字楽譜の入門講座をオンラインで開催されたのだという。
ただ、この講座やテキストも基礎だけで、まだまだ次に進むことができていないのだが、ということであったが、その上この講座もまた、点訳者養成用の晴眼者向け講座ではあったが、実質40ページほどの点字版のテキストもいただき、差し当たってしばらくはこの教科書と楽譜作成ソフトを研究することでまずは自らの点字楽譜の知識と読譜力を実践レベルまで上げることとなった。
点字、点字楽譜の普及、浸透、そしてそれを用いての当事者への教育体制、何らかの形でこれに寄与していく道には進もうとつくづく思いを深めている。