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ジャズ・アルバムのライナーノーツ(2)『笠井紀美子ウィズ・ハービー・ハンコック/バタフライ』

今日は笠井紀美子の『バタフライ』です。今ではDJの定番みたいになっていますが、このライナーを書いた1997年当時はまさに「ハンコックの隠れ名盤」でした。

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笠井紀美子ウィズ・ハービー・ハンコック/バタフライ 
                

 1978年、ハービー・ハンコックは日本を三度も訪れている。まずは2月、チック・コリアとのピアノ・デュオのために。日本武道館で行われたこのコンサートの模様そのものはレコード化されてはいないが、同じツアーの記録は、『ハービー・ハンコック・アンド・チック・コリア・イン・コンサート』(SONY)、『コリア〜ハンコック』(POLYDOR)の2組のアルバムに収録されている。次は7月末、当時東京の田園コロシアムで行われていたフェスティヴァル「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」のために。この時のハンコックは、ロン・カーターをリーダーとするトリオ(ドラムスはトニー・ウィリアムス)と、ハンク・ジョーンズとのデュオで出演し、トリオでの演奏が『1+3/ロン・カーター』(JVC)に記録された。

 そして9月末、ハンコックは自己のエレクトリック・グループを従えて来日する。77年のV.S.O.P.でのツアー、78年に入ってからは前述のデュオ、ロン・カーター・トリオと、アコースティック・ピアノによるコンサートのための来日が続いていたハンコックにとって、エレクトリック・グループと共に日本の聴衆の前に姿を現すのは、75年以来のこと。75年来日時のすさまじい演奏は、『洪水』というタイトルでリリースされ、熱心なファンによって「エレクトリック・ハンコックの最高傑作」との評価を受けていただけに、ハービーのエレクトリック・ニュー・バンドに対する期待は大きかった。しかもこの時の来日は、エレクトリック・サウンドによるものとしては久々の新作『サンライト』がリリースされた直後のものであり、「ヴォコーダー」という新兵器を駆使して「歌う」ハンコックがこの目で見られる! という話題も含めて、アコースティック・グループやデュオでの来日の時とはまた異質のテンションが、聴衆の側にもみなぎっていたのだった。

 9月27日から10月16日までの間、全国の7会場で行われたこの時の演奏は、『サンライト』収録曲を中心に、「処女航海」「バタフライ」「ハングアップ・ユア・ハングアップス」「シフトレス・シャッフル」などの定番をちりばめた選曲によるもの。セカンド・キーボードのウェブスター・ルイスと二人で、合計で20種類近いキーボードを使用し、ヴォコーダーによるハービーの「ヴォーカル」もたっぷりとフィーチュアされたパフォーマンスは、予想をはるかに上回るパワーと完成度の、実に実にすばらしいものだった。コンサートそのもののライヴ録音は、残念ながら公にはされていないのだが、この来日時、ハンコックは3種類のアルバムを、オープン直後の信濃町ソニー・スタジオで録音している。

ひとつは、完全ピアノ・ソロによる『ザ・ピアノ』(10月25/26日録音)。ふたつめは、ツアー・メンバーによるグループ作品『ダイレクト・ステップ』(10月17/18日録音)。そして、当時日本を代表する女性ジャズ・ヴォーカリストだった笠井紀美子が、ハンコックの曲を本人のレギュラー・グループを従えて歌う、というユニークな企画の本作『バタフライ』である。
 『ザ・ピアノ』と『ダイレクト・ステップ』は、当時オーディオ界で流行していた「ダイレクト・カッティング」手法によるLPであり、収録時間の短さが泣き所だったが、この『バタフライ』は通常の録音方式によるものなので、ハンコック・バンドのパワフルで緻密な演奏に乗った、笠井紀美子のファンキー・ヴォイスがたっぷりと楽しめる。そして何よりも、このアルバムの最大の意義は、これが「ハンコック自身が伴奏した、ヴォーカルによるハンコック曲集」としては唯一無二のものである、ということだ。後にダイアン・リーヴスによって採り上げられる「ハーヴェスト・タイム」のヴォーカル・ヴァージョン初演(ハンコックはこの曲を『ザ・ピアノ』でも弾いている)、『サンライト』ではハンコックのヴォコーダー・ヴォーカルで歌われた「アイ・ソウト・イット・ワズ・ユー」「サンライト」の、おそらく唯一の女性ヴォーカル・ヴァージョン、知る人ぞ知る「隠れ名曲」である「テル・ミー・ア・ベッドタイム・ストーリー」の、やはり唯一であるだろうヴォーカル入りの録音など、ハンコックのファンにとっては絶対に聴き逃せない貴重なトラックばかりの本作は、まさに「コレクターズ・アイテム」と呼ぶにふさわしい「隠れ名盤」であり、ハンコックのリーダー作の一枚として数えるべき作品なのである。

