視覚障害の歩き方―慣れている家の前の音響信号の横断歩道でも、「初めての難所」と化しているときもある
最近、家を出た途端、工事のすごい音がする。
そのため、家のすぐ近くの慣れているところの、しかも距離も短い横断歩道の音響信号がまるで聞こえない。
つまり、車の音もほとんどわからない。
しかし、そういう場合!
周囲に人の気配があれば 「今、青ですかっ?」「今、赤ですよねっ?」などと気配の方向へ向かって叫べば、誰かしら「あ、わからないんだな」と気付き、教えてくれる、と、訓練士さんから助言をいただきました。
こう聞けば、誰か人がいさえすれば、誰かが教えてくれる、「今信号が赤か青かとはっきりと(見えている人にはほぼ確実にわかる)情報を聞いている」ことに対して、みんなして無視をすることはまずない、と。
恐る恐る「すみませー…ん…」などと声を発していても、そもそも工事や周囲の轟音で聴こえないかもしれないし、ヒトの気配に向けてはいても誰かに目線を定めることができているわけではないから、周囲の人たちがわも「自分が答えていいのだろうか」という境地におちいってしまう場合がある。
そもそも歩きスマホや誰かと会話していたりすれば、気づきもしないだろう。
もし気付いたとしても、やはり何を言われるのか何を聞かれるのか何を頼まれるのかもわからない、恐る恐るの「すみません」一言では、なかなか反応に躊躇してしまう。
だからこそ、こちらも、「今、赤ですか青ですか!」と単刀直入に尋ねてみる、という手段も重要。
(ちなみにこの質問のしかたであれば、信号の位置もわからない私が不特定多数のかたにお尋ねしていますよ、という非言語の暗示メッセージにもなるので、結果的に一度にたくさんの必要情報を相手に伝え、尋ねることができる)
もし、ヒトがいなければ、反応が返ってこないだけなので、渡って良いかどうかを知るための次の手段に切り替えれば良いだけである。
そして、同時に、
いつも慣れていてわかるはずの横断歩道なので自分で判断しなければいけない、できなければおかしい、と、つい半分無自覚に思い込んで自分でバイアスをかけてしまいがち。
しかし、シチュエーションによっては、慣れに慣れた横断歩道でも、「初めての難所」と化していることもあるのだ。
自分が、わかっているかわからないかにまず自分自身で気付くことは、目が見えない人の物理的道行きでも、「目に見えない人生の道」を歩いている中でも、とても、大事。