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三島由紀夫『反貞女大学』

先日濱口監督のドライブマイカーを見た後に、原作である村上春樹のドライブマイカーを読み、その後に思ったことやモヤモヤしたことを書いた。その時は自分のモヤモヤを言葉にすることで整理してスッキリした感じがあった。

しかしその後にみた一つの映画で私のスッキリ感は崩壊。
濱口監督とかが好きらしく、私の大好きなドラマ大豆田とわ子という作品に似ていると言われていたカサヴェテス監督『ハズバンズ』を見たから。

最初に見た後は、こんなクズすぎる描写の映画が物語や人物描写としてほめられている事がショックすぎて(カメラワークとかショットは好き)、あまりの男性のヤバさ(あれに関してはアメリカ人限定だと信じたい)にかなり落ち込んでいた。 
でも今思うとかなり良い機会だったと思う。異性の汚いところを見て失望するのは誰だってあるだろうし、私は今までそういう機会がない…。その意味では、なんの夢も希望もないありのままの男性3人組すぎる『ハズバンズ』はやっぱすごいのかもしれない。

そして今、映画『逆光』で引用されている三島由紀夫『反貞女大学』を読んで、またスッキリしている。三島は全く読んだことがなく友達がめちゃくちゃ心酔しているらしい小説家のイメージしかなかったが、これを読んで彼の魅力を超えた引力を文章から感じた。これは好きになっちゃうやつ。

この本の内容としては、今LGBTQなどのセクシュアリティの多様化によって、男女の境界線が曖昧になって自分のアイデンティティに悩んでいる人に対し、あえて二つの性をくっきり分けて知的に論じているのがとても刺激的。
人間、見た目も中身も男性的な部分と女性的な部分どちらも持っているのが当たり前で、それの割合や濃さによって自分の自認するセクシュアリティ、他人に自分をどう見せたいかというものが変わってくると思っている。なので、自分のこういうところが男性的なのだ、というのが納得できてかなりスッキリした。一方で、自分が女性的だと思っていなかったところが実は極度の女性的な考えであったというような真逆の気づきもあるわけで、これは全て著者である三島由紀夫の観察眼や客観視がずば抜けすぎて恐ろしいレベルということに集約されてしまう…。 
個人的には女性パートで「なんでバレてるの!?」っていうような、誰にも秘密で心の底で考えていたようなことをサラーっと見抜かれ、否定する訳でも肯定するわけでもなく、自分は嫌いだけどまあいいんじゃない、と受け止めてくれる感じで、面白すぎたほんとに。笑 彼、女だったのか??
またこの文章は、彼がそうだからだと思うが、狂気と平凡を持ち合わせている感じが良い。ちょこちょこ小気味よく裏切ってくる。姦通学とかは一歩引くとただのクズ女論なんだけど、これを読んでるとそういう態度が気品溢れた最も狭く難しい道である感じに思えてくるので怖い。普通の人が言ってたら誰も耳を貸さないような喫茶店で聞く世間話みたいな話がこんなに面白いのは、彼が性というものに対してかなり行き過ぎた鋭さで本質を見抜いているからなのだろう。。

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