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第二の青春のはじまり

今日の、「わたし」が「わたし」を学ぶ《応用・発展》クラスのお題は
「傷を深める言葉、癒す言葉」だった。

問1. 思い出す出来事は?

真っ先に頭に浮かんだのは、これだった。

中2の時、5人組で街に遊びにいくことになったときのこと。
’学生は外に出る際は制服着用’という信念を持った教員の父は
制服を着て行きなさい、と譲らなかった。
一人だけ制服なのは恥ずかしいから、と 私はおでかけを諦めた。
次の日、"無視され仲間外れ”にされた。
文化祭で、AKIRAの絵を皆で描くのを楽しみにしていたが、気まずい雰囲気の中制作し、寂しく苦しい思い出となった。

事実は

その日、私は父の機嫌を損ねないように、お出かけしなかった。

講師や受講メンバーの関わりで違う視点を得た。

無視された、仲間外れにされた
→一緒に行かなかった私に気を遣って、私の前でお出かけした時の話をしなかった、かもしれない。
→話しかけた時にそっけない態度に見えただけで、たまたまが重なって、’避けられた’ように感じた、かもしれない。
→楽しそうに話している様子を見て、いじけていた私は微妙な空気を放っていたため、私から離れていった形になった、だけかもしれない。

ほう、なるほど!
そんな視点があったか、とびっくり。

さらに、講座後、長女とお風呂に入りながら話した時の長女はこう言った。

行った人も、行かなかったママも、その時楽しく話せたらよかったね。
(おでかけの様子を楽しそうに聴いていれば、なんの問題もなかったのでは、という意味らしい)

なるほど。
私がいじけた態度をしていたのなら、面倒だったのかもね。


問2.
やり直せるとしたらどうする?

「制服を着て出かけ、トイレで私服に着替えるわ!」と、一緒に出かける。
楽しい時間を過ごした。
和気藹々とAKIRAを大旗に描き、文化祭を楽しみ、青春を謳歌した。

と、やり直しを描いたが、なんか違和感が残る。
この出来事じゃなくても、今でも何度も似たような形で訪れる。

誰かから言われたから
〜されたから
そう決まったから。
自分に問いを立てず、そのまま行い、不満足が残る。

⚪︎⚪︎られた という他人軸で物事を決め、不満足で生きるという、私の人生の根源はここにあったのだと気づいた今、

私はわたしの欲求を明確にし、それを実現するため、自分に協力し、
責任を持って取り組む。
そのために、人と関わったり、持ち前の<情報収集好き>を活かそう。

長女が言ったように、誰がどうであっても、ごきげんでいいし、そのままの私でいい。

36年の月日を経て、見直し、癒された。
私の、第二の青春が、ばたばたと音を立てて始まった気がした。

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