白杖使用者にとって、必ずしも直進の道や最短距離が早い・望ましいとは限らない―視覚障害の歩き方

本日は、ちょっと面白い視点の話題を。

私自身、なかなかに驚いたお話。
そして、これは当事者にも、はたまた晴眼者にも、なかなか気付きにくい、
視覚障害とかかわったり研究している立場ならではでなければなかなか気付きにくいこと。

いくつか実例をお話します。

私の自宅は、幅6Mくらいの道路、南北に伸びた道路の真ん中あたりにあります。家があるのは、幅6Mくらいの西側にたっています。
一方通行で、歩道も白線もない道路です。

私は、家へ帰るとき、その道路へ南側から入るにしても北側から入るにしても、その道路の幅の西側、つまり自宅のあるほうの並び沿いに帰っていました。
これは、恐らく晴眼者でもごくごく当たり前の感覚だと思います。
家に近い側を選びますよね。
視覚に頼っていない生活であるとなおさら、家の敷地や近くの目印を見逃さないように、一生懸命西側の端っこを探りながら帰っていました。

それが、前回の歩行訓練で、今まで慣れていたやりかたが、一瞬にして覆りました。
その上、視覚障害者は基本的に、やりかたを変えたり通る場所を僅か1Mでも変えると、路面情報がまるで変わりどこにいるかわからなくなりますので、慣れるのには時間がかかります。それが、たった1回の練習で、変わりました。
しかもです。今までは、敷地までだいたいの距離感(歩数)で帰宅していたのですが、これが、実はなかなか、例えば人がたむろしていて少し避けねばならなかったり、自転車や車が通って道路の端に寄ったり、そうでなくても驚いて止まってしまったり徐行したり、いや、その日の無自覚の気持ちの状態だけでも歩幅が変わり、たどり着けないことまでは滅多になくともその歩数だけでは心もとなかったのが、歩数すら数えず、確実に場所を特定して帰ることができるようになったのです。

一体、どんな魔法がおこなわれたのか。

これのタネと仕掛けは、実は、今まで用もないしほとんど探ったことすらない、道路の東側(つまり、自宅の建物のたっているのとは向かい側)の並びにありました。
実は、良く表(しかも私道ではないこの6M幅道路!)でボール遊びなどしている子供たちがいるアパートがたっていたり、自転車がちょくちょく端にとめてあったりもするので、寧ろ近づかないようにしている傾向すらありました。

歩行訓練士さんのひとこと。
「あ、家の建物のちょうど向かいあたりに、電信柱があるんですよねえ…」

歩行訓練士さんの目というのは、視覚障害者が目印にしやすいものを発見することに長けた目ですから、そうそう動かない(どんな曜日や時刻でも不変不動にそこにある)もので、かつ白杖で探り認知することのできるものを見つけます。

「しかも、この道路の端(西側の並び)に沿って歩いて行くと、2本目の電信柱なんです。」

更に付け加えておくと、自宅の敷地は、少し周りと違ったタイルになっており、その上に自動販売機が立っているので、家の敷地にも目印があります。
つまり、歩数で何となく近づいて探すよりも、向かいの電信柱を目当てに道路の端に沿って白杖を振りながら、2つ目の電信柱を発見したときに道路の向かい側に横切れば、ほぼ見事な確率で敷地に足を踏み入れることができる、という技でした。
最終ゴールに行くまでに、ふらふらふらふら手当たり次第に白杖でつつきまくって探すのではなく、小さな目的物(ゴール)を、小島を飛び移るかのように着実に狙って探して、確実に到達する策でもあるのですね。

しかも、何となくの歩数で幅6Mの道路を、そんなに広くはないし車通りも少ないとはいえ、真ん中を歩いていると、どうしても曲がってしまったり自転車や車が来た時に危険もあれば端による分、時間も手数も歩数もとられます。
これを、わざわざ、家と反対側の並びとはいえ、しっかりと道路の端をとらえ自分が道路の端からどれくらい離れて歩いているかを認識しながら、しかも明確に次に何が杖の先にあたるはず、と思いながら歩くことで、結果的に今までより適確に素早く安全、そして確実に自宅の敷地を発見することができるようになったわけです。