 もちろん笠井紀美子にとって、この企画がきわめてチャレンジングなものだったことは想像に難くない。72年の『アンブレラ』あたりから、次第にポップ〜ソウル的な要素を強めていった笠井は、この時期は完全に「フュージョンのヴォーカリスト」だった。ハンコックとのつきあいは、78年5〜6月に録音された『ラウンド・アンド・ラウンド』に続くものだが、ハンコックのレギュラー・バンドの中に単身入っていって、しかもハンコックのオリジナルを歌う、などという恐ろしいことを実行した歌手は他には存在しないのだ。一般的なヴォーカル曲に比べて格段に複雑な曲たちを、笠井は自分の昔からのレパートリーであるかのようにのびのびと歌いきっている。
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 「アイ・ソウト・イット・ワズ・ユー」は、『サンライト』でも冒頭に収録され、『ダイレクト・ステップ』でも録音された、当時のハンコックの「一押し」ともいうべきキャッチーなメロディをもつ曲。テーマ部分は、いっけんスタイリスティックスを連想させるメロウな旋律だが、エレクトリック・ピアノのピックアップから始まるイントロからヴォーカルが始まるまでの間に、ごく自然に曲のキーが半音上がっている、という凝った仕掛けが施されている。ちなみにオリジナル・ヴァージョンでは「Db→D」となるが、笠井紀美子ヴァージョンは「Eb→E」。後半の、笠井のヴォーカルとハンコックのヴォコーダーの掛け合いが実にスリリングで、リズム隊とのインタープレイも白熱している。

 続く「テル・ミー・ア・ベッドタイム・ストーリー」は、『ファット・アルバート・ルータンダ』(69年)に収録されていた、けだるい美しさをたたえた名曲だ。ハンコック自身の演奏はあまり評判にならなかったが、クインシー・ジョーンズの『スタッフ・ライク・ザット』(78年)で採り上げられ、ハンコック自身のエレピ・ソロにストリングスをソロをなぞる形でオーヴァー・ダビングする、という卓抜なアイディアで一躍有名になった。ここではオリジナルにあったブリッジ部分が省略され、シンプルなテーマのリフを繰り返す構成となっている。ハンコック自身のエレピ・ソロの美しさに注目してほしい。

 「ヘッド・イン・ザ・クラウド」は、ゴスペル的な雰囲気をも感じさせる、腰の座ったエイト・ビートが印象的な曲。歌詞をかみしめるようにじっくりと歌う、笠井紀美子の本領が発揮されたパフォーマンスだ。

 ハンコックの代表作「処女航海」は、ここでは比較的速いテンポで明るく演奏される。コンサートではハンコックのピアノ・ソロを導入として、必ず1曲目に演奏されていたが、ここでのアレンジは、それとはまた違うもの(キーはオリジナルより全音高い)。このアルバム中唯一、ベニー・モウピンのテナー・ソロがフィーチュアされている。

 美しいバラード「ハーヴェスト・タイム」は、ハンコックのピアノと笠井のヴォーカルのデュオでの演奏だ。この時点で、全くの新曲だったこの曲、87年にリリースされた、ヴォーカリストのダイアン・リーヴスのデビュー作の中の1曲として注目されることとなった。ハンコックはそこでもピアノを弾いているので、興味を覚えた方は比較してごらんになることをお薦めする。

 「サンライト」は、この来日の直前にリリースされたハンコックのアルバムのタイトル・チューン。ダンサブルなファンク・ビートの曲だが、緻密に考えられたアンサンブルが見事だ。ハンコックのシンセサイザー・ソロがフィーチュアされ、バックグラウンド・ヴォーカルに金子マリと亀渕由香が参加している。

 このアルバムのタイトル・チューンである「バタフライ」は、ファンク時代のハンコックの代表曲のひとつ。初出は74年の『スラスト』だが、翌年の日本でのライヴ『洪水』、78年の『ダイレクト・ステップ』でも演奏されている。ここでの編曲は、キーもオリジナルと同じで、『ダイレクト・ステップ』ヴァージョンとほぼ共通する構成によるもの。どちらもレイ・オビエドのギター・ソロが活躍するが、ワウワウ・ペダルを駆使したこちらのソロの方がおもしろいのでは、と個人的には感じる。

 最後を飾る「アズ」は、言わずと知れたスティーヴィー・ワンダーの名曲だ。スティーヴィーの『キー・オブ・ライフ』で、ハンコックがこの曲のエレピを弾いているところからの選曲なのだろう。重いビートでぐいぐいひっぱっていく、ムザーン〜ジャクソンのリズム・コンビがすばらしい。考えてみると「ハンコック・グループの演奏」による「アズ」などという珍品はここでしか聴けないわけで、そういう意味でもこの作品は、まさに「コレクターズ・アイテム」の資格じゅうぶんなのだった。
(JULY,1997  村井康司)

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