EGLC音声書庫
Easy Going Life Communityの福祉部門では、コミュニティで蔵書にしたいとメンバーが思った図書を、音声化する活動を始めました。
晴眼のメンバーが墨字の図書を音読して吹き込んだり、代表イムラーン(私)が点字ディスプレイを使い、点字の図書を音読して収録します。
著作権の切れているものに関しては、公開しております。
著作権の有効なものに関しては、限定公開にて、コミュニティメンバーさんでかつ代表の私とやり取りがあり、個人使用の目的でのみ利用されると判断できる利用希望者さんには、URLをお伝えいたします。
現段階では、
宮沢賢治著、新版・銀河鉄道の夜、
アーシュラ・ル・グウィン著、ゲド戦記(著作権有)を、
どちらも長編ですので小分けにしながら読んでおります。
ぜひ、ご利用ください。
これは余談ですが、
私は、点字図書を点字ディスプレイで、つまり指先で読んでいます。
点字で「身体」そのもので読むというのは、晴眼者とは何か違う、「遅い」とか「ゆっくり」というものとはまた違う、視覚文化ではない者独特の時間の流れがあるなと、感じております。
音読も…いや、実のところまだまだただ単に「遅い」という部分もありますが!読めなくて「????」となって空白が空いている時間もありますが!笑
しかし、何かが違う、何か、どこか、「視覚文化ではない」、点字図書の会こころのめのほうでは良くいっておりますが、「目を休める」、目だけがすべてにならない、目を力ませない文化、独特のものを感じさせ、聞いていてリラックスすると言ってくださるかたもいらっしゃいます。
それに、実は日本人という人種も、江戸時代くらいまでは、「目」ではなく「全身」でものを「視て」いたのですよね。
視力に拘わらず、五感すべてを無駄なく(無視することなく)使っていたので、変なところは力まず全身リラックスして、心身のバランスがとれ、それでいて「目」で見える視界よりも断然広範囲を見ることができていたそうですよ。
普段がリラックスしてゆったりに見えるのに、必要なときには機敏に反応し動くこともできる(目に頼る現代人は、普段が緊張していて、必要な時にはかたまり、逆に必要でないときばかり機敏に動いて”しまう”真逆の事態が起こっています)。
私自身も、それをセッションの中では時として、「目は顔の前ではなく、後頭部の後ろ1~2Mのところにある。そこから常にものを視て生活をすると心身の歪みのすべてがどんどん変容していく」というようなお伝えのしかたをすることがあります。
(また、全盲状態では、実は”そうしないと”身体のバランスもとれなくなるくらいの事態が起こります。そうしないとはっきり言って私は歩くこともできません。)
「闘っている自分の姿をも含めて空の上の鷹の視線で全体を見ていた」宮本武蔵が最たる話です。