さて、もうひとつ。実例をお話させてください。

これは、私の通院の道のり。
電車の駅を出てから、恐らく晴眼者で足腰もしっかりしたかたの足であれば、5分かからない距離です。

晴眼者の目線で、恐らく一番行きやすいのは、地下鉄の駅を出てから回り込むようにすぐ横の道路(白線があるのみの、歩車分離していない道路。道路幅は10Mくらいだろうか?一方通行。そこまで車通りは多くはない)を、十字路を3つ越した、左側の並びにあります。
また、地下鉄の駅の入口も左側にあるので、道路の左端をずっと歩いて来れば、一番距離も短く、体感としても近く、時間も最短でつくはずです。

なので、私も、距離も短く、体感としても他の長い道のりよりも断然近くありがたく、最短でついているつもりでおりました。

が、唯一の難点は、この道路、白線が薄れているところが多いため、やはり「何となくこの辺かな」の感覚で歩いていることが多くなるということと、白線の上であっても、路肩にトラックがとまっている割合が多いということ。時には、積み荷を降ろしている最中でトラックの後ろの横開きの扉が全開という、危険なシチュエーションもあります。
車通りはどちらかといえば少ないし距離も短いとはいえ、十字路も信号もないし、なにせ白線や歩道の段差がないので、よくよく耳や肌感覚を研ぎ澄まし、十字路であることに気付かなければ、いつの間にか真ん中に飛び出して渡ってしまっている、なんていうこともあります。

それでも、晴眼者ベースの社会に生きていて、こんな近くてありがたいケースはありませんでした。
歩行訓練士さんにも、わざわざ回をとって来てもらって、というほどだろうか、これはどうしようもないところではないだろうか、と思い、初回に訓練計画を立てたときにも、言うか言わないか迷ったくらいのところでした(結局、その前の地下鉄の乗り換えかバスか、というところで別の大きな難関があったため、お願いしていたのですが)。

訓練士さんと行ったときも、まあしっかりと、しかも後ろの両開きが全開のトラックから始まり、何台もとまっていました。
いちいちまず車体に白杖があたるところから、これは怖いものです。
どでかいトラックだと、その寸前に白杖の地面にあたる音が僅かに変わったり、前方に何かもわっと威圧感というか圧迫感のようなものが来て、察知自体はすることもあるのですが、それでも「どこに何があるのか」まではわかりません(いや、「何が」は、このシチュエーションの場合はほとんどトラックだと推測もつきますけれども。しかし、やはり詳細な「どこに」はわかりません)。

そして、トラックの場所がわかったら、トラックの側面を触るか触らないかぎりぎりを手で探りながら、そしてトラックを避けるために車道の真ん中近くに出ることになるので、間違っても身体の向きを見失って車道の真ん中や反対側に出てしまったりしないよう、そして走ってくる車がないかにも注意を払いながら、そろりそろりとトラックを回り込む。
トラックの後方から回り込んだら、前方に近づいたときに突然トラックのお耳(横に飛び出しているミラー)が顔面や首にがんっと当たる可能性があるので、その辺りにきたら前方にも手をちゃんと出して探りながら。
そして、無事、トラックを回り込むという作業を終えたら、今度はまた、もとの白線や道路わきと自分との距離の測り直し。
一度見失った白線を再び探り出すのは、実は至難の業です。見つけたところで、それが本当に白線かどうか、確かめるすべもありません。

そして、またトラックに背中をつけるかのようにして身体の向きを改めて整え、歩きだします。

当然、トラックにぶち当たるたびに、これをするわけです。

しかも、それが、十字路のそばであったりすれば、トラックをやり過ごした途端に十字路の真ん中に躍り出てしまっていたり、寧ろ気付かずに十字路の向こう側にわたってしまっていて、いくつ十字路を越したかわからなくなってしまったり、
しかも、それ(トラックがとまっているの)が、目的地の建物の少し前にある目印を隠してしまう場所であったり、目的地の建物の直前だったり、ましてや、目的地の建物の真ん前だったりする可能性もあります。
そうなったら、もうどうやっても、「触ることで確かめる」私には、見つかりっこありません。目的地にたどり着くことはできません。

実は、ちょうど、訓練士さんと行ったとき、どうやら目的地の建物の少し前あたりにもとまっていました。

そのため、私は実はこの時初めてだったのですが、そのトラックをやり過ごしたあと目的地をそのまま通り過ぎ、次の十字路まで来てしまい、何だかわからないけれど地面の僅かな感覚や顔にあたる空気感や、何か雰囲気が違う、そして今自分がどこにいるかがわからない!という、不可思議な感覚に気付くことができ(私の場合は気付きが早かったと思います。これに気付くのは恐らく難しいと思います。)、立ち止まることができました。
いや、立ち止まっても、ひとりだったら、しかも通院予定時刻目前だったりしたらどうなっていたことか。
この時は訓練だったので、訓練士さんに「行き過ぎたかもしれない」と伝え、建物名を伝えたら、「あ、行き過ぎてます。」と教えてもらうことができたのでした。

