白杖使用者の日常―そこに置いとくよ
#視覚障害者が嬉しいと感じた配慮
#視覚障害の生活の工夫
#障害理解
先日、居宅(シェアハウス)で、洗濯機に衣類を入れて(稼働させずに)シャワーを浴び、出てきたところで帰ってきた隣人に、「申し訳ないが急ぎなので洗濯機を使わせてもらえないか」と頼まれたので承諾。
この方、時々この時間に一旦帰ってきてまたすぐ仕事に走る…ということがあるのだ。その時、時間がないために良く洗濯機を仕掛けて仕事へ出る。
それを良く知っていたので承諾し、洗濯機の中身を取り出し使って大丈夫な旨伝え、部屋に戻った。
私が浴室から出たばかりであまり見せられる姿ではなかったため、隣人、「ありがとうー!お礼に玄関の前にチョコレート置いておくから!」と。
以前の記事でも書いたが、なかなかこの方の食器を洗うなどということもあり、この方、ちょくちょくこうして差入れをしてくださる。
そして、ふと気付くのが、お菓子、とか、商品名、ではなく、「チョコレートを置いておく」と言って下さるようになった。
私もお礼を言って部屋へ戻り、ひとまず、では忘れる前にと、服を着て一度扉をあけ、恐らく扉の前のサンダル(シェアハウスの共用部はサンダルで移動している)の上あたりに置いてくれているだろうと予測を働かせて手を伸ばし、無事、受け取ったのだが、この時にこの方、洗濯機を仕掛けておられ、扉を開けた私に気付いて「〇〇(今度はチョコレートの商品名)食べて!あ、サンダルの上に置いちゃった」と。
以前であれば、私は見えていると思われている中で(私としては結構な負担をかけていたわけだが)生活していたので、恐らく最初から商品名などで「置いといたから食べてー」くらいしか言ってもらえていなかった。
これを、少し前に、共用部の中での立ち話ではあったし細かい症状などは話していないものの(まあ、外出時白杖を持っていることや、調理などほとんど閉眼状態となっていることは知っている)、身体障碍者手帳の取得に向け動こうと思っている、脳ではなく眼科から行ってみる、という話をしたのだった。
それだけなのだが、何やらあれから、彼女本人も自覚がないのではないかと思うのだが、私に差入れなど渡してくださる時、その物の名前を言って渡してくださるような気がする。
実際、だいぶ以前までは、物を受け渡してくださったとき、「これはなんだろう…」と少々やっていたから。
今回は、その上に、私はがんばって予測を利かせて、更には今までの癖でひとまず僅か視覚情報を入れようとしながら扉前のものを受け取ったのだが、私が扉を開けた音に気付いて「サンダルの上に置いた」と詳細の場所情報まで、そして今度は商品名で。
改めて、ああ、そうか、そこまでがんばって緊張して力んで自分自身に先回りしようとしなくて良いのだった、と気付く。
扉の内側ではあるが扉の横には白杖も立てかけてある。敢えてそそくさと急いで手探りせず、これで扉前探しても構わないわけだし、その上こんな声の補助までいただくことができる可能性もあるのだ。
こんなところでまで、まだ取り繕う癖が残っている。しかし、これも、とって良いのだ、こんな細かいところでまでわざわざ急いで緊張してこわごわとした方法でなく、自分のやりやすい方法に切り替えて良いのだと、改めて気付く。
本当にさりげない、そして気付かれないようなあまりに自然な(もしかしたら彼女本人も自覚がないかもしれない)、配慮の声情報に、なんとありがたいことだろうと、深くじんわりと感じ入ったのだった。
(そして、それだけ、状態を知ってもらっていない取り繕いの生活との落差、どれだけ負担・スリルの連続を感じていた生活であったかを肌身で感じているということなのだろう。)
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