なんで私なの?何故?~1月21日最終章~
当時私は20代。
健康志向で、運動も好き。
キャンプ以外でもジムに通っていたし、暴飲暴食という言葉とは無縁で、逆に、当時日本ではまだ馴染みがなかったスーパーフードと呼ばれる体にいいとされる食材も積極的に取っているくらい、私の健康に対する意識は高かった。
私は本当に健康そのもので、これっぽっちも前兆らしきものなんてなかったし、この年齢で
「癌」
という言葉を耳にするなんて、予測の範疇に0.00000000000001ナノmmもなかったのだ。
私はその、正体不明の
「癌」
という言葉だけを捉え、号泣した。
その後医師は、PNETという種類の癌は、小児がかかりやすい癌で、大人になってからかかるのはとても珍しいということや、これから治療が必要だということなど説明をしてくれた。
また、完治したとしても、10年後に
「10万人に一人の割合で再発する可能性がある」
ということも告げられた。
すべての説明が終わった後、元パートナーと両親は医師にいくつか質問をしていたが、私自身、質問をしたかどうか覚えていない。
私の頭の中は真っ白で、
「癌」
という言葉と、
「嘘でしょ、そんなことあるわけがない」
という思いがただただ巡っているのみで、ほかのことを考えられるような状態では到底なかったのだ。
医師はそれらの質問に答えた後、私たちのことを気遣い、私たちだけを部屋に残し、私たちだけの時間を与えてくれた。
私は彼の横で、「なんで私なの?なんで私なの?」とひたすら言い、泣き続けた。
どれだけ泣いても涙はあふれるばかりで止まらないが、彼はその想いを隣で優しく受けとめてくれた。しばらくその部屋にいた後、重い空気が流れるなか、私は彼に車椅子を押してもらい、両親とともに病室に戻った。
私自身、自分が癌を患っていることが本当なのかも理解できていない状態のなか、両親も私になんと言葉をかけていいのか分からなかったのだろう。両親と言葉を交わすことはなかった。
部屋に着いても、ショックがあまりにも大きすぎて、あふれ出てくる大量の涙が止まることはなかった。なにか言おうとしても、言葉より先に涙が出てきてしまうのだ・・・。
そんななか私は絞り出すように、
「なんで私なの?不健康な食生活はしてなかったし、ジムにも行って、運動もしてたのに・・・。なんで私なの?なんで私なの?なんでなの・・・?」と、答えに困るような言葉ばかり何度も彼にぶつけた。
湧き出てくる、とてつもなく大きな悲しみと絶望感。
そして、なんで私なのかという問い。
私の想いや感情を英語で伝えるなか、そのすべてを理解し、受け止めることができるのは、私にとって家族のような存在の人である、彼しかいなかった・・・。
何度も何度も同じような言葉を発し、何度も何度も同じような言葉をぶつけることしかできないなか、彼はただただ私の隣で静かに、そして優しくそれらの言葉を受け止めてくれた。
しかし一方で、なにも言わない、いや、むしろ、きっとなんと声をかけたらいいのか分からないであろう両親は、私たちの近くで佇んでいた。
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なんとか、
「今日」
という日に、ひとまず書き終えることができました。
おこがましいですが、私の文章を通して、
「私」
という、こんな人間もいるんだよ。
ということを知ってもらえたら嬉しいです(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
長い文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
感謝です(ᴗˬᴗ)⁾⁾ꕤ.゚