「note、最後まで書くことができるだろうか?」について
noteでは、「今の私が作られる」まで、どんな経験をし、どんな人生を歩んできたか。
を書いていて、ツイッター (現 X) では、
こんなようなこと
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を書いています。
とお伝えしましたが、、、
結構な頻度で私が感じているのは、こんな調子で書いていて、note、「最後まで辿りつけるのだろうか?」
ということ。
ここに書いてない何万文字もの言葉が、まだまだあるんですけど・・・
事実、私のような脳腫瘍を抱えている方の命は、そこまで長くはない。
ただ一方で、「まぁ、最後まで辿りつけなくてもいっか」っと思っている自分もいる。
「まぁ、それはそれでいっか!」
「まぁ、仕方ないか!」
「それもそれで、与えられた人生だろうしな」と。
ただ、そんなことって、私と同じ年代の人たちだったら、普通考えなくていいこと。
そもそも日常の中で考えないことで、考える必要もないこと。
私はどうか?
考えざるを得ない。
いい意味でも、そうでない意味でも。
そう考えざるを得ない「現実」と、そのことを「分かっている自分がいる」という「事実」。
実に、奇妙で、複雑です。