“自分探し?” 探してどうするのよ
自己分析や自己理解など、最近よく耳にします。
私個人としては、とても大切なことだと思う。
例えばね、少し話はとびますが
ハワイ島にいた時にバイブルスタディに毎週通っていて、
ある日、滞在先の家族の会話に「どうやって聖書の学び深めていくのか?」という話があって、
両親の答えは、「神と対話すること」「神と日常でコミュニケーションを取ること」とのことだった。
それがpractice(訓練)に繋がるのだと。
・・・
で、思ったのね、
これってさ
“自分との対話じゃないかな?”
って。
・・・
みなさんは、普段
「自分との対話していますか?」
自分を知ることって、命を授かってこうして生きる上で
自分が自分のど真ん中を生きるために必要な認識だと思う。
今日お話したコミュニティメンバーの仲間が
カラーセラピーのセッションをしながら
「認識するって安心するんですよね」ーと言っていたのが印象深い。
一歩踏み出す時って、
“今自分がいる場所が安全かどうか“
これが第一に重要な確認事項になる。
わたしが東南アジアを旅していてもそう、
多くの方から、気をつけてね!という言葉をかけていただく。
本当に気をつけなくちゃいけないことは沢山ある。
ただその一方で、"その場所が安全かどうか?"
は、この感覚機能の塊である体が実はよくよく知っている。
イッヌさまに囲まれて、吠えられるとさすがに足がすくむし、
そんな時は、住宅地の真ん中で 「へルプミー!」と叫ぶ。
そんな風にして、“自分を知ること”や“自身を認識すること”は、
安心して、落ち着いて力強く一歩踏み出したり、
一度しかない人生で重要だと思うことに時間をさきながら、生きていく上で大切なことだと思う。
ただ、似たようなニュアンスの言葉に
『自分探し』
というのがあるけれど、
正直わたしは好きな言葉じゃない。
なぜなら、
自分探し?
自分探してどうするの?
今ここにいるやん。
そう思うから。
探しても見つからないから、日々自分と対話することなんですよね。
余談ですが、日本人はすごいと思う。
宗教に熱心じゃない人の方が多い国民性だと思うけれど、だからこそ自分で答えを探して、見つけて、熱心に生きる。
“神がそういった”といえば成立する宗教観念ではなく
自分で決めて、実行していく、いつも自責のもと。
時にはしんどくもなる。
でも、今日の結論は、
何が言いたいかというと
“自分が自分を分かってあげて、大切に扱ってあげよう”ということ。
探しにいく、のでなくて、
どこにでも自分を連れて行ってあげたらいい。
探しにいくのではなくて、連れて行ってあげると
自分の内側からちゃんと見えてくるものや湧き出るものがあって、その自分にちゃんと寄り添ってあげること。
そして、心と体とマインドが繋がると、すごく生きやすくなると思うのです。
今日は以上。
What‘s going journey to your life today?
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