白杖使用者にとってはこんな迷子が、しょっちゅう起こります。
いつもと違う自転車や車がとまっているという、それだけで、自宅の建物の前ですら、迷子になります。

さて。そんな、この通院の、晴眼者だったら「徒歩3分」の道のりですが。

訓練士さんも、「うーん」としばらく考え、
しかしさすが訓練士さんの目。
「これ、もしかしたら…!」と、気付いたことをひとつ試させてくれました。

今まで、駅から出てすぐ横の、歩車分離していない白線だけの道路、そして目的地の建物のある道路、しかもそこまでただただまっすぐで済む最短距離の道路を歩いていましたが、実は、駅からこの道路を横切り、1ブロックほど進んだところに、大きな車道の大通りですが、ガードレールがついていてしっかりと歩道もある道がある、という視点。
見た目としては、少し遠回りです。しかも、駅から出て、目的地の建物がある道路にわざわざ入らずにそれをわざわざ渡ってがやがや「一見車通りも人通りも多くて歩きにくそうな」大通りまで出るのですから。

しかしそれともう一つ発見したのが、この目的地の建物の「道路の向かい」にも、ちょうど、電信柱がある。そして少しだけ(駅の方向へ)歩くと、左折する路地が出てきて、そこを通れば大通りへ出ることができる。

つまり、駅から出て、目的の建物のある道路をわざと通り過ぎて大通りまで行き、大通りを通って(後程試したところだと、信号のある横断歩道が2つありましたので)横断歩道を1つ渡り、2つ目で左折して少し歩いて、ここで初めて目的の建物のある道路へ入り、道路の向かい側にいるまま道に沿って歩いて電信柱を見つけ、そこから初めて目的の建物のある側へ横切って渡り、実はこの目的地の建物の入口にも1つ、その隣の建物の入口に2つ、自動販売機があるという特徴的な目印があるので、ついでにもちろん一つや二つ目印を見つけられなかった時のために他にもいくつか不動の目印があるので(視覚障害者はどれかがふさがれたり探り違いや勘違いした場合を考え必ず目的地を発見するための周囲の目印は複数確保します)、それを見つけ、建物に入る、という策。
(ちなみに、確かに入口に自動販売機はありますが、かなり場所を特定したうえで探らないとこれも見失います。なぜなら、入り口とはいえ敷地の中にあるわけで、道路に飛び出しているわけではないのですから、いちいちくまなく敷地の中まで白杖を探り入れなければなりません。)

ちなみに帰りは、建物を出てからそのまますぐに向かい側にわたり、右に折れて道沿いに進んで左に出てきた穴(曲がり角)を曲がり、大通りに出れば、良いわけです。

その上、この大通りの歩道には、誘導ブロックがありました。

人通りも多く、練習している時にもなぜだか人だまりがあったりしましたが、それでも、安心感はまるで違い、そしてぎりぎり感じ取れたりどこかわからなくなったりする白線に全集中しながらも周囲の車や顔にあたる風具合なども全身全霊で感知していなければならない道よりも、誘導ブロックに沿って歩くことができるだけ、歩くのもスムースで早い。
使う神経も覚悟も、時間すらもどうやら半分で済んだようでした。
そして、体感としても、歩数ももしかしたらこちらのほうが少ないかもしれない?!トラックをいちいち探ったり回り込んだり、あたりをつけて敷地をあちこち探りまくったりする分、歩数すらもかかっていたかもしれません。

見た目としては、明らかに大回りですし、駅を出てからわざわざ遠回りをするためにしかも横断歩道を一本横断するという、一見、危険に見えるやり方をとるのですが、しかも車通りの多いうるさい道路まで行くということをすることになるのですが、しかも直線距離で行けるところをわざわざ何度も曲がるという視覚障害者には道が覚えにくいだろうわかりづらいだろう難しいだろうと見えかねない道筋をとるわけなのですが、恐らくは結果的にはこちらのほうが断然、安全。


必ずしも、目で「一見」表面的に見えた「最短距離」や「まっすぐ」「わかりやすさ」が、必ずしも「最短」や「まっすぐ」「わかりやすい」ではないのだよ、という、お話でした。

これ、視覚障害の歩行訓練の世界だけではなく、
実はどんな人の「人生」にも、どんな「世界」でも、同じですよね。
そう、感じませんか。


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